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バハムート宇宙を行く  作者: 珈琲ノミマス
閑話 それぞれの目線
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閑話 ノア・シンフォス 2 記憶の匂い、初めての味

 初めての一人暮らし。


 その夕食をどうするか――ノアは、迷った末に外に出た。


 調理器があるとはいえ、食材となる調味ゼリーやメインプレート類はまだ揃えていない。それ以上に、“構成という名の料理”を自分の手で作ることに、どこか心の奥でわだかまりが残っていた。


 だからこそ、今日は少しだけ贅沢をする。自分で稼いだ初めてのお金で、自分のために、好きなものを食べよう。


 そう決めて、ノアは夜の街へと足を踏み出した。


 昼間は迷子の猫を追って駆け回った道も、日が暮れれば雰囲気はまるで違う。静けさと人の気配が入り混じる、都市特有の夜の顔。明るすぎない照明に照らされ、点在する店の看板がゆらゆらと揺れていた。


 人通りはそこそこある。仕事帰りの大人たちが制服姿のまま通りを歩き、食事処を探していたり、酒場に吸い込まれていったりしている。


 けれど――どの店を覗いても、どこも同じような品揃え。効率化された調理器に合わせた、定型化された料理。少しずつ味に個性はあるのだろうが、“専門店”と呼ぶには物足りなさを感じさせた。


(どこもかしこも似たような店ばかりだな。もっとこう……違う味があれば)


 ため息と共に歩き続け、ふと足が止まる。ネオンの喧騒に埋もれかけていた一軒の店。その看板には、堂々とこう書かれていた。


 《中華一筋》


 目を引かれ、思わず扉へと近づく。すると自動ドアがスッと開き、軽やかな声が響いた。


「いらっしゃい! お好きな席へどうぞ!」


 店の奥から、いかにも料理人然とした店主が笑顔で手を振っている。


 思いのほか繁盛しているようだった。作業服姿の男たちがビールを片手に餃子をつまみながら、仕事の愚痴を言い合っている。少し離れた席では、ロックバンドのような風貌の男性と、金髪をポニーテールに束ねたタンクトップ姿の女性が、やたら物騒な話題で盛り上がっていた。


「ビームの収束音が甘い」「撃鉄の響きに張りが足りない」などと、銃器オタクか兵器マニアか、もはや判断もつかない。


(……近づかないでおこう)


 ノアはそっと視線を逸らし、空いているテーブルに腰を下ろす。


 卓上の端末がひとりでに起動し、ホログラムのメニューが宙に浮いた。


(なるほど、ラーメン系が多いけど……炒飯や点心も揃ってるな。なかなか豊富)


 そう思った矢先、ノアの思考は停止する。


(なにこれ……選択肢、多すぎ)


 ラーメンだけでも十種類以上。醤油、味噌、塩、豚骨、鶏白湯、ブラック、牛骨、魚介、坦々、ミックス――。さらに麺の太さや硬さ、トッピングのカスタマイズまで。もはや無限分岐である。


(正解が見つからない! シンプルに醤油で行くべきか、珍しさで牛骨にするか……いや、味噌ベースの豚骨? 豚骨ベースの味噌? どっち!?)


 選択の迷宮に迷い込んだノアは、額に手を当てたまま、静かに天井を見上げた。


 その瞬間、不意に――胸の奥がかすかに疼いた。音もなく、まるで忘れていた誰かの呼吸が微かに聞こえたような感覚。覚えていないはずの記憶。その深い底に、何かがかすかに揺らめいた。


(……記憶はなくなっていたと思ってた。でも、一つだけ――)


 それは転生前、どこかに出かけた旅の途中。駅前か、商店街か。観光地の片隅にあったラーメン店。店の名前も一緒にいた人の顔も思い出せない。けれど、箸を運んだあの瞬間の、湯気の匂いと、口いっぱいに広がったあの味――それだけは、不思議と確かに覚えていた。


(父さん……かな。母さん……かも。顔は思い出せないけど、あの味は、まだ残ってる)


 ノアはそっと目を閉じると、指先でメニューの“醤油ラーメン”を選択し、半炒飯のセットを注文に通した。


 小さなため息をつきながら、まぶたの裏に揺れる記憶の影をもう少し追いかけようとする。何か、ほかに残っていないか。言葉や音、温度、誰かの声――。


 その時、ふいに鼻先をくすぐる香ばしい香り。


 目を開けると、目の前に湯気を立てたラーメンと炒飯が置かれていた。


「醤油ラーメンに半炒飯、お待たせ。いや~、兄さん通だねえ」


 明るい声と共に、店主が笑顔で声をかけ、また厨房へと戻っていった。


 そこにあったのは、奇をてらわない――ただの醤油ラーメン。


 スープは澄んだ茶褐色で、湯気にほんのりとした甘さが混じる。麺は中太の縮れ麺。表面にほどよくスープが絡み、しっとりとした質感を見せていた。トッピングは、焼豚が二枚に海苔が一枚。淡い飴色のメンマと渦巻きのナルト、そして細かく刻まれたネギが鮮やかに彩りを添える。


 隣の皿には、艶やかな半炒飯。具材は卵と細切れの焼豚、それにネギと、わずかに焦げ目を帯びた米粒。シンプルながら、どこか懐かしい中華の香りが立ちのぼっていた。湯気の向こうに添えられたスープが、さりげなく心を和らげる。


 ノアは箸を取りレンゲを用意する。ひと口、スープをすする前に、心の中で誰かに問いかけた。


(……いただきます)

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