閑話 ノア・シンフォス 4 証明は不要な馬鹿発言
ストームシュトルムの修理は、まだ終わっていなかった。
その間、ノアはコロニー内での細かな依頼をこなし、グレゴの圧にも徐々に慣れ始めていた。今日は、住人からの要請で機体をレンタルし、搬入路に溜まったゴミの撤去でもするつもりだった――その矢先。
端末が鳴り、シゲルの名が表示される。
「もしもし、どうしました?」
気軽に問いかけたその声に、返ってきたのは、切迫した叫びだった。
『緊急事態だ。すぐに家に来い! お前の機体で、クロが――変になりかけてる! 下手すりゃ、コロニーどころか……世界の終わりだ! いいから、急げ!』
言い終わると同時に、通信は一方的に切られた。
ノアは即座に立ち上がると、ジャンクショップへ向けて駆け出した。
その走りは、もはや常人の域を超えていた。風を切り、道を裂くように走り抜けるノアの姿に、通りすがりの人々は言葉を失う。だが、今のノアに周囲を気にする余裕はない。
そして、ジャンクショップに到着すると、すでにグレゴとギールが店の前に立っていた。二人とも、普段とは打って変わった神妙な面持ちをしている。
そこに、アヤコの姿はない。クレアもいない。そして――クロの姿も、どこにもなかった。
「ノア、来たな」
待っていたようにシゲルが声をかけ、すぐに状況を語る。
「簡単に言う。……ストームシュトルムに、洗脳装置みたいな仕掛けがあったらしい。その影響で、クロが……飲み込まれかけてる。下手すりゃ、バハムートの降臨だ」
その声には、冷静さの裏にある緊張と覚悟が滲んでいた。
「クロのことだ、きっと自力で戻ってくるとは思ってる。だが、万が一に備えておく。ここに現れた時、もしすでに洗脳されていたら――俺が、殺す」
その言葉には、仲間としてではなく、“管理責任者”としての覚悟が宿っていた。
隣に立つグレゴとギールも、無言で頷く。
誰もが、クロを信じていた。だが、それと同時に――最悪の未来も、心のどこかで覚悟していた。
転移シャッターが開く。
その瞬間、シゲルを先頭に、全員が一斉にビームガンをクロへと向けた。
空気が張り詰めるなか、ノアだけは混乱していた。どう見ても、そこに立っているのは――いつものクロにしか見えなかった。
その時、クロがぽつりと漏らす。
「……物騒ですね」
ノアは思わず目を瞬かせた。あまりに場違いな一言に、微かな戸惑いと――それでも抑えきれない苦笑がこみ上げる。まったく、この緊張感のなかでそのセリフが出るなんて、どこまでいってもクロはクロだ。
たしかに、とノアは心の中で小さく頷く。だが、その空気を断ち切るように、間髪入れずシゲルの一喝が飛んだ。
「お前は誰だ!」
その叫びに、クロの表情が引きつったのをノアは見逃さなかった。
(……これ、洗脳されてないよな? だって、クロさん、めっちゃ引きつってるし)
「クロですが……さすがに、その、物騒すぎません?」
困ったような弁明に、場の緊張は解けない。グレゴがビームガンを向けたまま、低い声で問いかける。
「……本物か?」
クロは少しだけ考えるような素振りを見せ――予想外のひと言を口にした。
「本物ですよ。でも、証明しろって言うなら――バハムートになりましょうか?」
「なるなこのバカが!!」
すかさずシゲルの怒声が炸裂し、その勢いにノアも一瞬たじろぐ。だがその直後、シゲルとグレゴがほぼ同時に銃口を下ろした。
ため息まじりに、シゲルが言う。
「……ここまで頭の悪いことを言うなら、本人で間違いねぇ」
それに続き、グレゴがぽつりと重ねる。
「全くだ。常識のある偽物なら、そんなことは絶対に言わない……本物だろうな、間違いなく」
ノアは「クロさん、常識ある人ですよね……?」と心の中で呟いた。だが、その直後にクロが口にした言葉で、それすらも打ち砕かれる。
「……その判断基準、納得したくないんですけど。なら、いっそビームガン撃ってみます? 効きませんから」
「そこなんだよ!」
鋭いシゲルの突っ込みに、ノアは思わず吹きそうになる。
(……これが、素のクロさん。あの時、僕にビームを撃ち込んできたクロさんとは、大違いだ)
肩の力がふっと抜ける。強ばっていた背筋に、ようやく自然な呼吸が戻ってきた。
張り詰めていた空気がゆるみ、ノアはようやくビームガンをホルスターに収めた。胸の奥に、静かに安堵の熱が広がっていく。