クロの艦橋制圧とエルデの登場
その後の動きは、静かだが――速かった。バハムートの疑似コックピットからクロが姿を現すと、一直線に“顔”にあたる艦橋へと向かっていく。
周囲には、まだ稼働可能と思われる機体や、砲門を向けかけた戦艦があった。だが、クロの進路に対し、ヨルハが滑るように身を寄せると、誰一人として動かなかった。守るように、だが無言の威圧をまとって。
沈黙は、反抗の意志すら許さなかった。
クロはゴングの艦橋前にたどり着くと、装甲板を見上げ、無言で手をひと振り――開けろ、という簡潔なジェスチャー。
数秒の硬直のあと、外側のロックが外される。続いて内側の電子ロックが、ゆっくりと解除された。
クロは外扉を静かに開けて艦橋内へと踏み込むと、そのまま扉を閉じ、完全に密閉する。そして、内扉の解錠スイッチに指を伸ばした。
次の瞬間――
「死ねよ、おらぁっ!!」
扉が開いた瞬間、怒声と共に放たれたのは、船員が構えたビームガンからの直撃だった。
「……無駄なことは、やめてください」
クロの声は変わらなかった。ビームは彼女に届くことなく、その手前でふわりと消え去る。
光が溶けるように霧散し、ただの空気に還る。まるで“そこに触れる”という現実そのものが、最初から存在していなかったかのように。
「化け物がっ……!」
艦橋の奥から、別の男が叫ぶ。怒りではなかった。明らかな――恐怖の声だった。
クロは一歩、ゆっくりと足を進めた。音もなく、だが確実に圧を刻み込むように。
「気が済みました?」
その問いには、情緒も、怒りも、苛立ちもない。ただ、状況確認のような口調で投げかけられる。
「選んでください」
静かに、重く、響く。
「ダルマがいいですか? それとも……五体満足がいいですか?」
艦橋の空気が、きしむ。
クロは目だけを動かし、奥の座席を見据えた。
「選んでください。――船長?」
「きっ、狂人が……!」
歯を食いしばるように吐き捨てるその声に、クロは首を傾げた。
「それは、貴方たちでは?」
淡々としたまま、言葉を継ぐ。
「無抵抗の人々を襲い、命と物を奪い。守ろうとした者を殺し、“正当な価値”を踏み躙る。そして今度は、オンリーさんを殺そうとし、オンリーワンを――略奪しようとした」
言葉は熱を持たない。ただ、真実を並べていく。
「……それが、狂っていないと?」
その問いに、艦橋の誰もが――口を閉ざす。
次の瞬間。
音がなかった。
クロが抜いたビームソードが、ほとんど瞬きの間に走った。刃の軌道すら見えなかった。
ただ、数名の首が、宙に浮いていた。
血の噴き出しすら遅れた。胴体から離れた頭部が、無重力にふわりと回転しながら、目を見開いたまま漂っていた。
「……汚い」
クロは静かに呟いた。そして、掌の上に淡い光をともす。
「プチフレア」
小さく囁いたその光が、宙に漂っていた血液と肉片、そして浮遊する首をすべて――塵に変えた。煙のような残滓が拡散し、それすらも消える。
「これが、貴方たちの“狂人の行動”の末路です」
静かにソードの切っ先を――船長に向ける。
彼は、ただその場で震えていた。
「まったく……スラロッドがあれば、骨を砕くだけで済んだのに」
クロがぽつりと呟いたその一言が、船長の中に残っていたわずかな抵抗の火を吹き消す。
(……敵わない。俺は終わりだ)
崩れるように膝をつくその姿に、クロは一歩近づいて静かに告げた。
「諦めましたね。では――私の指示通りに動いてください」
その瞬間から、整然とした“後処理”が始まった。ゴングを含む無事な戦艦と、稼働可能なフォルツ、それに残された物資の数々。それらはランドセル側の補給フレームへと順次転送され、記録と共に整然と仕分けられていく。
捕縛された海賊たちは、一隻の輸送艦にぎゅうぎゅうに押し込まれ、誰もいなくなった別の戦艦には、海賊機のフォルツと物資が積み込まれていった。
そして最後に――全身をす巻きにされた船長が、ゴングの貨物室へと投げ込まれる。無様な姿のまま転がる音が、金属の床を細く響かせた。
クロはその後、艦内を一巡し、最終確認の“掃除”に入る。
「えーと……貴方の名前は?」
ふと振り返ると、すでにすぐ横に立っていた少女が、ぴしりと敬礼して答えた。
「はいっ!エルデっす、クロの姉さん!」
「……海賊っぽくないな」
クロの視線がわずかに細まる。
「はい、自分、売られましたので!」
その言葉には、冗談のような軽さがあった。けれど、言葉の意味そのものは――決して軽くはない。
なのに、それがあっけらかんと聞こえるのは、彼女の表情と口調、そしてその格好のせいかもしれなかった。
ゴングの艦橋。整然とした空間に、クロとエルデが並び立つ。
エルデは金髪ショートカットの若い女性。海賊の制服をゆるく着崩し、足元はスニーカー型の宇宙靴。一言で言えば――“宇宙ヤンキー”。
「いや~、うちの親がクズでして! 借金すごくて首が回らなくなったもんで、サクッとここに売られました!」
満面の笑みでそう言ってのけるエルデの横顔に、クロはわずかに目を瞬かせた。
「それで、すぐここに送られて……で、今この状況です!」
小さく拳を握って、勢いだけは元気そうな笑みを浮かべる。
「いやぁ~、マジで死ぬとこだったっすよ! 危なかった~」
まるで自販機に小銭を落としたみたいなテンションで、数十分前の地獄が嘘のように見える。それが、ほんの少しだけ――艦橋に残る死の気配をやわらげていた。
「……なぜ、男装を?」
「女だとバレたら、いろいろまずいですから。男の船に、女ひとり――地獄が始まるっす」
その語尾だけは、妙に静かだった。
けれど彼女は笑っていた。過去を責めることも、誰かを呪うこともせずに。ただ、生き延びたことだけを、淡々と肯定するように――
笑っていた。誰のせいでもないように。