クロ・レッドラインの宣言
クロは、ぽっかりと穴の開いたままのギルドの扉をくぐった。昨日も感じたことだが、この場所は夜になると居酒屋としても営業しているらしい。だが――彼女の姿を目にした瞬間、それまで和やかに盛り上がっていた空気が、見事なまでに凍りついた。全員の視線が集中する。箸を止めた者、酒を口に含んだまま固まった者、背筋を正す者。誰もが同じ反応を見せる。
「……気にしてませんので。好きに、騒いでいてください」
クロは本心から、気遣いのつもりで言葉を発した。だが――その場にいたハンターたちは、口にこそ出さなかったものの、心の中で一斉に叫んでいた。
(騒げるかっ!!)
ハンターたちの心の叫びなどつゆ知らず、クロはまっすぐに受付カウンターへと向かった。そこにいたのは、いつものように渋い顔で座っているグレゴだった。
「……登録は、終わってるか?」
「終わってます。……確認してみてください」
クロは腰から端末を取り出し、スキャン位置に置く。ビーッという短い電子音。表示された画面を見つつ端末が改造されていることに、グレゴの表情が僅かに渋くなる。
「……端末、改造したな。無許可で」
「…………すみません」
クロは素直に頭を下げる。その姿にグレゴはしばし黙り込み、やがて低く、唸るように問いかけた。
「良くはない。……が。お前、それ――どこでやった?」
「シゲルさんのジャンクショップで。アヤコにしてもらいました」
「あのバカのところかっ!」
グレゴの声が一段階、荒くなる。
「クソのシゲが……まさか、犯罪に手ェ染めてねぇだろうな!」
「染めてません」
クロは表情ひとつ変えずに即答する。グレゴはその無表情をじっと睨みつけていたが、やがてふっと目を細め、諦めたように息を吐いた。だがその直後――
「それと。シゲルさんの養子になりました。これからは――クロ・レッドラインです」
静かに、けれど迷いなく放たれたその言葉に、グレゴの顔がピクリと引きつった。まるで、受付カウンターの真ん中に、見事な爆弾が落ちたかのようだった。
「……おい。いま、なんて言った?」
「シゲルさんの養子になりました」
クロが落ち着いた調子で繰り返すと、グレゴの表情が一気に険しさを増した。
「……お前、自分がどれだけ矛盾したことを言ってるか、わかってるのか」
怒りを押し殺したような声だった。
「昨日、俺が“名字はあるのか”って訊いたとき――お前、“必要ですか”って返したよな? その口で、今日になって“養子になりました”だぁ?」
鋭く詰め寄るグレゴの剣幕に、クロはわずかに目を瞬かせる。だが、すぐに冷静な声で返した。
「……説明します」
クロは、シゲルから受けた“設定”――いや、“作られた物語”を語り始める。両親はすでに亡くなり、親戚中をたらい回しにされていたところを、シゲルが見かねて引き取った。そんな、同情を誘うような経緯。
他の者が聞けば、心温まる美談にすら聞こえるだろう。だが――
「……あいつが、そんな聖人君子なわけがねぇ!」
話を聞き終えたグレゴは、机を拳で叩かんばかりに叫んだ。幼馴染という立場ゆえに、その“ウソくささ”が手に取るようにわかったのだ。
「……手続き自体は、正常に行われていますが?」
クロが淡々と告げると、グレゴが勢いよくカウンターを叩いた。
「そこだ! クソがっ!」
唸るような怒声が響く。
「もういい! シゲのことだ、どうせ何かしら“裏”はあるんだろうが……クソっ! ちゃんとし過ぎてやがる!」
拳を握りしめたまま、悔しげに唇を噛む。
「なら、問題ないですね」
クロは冷静に言い切った。その目は、「もうこの話、終わりでいいですよね」と言っているようだった。
「ああ……悔しいが、隙が無い。ギルド登録も更新されて――……いやいや、ちょっと待て、クロ」
グレゴの視線が、端末の画面に戻る。
「……お前の機体、これ……なんだ?」
「シゲルさんの……お父さんの方が良いですかね?」
「知るか!」
グレゴの即答に、クロは首を傾げたまま淡々と続ける。
「お父さんのおじいさん制作のロボットです」
「……あの奇天烈な親父のか。……ありうるな。いや、ありうるんだが……この名前と全高300mって、おい……」
グレゴは額を押さえ、深く息を吐く。
「……いや、そうだ。あの親父の口癖だった。“常識で測るな”とか、“世界が狭いだけ”とか……クソが」
呟きながら、どこか達観したように頷いた。
「……わかった。もう追及はしない。どうせシゲのことだ、追い詰めたところでぬるりと躱される。……で、依頼と賞金首は?」
「スキャンしてください。ウルフジャックの討伐を完了しました」
クロは端末をカウンターに置く。その静かな一言が、ギルドの空気を再び揺らした。
「……確認する」
グレゴの声は、先ほどとは違い、静かに引き締まっていた。その反応は、周囲のハンターたちとは明らかに違っている。昨日の初対面、そして先ほどまでのやり取り――そのすべてを通じて、グレゴはすでにクロを“普通の新人”としては見ていなかった。
こいつは――ハンター。しかも、将来のギルドを背負うかもしれない稼ぎ頭。ならば、腫れ物に触るような扱いは不要だ。……ただ、“常識”をどこかに置き忘れてきた、優秀なハンター。
だからこそ――報酬を受け取る一人の“職業人”として、他と同じく扱う。それが正解だ。
「……位置情報が無いな。故障か、そもそも搭載してないか、どっちだ?」
「故障です」
クロの即答に、グレゴは眉をひそめつつも頷いた。
「なるべく直しておけ。……なるべくだ」
念を押すような言い方だったが、その実、“どうせ直さないだろう”という諦めも滲んでいた。グレゴは端末を操作しながら続ける。
「IDは……報告のあるものと一致してる。ただ、数が増えてるな。……映像は?」
「すみません。初めてだったので……撮っていませんでした」
嘘だった。だが、グレゴは一瞬の躊躇もなく、それを信じた。
「……次からは、必ず記録しろ。よし。壁の修理費を差し引いて――120万Cだ」
「ありがとうございます」
クロは一礼し、端末を受け取って踵を返す。
「クロ」
グレゴが背に声をかけた。
「シゲに伝えておけ。『借りは返した』……そう言えば、わかるはずだ」
「……了解しました」
クロは小さく頷き、ギルドを後にした。
そのやり取りを、さりげなく聞いていたハンターがひとり、受付に近づいてくる。
「……グレゴさん。ウルフジャックって……マジですか?」
「ああ、マジだ。初めての賞金首がDランク。将来有望だな」
わざとらしく肩をすくめながら、グレゴはからかうように言った。
「お前なんか、すぐに抜かれるかもな」
「いやいや、冗談キツいっすよ~」
ハンターは苦笑いを浮かべながら席へと戻っていった。その背中を見送りながら、グレゴは小さくため息をつく。
「……お前らがあまり動かねぇから、こうなるんだ。……とは言えないがな。命がけの仕事だ」
そう呟いた声は、誰にも聞こえなかった。