灯る意志、揺らぐ血脈
「いえ。本当に、気にしないでください。――それよりも、今大事なのは、“なぜ狙われたのか”です」
クロの声音は穏やかだったが、その奥には確かな意思の鋼が宿っていた。
しばしの沈黙のあと、トバラが静かに口を開く。
「捕らえた者たちからは、すでに聞き出しております。皆さま、とても親切に教えてくれました」
言葉とは裏腹に、トバラの瞳の奥には冷たい影が揺れていた。それが“どうやって聞き出したか”を雄弁に語っている。
「まずオンリー様の件ですが――これは、どうやら“海賊絡み”の案件です」
「海賊……?」
オンリーが、口元に指を添えて呟く。しばし思案したのち、はっと目を見開いた。
「……オクトパス海賊団?」
「ご明察。八指の一つ、“ミミック海賊団”です」
その名が出た瞬間、オンリーの柔らかな笑みがわずかに揺らぎ、ノーブルはあからさまに表情を曇らせた。
だが、クロは逆に首を傾げる。
「八指……ですか? オクトパス海賊団の下っ端なら何度か潰しましたが、“八指”と名の付く者にはまだ会ったことがありませんね」
クロは記憶を辿るように少し考え込んでから、静かに言葉を継いだ。
「どう見ても雑魚でしたよ。“海賊”というより、ただの強盗団。荒事に慣れてない連中で……質も低かった」
その言葉に、ノーブルの目が細められ、わずかに表情が引き締まる。
「……だろうな。たぶん、“八指”はまだフロティアンに深く根を張っていない。お前が潰したのは、末端の中のさらに末端……名前だけ借りたチンピラだったんだろう」
ノーブルはそう言ってから、ゆっくりとオンリーの方へ視線を向けた。
「で、オンリー。いったい何があったんだ?」
その問いに、オンリーは少しだけ沈黙を置いたあと、肩の力を抜くように言葉を返す。
「……簡単に言えば、あの人たちの“商売”を一つ潰したのよ」
そこへトバラが静かに口を挟む。語り口は穏やかだが、その奥には明確な軽蔑がにじんでいた。
「あれは実に酷いものでした。オンリー様たちの手法を真似て、マーケットを名乗ってはおりましたが――中身はただの無法地帯。衛生も秩序もなく、暴力と搾取の蔓延る場所でしたな」
「で、こっちにも“提携しないか”って売り込みが来たのよ」
オンリーが口元に笑みを浮かべる。けれど、それは明らかに“呆れ”の色を帯びたものだった。
「もちろん、丁重にお断りしたわ。――で、そのあと、戦いになって。返り討ちにして、のしをつけて送り返してあげたの」
トバラが「ええ」と頷きながら付け加える。
「かなり手荒ではありましたが、“礼儀”は尽くしましたよ。我々としては」
「それ以来、ちょくちょく狙われるようになったのよね」
オンリーは肩をすくめながら、あっけらかんとした口調で言う。
「……いや、それ、笑い事じゃないだろ」
ノーブルは立ち上がりながら、声に若干の苛立ちをにじませる。
だが、オンリーはふわりと視線を向け、柔らかく笑う。
「でも、ノーブルちゃんも狙われてるんでしょ? だったら――少し落ち着きなさいな」
オンリーは微笑みを崩さぬまま、ふわりと視線を横へ向ける。トバラもすぐに応じるように、静かに頷いた。
「はい。ノーブル様に関しては――いわゆる、お家騒動ですな」
その言葉に、ノーブルはぐっと眉を寄せ、大きく息を吐き出した。
「……またか。私は皇位になんて興味ないって、何度も言ってるんだけどな。しかも十四席だぞ? そんな末席の私を狙うなんて――そいつ、正気か?」
不満と呆れがないまぜになったような声。それでも表情はどこか諦めを含んでいる。
「正気ではないのでしょうな。――狙ったのは十三席。正確には、その取り巻きどもです」
トバラの声は相変わらず静かだったが、その響きには刃のような冷たさがわずかに混じっていた。
「はい。ノーブル様の場合は――お家騒動。十三席、オードブル様の傘下にある貴族による独断の動きと見られます」
その説明に、ノーブルはぐっと息を吐き、肩を落とした。
「……兄様は、昔から私よりも穏やかで、優しい人なんです。皇位なんて、望んでないはずなのに……」
低く漏らした声には、怒りよりも深い悲しみが滲んでいた。俯いたままの表情に、苦悩と無力感が浮かぶ。
「私みたいに、貴族との縁を完全に断ち切る――そんなこと、兄様にはできない」
言葉の奥に混じるのは、自嘲とも、あきらめともつかない響きだった。
その横顔を見つめながら、オンリーがそっと問いかける。
「……今からでも、あなたのお兄さんを助ける方法はないの?」
その声には、希望というより、どこか諦めたくない気持ちが込められていた。
だが、ノーブルの返答は静かで、残酷だった。
「……関係を絶ち、問題の貴族を排除する。そして、自分の皇位継承権を正式に放棄する。兄様が穏やかに生きるには、それしか道がないのよ」
感情を挟まぬその口調は、まるで自分に言い聞かせているようだった。
そこへクロが、ぽつりと首を傾げながら言葉を挟んだ。
「……でも、皇位に興味がないなら、継承を放棄するだけでいいんじゃないんですか? 処分なんてしなくても。いっそ……お父さんのおじいちゃんみたいに、“ゲイツ姓”を捨てるとか」
その提案に、ノーブルは一瞬だけ目を伏せ、静かに首を横に振った。
「……それは、できない。兄様には――夢があるから」
絞り出すようなノーブルの声には、確かな意志と、揺るぎない情が宿っていた。だからこそ、その言葉は重く響く。
クロは小さく頷き、穏やかに口を開いた。
「でも、まだ――その“処分”が確定したわけじゃないんですよね?」
はっとしたように、ノーブルが顔を上げてクロを見る。クロは、その視線を真正面から受け止めたまま、ゆっくりと続けた。
「まずは、調べること。まだ確実な証拠があるわけじゃない。今は“可能性”が見えてきただけです」
言葉の一つ一つが、沈んでいた空気に静かに光を差し込んでいく。
「だから、今からです。焦らず、順番に確かめましょう」
その静かな声に、ノーブルはわずかに息をのんだ。
――そうだ。まだ何も決まってはいない。
何も、終わってなどいない。
「……ああ、そうだな。まずは調べてからだ。まだ断定できる段階じゃない。処分ってのは……あくまで、最終手段だ」
ノーブルはそう言って、正面を見据える。
その瞳には、さきほどまでにはなかった確かな決意が宿っていた。
これからの行動を――自らの手で選び取るために。




