温もりと覚悟の朝
【更新休止のお知らせ】
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
誠に勝手ながら、7月17日(水)20時の更新および、7月19日(金)の8時・12時・16時の更新につきましては、通院のためお休みとさせていただきます。
体調そのものに大きな問題はございませんが、定期的な検査等のため、やむを得ず更新を調整させていただく運びとなりました。楽しみにしてくださっている皆さまにはご迷惑をおかけいたしますが、ご理解いただけますと幸いです。
なお、その他の時間帯については通常通りの更新を予定しております。
今後とも『バハムート宇宙を行く』をよろしくお願いいたします。
エルデは出された朝食のトレイを、じっと見つめていた。
そこに乗っているのは、軽く焼かれた食パンと、温かいスープ、そしてバターの小皿。どれも特別高級というわけではないが、きちんと手がかけられた“朝ごはん”だった。
「……いただきますっす」
小さく頭を下げ、エルデはトーストにそっと手を伸ばす。少しだけ指が震えていた。
カリリ――。
焼きたての食パンを噛んだ瞬間、外は軽やかな歯ごたえで、中はふんわりとしていて、噛みしめるごとにじゅわりと香ばしい旨味が広がる。
バターの塩気がほんのり溶けて、そこにスープを流し込むと、今度はトロリとした温かさが舌に広がった。
その瞬間だった。
「……っ、う……」
エルデの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ始めた。
「パンって……カリッとして、フワッとして、じゅわっとしてるんすね……。それに、このトロッとした汁も、めっちゃ美味いっすよ……」
止まらない涙を指で拭いながら、けれどエルデは一口一口、噛みしめるようにパンを食べ続けた。
クロとクレアは、その様子を静かに見守る。ふたりの顔に驚きも悲しみもない。ただ、淡々と――だが、それが逆に深い理解の現れだった。
一方で、アヤコとウェンは目頭を押さえながら、つられて涙を浮かべる。涙腺が弱いというよりも、エルデのあまりに素直な“感動”が、心を打ったのだ。
その中で、唯一まったく違う反応を示したのは――シゲルだった。
「……おまえ、どんな生活してたんだよ。しかも飯、ろくに食ってねえのに……そのスタイルかよ」
そう言って、ふっと鼻で笑いながら、シゲルはアヤコとウェンのほうをちらりと見やった。
「……泣いてるふたりが、なんか余計に哀れに見えてきたぞ」
もらい泣きしかけていたアヤコとウェンは、ぴたりと涙を引っ込め、すぐさまキッとシゲルを睨み返す。
だが、シゲルはまったく動じない。むしろ余裕の顔で肩をすくめ、片手で湯呑みを揺らしながら続けた。
「睨んだところで事実は事実だろうが。で、お前――何歳で、どこ出身だ?」
エルデはパンを口に含みながら、少しだけ涙声を引きずったまま答える。
「13っす。でも、このタッパっすから……16って言われて売られたっす」
咀嚼しながらも素直にそう返し、ひと呼吸置いてから、ぽつりと続けた。
「出身は……帝国のスラム街っす。場所の名前は知らないっす。あんまり、そういうの、教えられないところだったんで」
あっけらかんとした口調だったが、その奥には、淡々とした諦めと痛みに似た静けさがにじんでいた。
場に、一瞬の沈黙が落ちる。
それを破ったのは、やはりこの男だった。
「年下のくせに、スタイルで負けてやんの」
わざとらしく鼻を鳴らしながら、シゲルがクロに向き直る。
「クロ、こいつ連れて病院と服屋に行ってこい」
「服屋はともかく、病院はなぜです?」
クロが首を傾げると、シゲルはアヤコとウェンに睨まれながらもまるで意に介さず、続けた。
「健康診断だ。最低限のナノワクチンは打たせとけ。あと成長の異常がないか、ちゃんと見てもらえ。後、ウェン」
シゲルの言葉に、エルデが少し驚いたように瞬きをする。
けれど、その流れを断ち切るように――ウェンが低くうなった。
「……何の用ですか、クソじじい」
睨みながら悪態をつくウェンに、しかしシゲルは目も向けず淡々と告げる。
「おまえ、仕入れは終わったのか。スミスのメモ、送っただろ」
その瞬間、ウェンの動きが止まった。
代わりに、そばにいたノアが申し訳なさそうに口を開く。
「……その、まだです。今はクロさんの装備用の素材や……それと、他の買い物をしてしまっていて」
ノアの言葉に、ウェンは小さくうつむいた。
「ちゃんと終わらせてから動け。今日中に済ませとけ。……そうすれば、残りの日数は“二人きり”で動けるぞ?」
その言葉に、ウェンとノアが同時に顔を赤くし、言い訳を口にしようとして――互いに目を逸らす。
まるで図星を突かれたような沈黙。
だが、その流れに割り込むように、シゲルが続けた。
「アヤコは俺と一緒に――」
「いや。もう、じいちゃんなんか知らない! 私はクロとエルデと一緒に行くから!」
アヤコは舌を突き出した後、ぷいと顔を横にを向けた。
シゲルはしばし口を閉じてから、嘆息しつつ天井を仰ぐ。
「……まったく、ガキってのは……。クレア、今日も俺の護衛を頼む」
小さく跳ねるように頷いたクレアだったが、ふと首をかしげて問いかける。
「でも、お父さん。この数日見ていて思ったんですが……護衛って、必要ですか?」
クレアの素朴な疑問に、しかしシゲルはきっぱりと断言する。
「必要だ。マーケットの本番はまだだ。パレードの翌々日――つまり、明日からは街の住民も参加可能になる。そうなれば、人の数が一気に跳ね上がる。そこからが本番だ」
淡々とした口調だったが、その一言には、明確な警告が込められていた。
その場にいた誰もが、自然と背筋を伸ばす。
「人混みに飲まれれば、買い物も交渉もままならん。タイミングを逃せば、品物は売り切れ、移動すら困難になる」
シゲルはウェンに視線を向けた。
「……だから、ウェン。今日中に終わらせておけ。すべてだ。あとに回せば、取り返しがつかなくなる」
短くも強いその一言に、冗談めいた響きは一切なかった。
その重みが、言葉以上に場の空気を引き締めていた。そして――その真剣さを前に、誰もが黙って頷くしかなかった。