巫女志願と艦隊始動
エルデは、首元をそっとさすりながら、頭の中で状況を整理していく。
(つまり……目の前のクロの姉御とクレアの姉御は、人じゃなくて神様みたいな存在で。で、自分はその所有物……って、巫女?)
思考の着地はややズレていたが、少なくとも現状は把握できたらしい。
そのタイミングで、クロが一歩前へ出る。
「とりあえず、一旦バハムートで戻ります。すぐに戻りますので、そのあいだに管制系の調査をお願いします」
ごく自然な口調だったが、エルデは反射的にぴしっと敬礼した。
「了解っす! クロの姉御!」
「……だからその“姉御”はやめてください」
眉をわずかに下げて呟くクロに、エルデは満面の笑みで返す。
「はーい、姉御!」
「……」
諦めたように息をついたクロは、すぐそばにいるクレアへ目を向ける。
「クレア、一度戻りますよ」
「はい」
短く返事をすると、クレアはエルデの頭から音もなく跳び、クロの肩に乗る。そのままふたりは艦橋を後にし、外へ出ると、バハムート本体とヨルハへと戻っていった。そして、バハムートたちの転移の光が淡く残る中――ゴングの艦橋には、エルデひとり。
ようやく静けさを取り戻した空間の中、彼女は椅子の背にもたれながら、小さく息を吐いた。
(……ほんと、なんなんすかね、ここ数日)
頭の中を、記憶の断片が順番に流れていく。
親に“男”として海賊に売られた。最期の情けか、女だとバレないよう肉襦袢を巻かされ、髪を短く切られて、物のように送り出された。
売られた翌日には、今の海賊団に引き渡され、ろくに準備もできないまま戦場へ。そして、クロたちが現れて――壊滅。
命の危機から一転、彼女に拾われ、同情され、そして“こっちに来るか”と手を差し伸べられた。
(……全部が、唐突すぎる)
不運と幸運が入り混じる、信じられない流れの中で、まだ現実味がない。
けれど、首元に残る赤い“痣”だけは、確かに真実だった。
あの瞬間、自分が死なず、むしろ“役目”を与えられたことを、この痣が何よりも雄弁に語っていた。
誰がどう見ても、確かに――これは、生き延びた証だ。
「…………何があるかわからないもんっすね」
ぽつりと、エルデが独りごちる。
誰にも聞かれないと思っていたその瞬間、意外な声が返ってきた。
「何が、ですか?」
「ひっ――!」
反射的に声を上げて振り返る。そこには、いつの間にかクロが立っていた。
足音も気配もなかった。まるで空気の一部として、最初からそこにいたかのように。
「戻ってきてたんすか……!? いやもう、マジで神様っすね……」
素で漏れた言葉に、クロはひとつだけ瞬きを返す。
「私は神ではありません。……たぶん、ですが」
その落ち着き払った返答に、エルデは慌てて口を押える。が、クロは表情ひとつ変えず、淡々と続けた。
「神にすがるのは、おすすめしません」
声の調子は穏やかだが、言葉には重みがあった。
「祈るのは自由です。でも結局は、自分の足でしか歩けません。神っていうのは――そうですね、“保険”みたいなものです」
語るようで語らず、語りすぎずに落ちるその言葉。まるで、自分自身に言い聞かせるような静けさだった。
しばらく沈黙が続いたのち、エルデは肩をすくめて笑った。
「……宗教国家の根幹を揺るがす発言っすよ、それ」
「そうですか?」
クロは少しだけ首をかしげ、静かに言葉を返す。
「事実を言ったまでです。信じるかどうかは――あなたの自由ですから」
「なら――バハムート教に入信するっすよ! 私、巫女さんになるっす!」
エルデが思い切りのいい笑顔で叫ぶ。
その言葉に、クロは一拍の間を置いてから――無表情のまま、言った。
「やったら殺します」
「やめるっす」
反射的な切り返しに、さすがのクロも少しだけ感心したようにまばたきを返す。
対応が早すぎる。恐怖への順応という点では、エルデは群を抜いていた。
「……それで、制御系のほうは。まだ分かりませんか?」
「あっ、そうでした。今、調べるっす!」
エルデは慌てて姿勢を正すと、くるりと椅子を回転させ、コンソール側へと身体ごと滑らせる。前傾姿勢のまま端末に手を伸ばし、ぱちぱちとキーを叩き始めた。
数秒後、モニターの端に小さな点滅が浮かび上がる。
「……あ、きたきた。多分これ、ゴングの統括端末っす!」
指先で数回操作すると、艦内の各戦艦に微かな起動音が伝わった。
巡洋艦七隻がゆっくりと姿勢を正し、やがて“ゴング”を中心とした陣形を整えていく。そのまま全艦が、静かに“オンリーワン”への航路を取り始めた。
光のない宇宙空間を、整然と――小さな艦隊が静かに進み始める。