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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
閑話 それぞれの目線
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閑話 ノア・シンフォス 5 過去を断つ名の再構築

 クロの詳しい話を聞くため、リビングに集まったノアたち。ソファーに腰を下ろしたその場には、シゲルもアヤコもいた。空気は張りつめたまま、誰もが言葉を選んでいた。


 そのとき、ふとクロの姿を見たアヤコの表情が崩れる。頬に伝った涙を、クレアがそっと舐めとった。


「アヤコお姉ちゃん、大丈夫でしたでしょう。クロ様……おかえりなさい」


「ただいま。……すみません、心配かけました」


 そのやり取りを聞いたシゲルが、ふっと鼻を鳴らして立ち上がる。


「おーい、アヤコ。茶入れてくれ。クロの話、しっかり聞かせてもらうぞ」


 言葉の背にある安堵に、ノアも胸をなで下ろしていた。


「……簡単に言えば、ストームシュトルムには――変態じみた妖怪のような存在が取り憑いてまして。それが、私の身体を乗っ取ろうとしてました」


 静かに、しかし淡々と語られるクロの言葉。内容はあまりに突飛だったが、それでもクロの目は曇りなく、冗談めいた雰囲気すらなかった。


 その後に続いたのは、“自称神”を名乗る変態爺の話だった。常識を逸した内容に、場の空気は凍りついていく。アヤコが絶句し、シゲルも苦い顔で茶を啜る中――ただ一人、ノアだけが胸の奥に、鈍い痛みを感じていた。


(この世界はゲーム。全部壊せ……僕は……操られていた?)


 記憶の底で、かつての声が蘇る。だが、その声にただ従っていたわけではない。確かに、そこには興奮があった。喜びもあった。


(……違う。楽しんでたのも、僕の本当の気持ちだった。だからこそ……僕は、取り返しのつかない罪を――)


 目の前で語り続けるクロ。その表情に、かつての“ゲーム”とは異なる現実の重みが滲んでいた。


 そんなノアの心の揺れなど知らぬまま、シゲルに確認されたクロが、ひとつ頷きながら言う。


「ええ、本当に。だからですね……とってもうざかったんで、その変態妖怪の領域に乗り込んで。自称“神”だの、私の身体を乗っ取るだの……まあ、気持ち悪いことをベラベラ言ってたので」


 言い切った後、わずかに息を吸ってから――その目に感情の色を浮かべぬまま、静かに告げる。


「――本来の姿で、消し炭以下にして殺しました」


 その言葉はあまりにもあっけなく、それでいて真実味を帯びていた。誰もが息を飲み、その場の空気がひときわ重くなる。


 クレアがクロのそばで、心配そうに首をかしげて何かを尋ねている。だがノアの意識は、すでにそこにはなかった。


(もし、あのとき僕が抗っていたら……あんな悲劇は起きなかった。でも――クロさんと出会えたのは、その罪の果て。……しかし、やっぱり、これはダメな出会いだ)


 そう沈んでいたノアの耳に、クロの声が届いた。落ち着いた、けれど芯のある声音だった。


「安心してください。もうストームシュトルムに変態妖怪はいません。あの空間は私が消しました」


 一言ごとに、確かな重みが宿る。


 そして、クロは一呼吸おき、ゆっくりと周囲へ視線を巡らせながら――


「……バハムートの名に懸けて、もう大丈夫です」


 その宣言は、ただの約束ではなかった。何かに縛られていたような胸の奥の糸が、ゆるやかに解けていくのをノアは感じた。逃げ場のない罪の記憶と、それでもここに在るという現在。その狭間にあった迷いが、少しだけ救われたような気がした。


 だが――


「……というわけで、報告は以上です。それと、ストームシュトルムの名前でも変えましょうか」


 次に発せられたその一言が、あまりにも唐突すぎた。せっかくほどけかけていた胸の糸が、またもや絡み合う――というか、


(……ほどけかけたのに、今その話?)


 思わずツッコミそうになる心の声が、ノアの中にだけ静かに響いていた。


 そこから突然シゲルの「帰れ」という一言が飛び出し、その突き放した態度にグレゴが怒りを爆発させたことで、子供じみた口論が始まった。


 突拍子もない応酬に呆れたギールとアヤコが慌てて止めに入るという、いつもの騒がしい光景が展開される。


 結局、まだ話が残っているということで、先にシゲルとアヤコが仕事へと戻り、静けさを取り戻したリビングには――クロ、グレゴ、ギール、そしてノアだけが残された。


「――それで、クロ。さっきの話だけど……機体の名前を変えるって言ってたな?」


 グレゴの問いかけに、クロは迷いなく頷いた。


「ええ。本来なら、機体の外装ごと変えてやりたいところですが――あの変態がつけた可能性のある名前なんて、もう使いたくないんです」


 その声音には、穏やかさのなかに強い意志が滲んでいた。凛とした言い切りに、ノアは思わず身を引くような感覚を覚えた。


(どんな変態に……洗脳されてたんだ、僕は)


 自分でも気づかぬうちに、深く滅入っていた。


 そんなノアの内心など知らずに、ギールが首をかしげて問いを重ねる。


「それは……まあ、気持ちは分かるけど。なんで今、急に?」


 クロはすっとノアのほうへ視線を向け、迷いのない声で告げる。


「ノアに渡そうかと思ってまして」


 その一言は、胸の奥を一瞬で突き抜ける“問い”のようだった。


(僕に……? あの機体を……?)


 シゲルから借り受ける約束はしていた。だが、いざ“正式に託される”となると――心の奥から湧いてくるのは、迷いだった。


(僕に乗る資格なんて、あるのか……?)


 過去の罪。その重さが、自分の手を遠ざける。


 だが、クロは静かに続けた。


「ここにいるうちに、早急に名前を変えておきたいんです。変態の痕跡なんて、ひとかけらも残したくない」


 その言葉に込められた嫌悪と断絶の意志が、ノアの中にも共鳴する。


 そして――クロは湯呑を指でなぞりながら、伏し目がちに呟いた。


「――あの機体は、私が浄化した“生まれ変わった”存在ですから。過去の名に縛る理由なんて、どこにもありません」


 浄化。生まれ変わり。


 その響きに、ノアは心を揺らされていた。


(もしかして、あいつも……縛られていたんだろうか。神に)


 それは同情とは違う。ただ、自分と同じ“業”を抱えた存在に対する、静かな共鳴だった。

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