病院へ――“普通”と誇りと未来
そうして一通り話を終えた三人は、店を後にした。肩を並べて歩くその姿は、傍から見ればまるで姉妹のようでもあった。エルデは新しい装いのまま、背筋をしゃんと伸ばして歩いていた。深緑のジャケットと黒の手袋、そして引き締まったブーツ姿――そのスタイルは、やはり道ゆく人々の視線を惹きつけていた。
だが、本人はまったく気にする様子もない。その様子に気づいたアヤコが、少し不思議そうに声をかける。
「エルデ、大丈夫なの?」
「うんっす。メイドさんに教えてもらったっす。自分にとって、これが“普通”なんっす。自信、持っていいって――そう言われたっす」
そう笑って答えるエルデの足取りは、軽やかだった。言葉だけではなく、その背中にも揺るぎなさが芽生えていた。
「う~ん……やっぱり、あのメイドさんたち、侮れないわね」
感心するようにアヤコが呟いたそのとき、クロがやや刺のある調子で言葉を挟む。
「そうですね。その話術と自信のおかげで、多大な出費をさせられましたから。夜中に命懸けで稼いだ報奨金が……すぐに消えましたので」
「ク~ロ~! じいちゃんみたいなこと言わないでよ~! ごめんって~!」
アヤコはそう叫ぶと、わざとらしく両手を広げてクロに抱きついた。
「クロの姉御、自分もごめんっす~!」
エルデもその流れに乗って、元気よく飛びつくようにクロへ抱きついた。左右から挟まれる形になったクロの頭部は、エルデとアヤコの胸にしっかりと収まり、彼女の顔がみるみる赤くなっていく。
「……離れてください。分身体は女でも、本体は雄ですよ!」
顔をそらしつつも、どうにか言葉を絞り出す。
――まったく、制御が難しいのは敵より味方ですね。
心の中でだけ、呆れと照れをこぼすクロ。
「クロは女の子~! 許してくれるまで離さない~!」
「そうっす~! 離さないっす~!」
ふたりの声が見事に重なり、クロの抗議は、音ごと押し流された。歩道の端で続く抱きつき攻撃。すれ違う人々は、驚くでもなく、どこか微笑ましそうに、あるいは羨ましげにその様子を眺めていた。その笑みの理由を、クロだけがまだ知らない――いや、認めたくないだけなのかもしれなかった。
なんとかふたりを振りほどき、クロはふぅと一息。三人は再び並んで歩き出し、ようやく目的地である病院の入り口へとたどり着いた。
自動扉が開いた瞬間、四方から強いエアーが吹きつけてきた。
「うぉ! 何っすか、これ! 風が四方から吹いてくるっす!」
エルデが思わず身をすくめて叫ぶと、髪がふわりと逆立ち、ジャケットの裾もひらひらと揺れる。その様子に苦笑しながら、アヤコが落ち着いた声で言葉を重ねた。
「これはクリーンエアー。病院に入るとき、体表についた菌やウイルスを除去するための除染風よ。慣れると気持ちいいかも」
そう言って、ためらいなく風の中をくぐり抜けていく。エルデはまだ不思議そうな顔をしていたが、続くようにクロとともに風のシャワーを受けながら建物の中へ入った。
病院内は、クロの記憶にある前世の医療施設と、さほど変わらないように見えた。白を基調とした内装、整った空気、無機質な壁。……白くて、静かで、どこか冷たさすらあったあの頃の病院。だが、今は――その印象は、わずか数秒で覆される。
目の前にふわりと映像が浮かび上がった。それは来訪者を検知し、来院目的と人数の確認を求めるインターフェースだった。浮かぶホログラムの前で、クロが操作に移る。
目的は、エルデの健康診断とナノワクチンの接種。そして、同行者として三名の名前を入力すると、ホログラムの色が変化し、やがて半透明の矢印アイコンへと姿を変えた。矢印はまるで生き物のように床の上をスライドし、方向を示している。
「これは……初めて見ましたね」
クロが目を細めながら呟く。
「クロの姉御もっすか! 自分も、こんなの初めてっす!」
興味津々で目を輝かせるエルデに、アヤコがやや呆れたように言う。
「ふたりとも静かに。行くよ」
その声に背を押されるようにして、三人は矢印の誘導に従って歩き出した。
白く滑らかな廊下を進むと、矢印はとある扉の前でぴたりと止まり、アイコンがノックのマークに切り替わる。扉の横には〈第一診察室〉と記された表示が浮かんでいた。
クロが促されるままにノックをすると、すぐにスライドドアが開き、中から落ち着いた女性の声が響く。
「どうぞ」
扉の向こうには、白衣姿の女医と、壁際に設置された大型端末。それに、床の中央には筒状の医療ポットが横たわっていた。女医は中背で、知的な雰囲気をたたえた顔立ちをしており、穏やかな笑みをたたえたまま三人を出迎えた。
アヤコが先に入り、続いてクロ、そしてエルデがやや緊張気味に小さく身を縮めながら部屋に入る。ドアが静かに閉まると、すぐに看護師が人数分の椅子を用意し、三人は整然と並んで座った。
「えっと……今回、トバラ様から直接ご指名をいただきました、担当医のコートと申します」
女医はやわらかな口調でそう名乗りながら、手元の端末を確認する。
「本日はエルデさんの健康診断と、ナノワクチン接種ですね。エルデさんは――」
「はいっす!」
エルデが元気よく手を挙げる。椅子から少し浮かびそうな勢いに、コートは思わずふっと微笑んだ。
「……病院ではもう少し静かにね。でも、元気なのはいいことです」
やわらかく注意しながら立ち上がり、医療ポットのほうへと歩を進めた。
「エルデさん、そのままで大丈夫です。こちらのポットに入ってください」
そう言って側面の操作パネルに軽く触れると、ポットの上部がスライドしながら開き、内側からベッドがせり出すように展開される。その瞬間、部屋の空気がわずかに変わる。
せり出したベッドは、薄く光沢のある滑らかな素材でできており、淡い青白い光がうっすらと表面に流れていた。エルデは思わず足を止め、その光をじっと見つめる。
「……すごい……これが……」
呟くようにそう言った声には、緊張と好奇心が混ざっていた。