機体登録と最初の獲物
アヤコの指が端末を滑る。機体ID、遠隔でドック内で撮った全体スキャン画像――入力の義務はないが、その他、大きさなどのすべての項目を手際よく入力していく。そして、最後に残ったのは“機体名”。
「……さて、名前はどうする?」
軽い調子でそう問いかけながら、アヤコはクロの方を見た。
「バハムートでお願いします」
即答だった。
アヤコの手がぴたりと止まり、眉がわずかに寄る。
「……本気?」
その目には、驚きとわずかな戸惑い、そして――心配が滲んでいた。
「その名前って、賞金首としての登録名だよ? 機体名にしちゃったら、余計に目立つし、怪しまれるかもしれない」
だが、クロは動じなかった。静かに、そして確固たる意志を込めて言う。
「本気です。それが、私の本名ですから。――そこだけは、譲れません」
その言葉に、アヤコはしばし黙り込む。だがやがて、小さく肩をすくめて、苦笑した。
「……まったく。強情なんだから」
そして、指先を止めていた端末に再び触れ、“機体名:バハムート”と入力した。
「よし、登録完了。後戻りはできないからね?」
「問題ありません。万が一のことがあっても、返り討ちにしますので」
クロの口調は淡々としていたが、その言葉には揺るぎない自信がにじんでいた。
それを聞いたアヤコは思わず苦笑し、ぽつりと呟く。
「……そういえば、最強だったんだっけ。なんか、忘れてたわ……」
数時間前まで伝説のバハムートと恐れられていた存在が、今ではすっかり“手のかかる妹”のような距離感になっていることに、自分でも少し驚いていた。
そこへ、横からシゲルが口を挟む。
「そうそう、言いそびれてたんだがな、クロ。うち、泊まっていいぞ。家、狭いけどな」
「ありがとうございます。では――」
「ただし、今日からはダメだ。……掃除してねえから」
即座に撤回され、アヤコが噴き出す。
「それ先に言ってよ!」
「というわけで、一週間後に来い。部屋、ちゃんと整えておくからよ」
「……了解です。楽しみにしてます、父さん」
クロがそう微笑みながら返すと、シゲルは一瞬、気恥ずかしそうに頭をかいた。
「おう。……行って、しっかり稼いでこい」
「いってらっしゃい。一週間後、楽しみにしてるからね~♪」
アヤコが手を振る。
クロはそれに小さく会釈してから――さっきのように転移せず、そのまま歩き出した。背中に、見送られる感覚を背負いながら。
(いってらっしゃい……か)
その言葉が、胸の奥で温かく響く。
(本当に、数千年ぶりに聞いた気がする。……こんなにも嬉しいものだったんだな)
ふっと笑みを浮かべる。
「……ふふ、ホテルには悪いが、延長はなさそうだな」
小さく呟きながらクロは人気のない通路に入り、足を止める。誰もいないことを確認すると、音もなくその姿が霧のように消えた。
次に現れたのは宇宙だった。
もちろん、宇宙服など着ていない。クロはそのまま虚空に漂う。周囲の重力を感知しつつ、静かに端末を起動。賞金首による被害報告地点――その座標に向かい、ほどなくして到達する。
浮かんでいたのは、襲撃を受けて漂流状態になった一隻の宇宙船。
外殻には複数の切断痕、スラスター周りは完全に破壊され、機能を失っている。クロはゆっくりと船体に接近し、端末のドローンと感覚を併用して内部を覗き込んだ。
――生存者、なし。
積載されていたと思われる貨物スペースは空っぽ。残骸にすら“物色された痕跡”が残っていた。
クロは静かに目を閉じ、再び開くと、その瞳に黄金の光が灯る。
「……わずかな“匂い”の痕跡」
人の目では到底見えない“粒子の流れ”――空気の揺らぎ、微量な残留電磁情報、残った熱反応、それらすべてを結合し、“視覚化”する。
すぐに、目の前の船とは異なる痕跡が浮かび上がった。
――まるで別の機体がいくつも入り込んでいたような足取り。その動きからは、荒っぽく漁ったような“流れ”が読み取れる。
そして、痕跡の中に――ひときわ巨大なシルエット。
「大型戦艦の反応……」
その“痕跡”はやがて空間の一方向へと続いていた。
クロはその軌跡を追うようにしてゆっくりと視線を移す。
「……あっちの方角か。しかし、宇宙図の読み方が……」
端末を操作して宇宙地図を呼び出そうとするが――慣れていないせいか、細かい領域区分がうまく掴めない。
「襲撃地点みたいに、最初から“印”でもあればいいんだが……」
ぼやきながら、クロは手のひらで端末を握り直す。だが、すぐに切り替えるように、目を細めた。
「……まあいい。追跡してみるか」
視界に浮かぶ“痕跡の光”を辿り、クロは宇宙を滑るように進んでいく。重力のない空間を、音もなく、抵抗もなく、ひたすら静かに。
そして、約30分後――
「……これは」
クロの目の前に現れたのは、まさに“漫画でしか見ない”ような空間基地だった。
小惑星帯の影に巧妙に隠されたドック型の構造物。大型戦艦が一隻、周囲にはごつごつした重装甲のロボットが数機。そこかしこに貼られたロゴマーク――牙を剥いた狼の意匠。
「おお……悪役の秘密基地、みたいだな。ロボットも、見るからに“悪党用”って感じだし……完璧だ」
クロは少し感動したように、思わず呟いた。
そして端末を操作し、浮かんでいるロゴを照合検索する。
「……あった。“ウルフジャック”か」
表示されたホログラムには、登録済みの海賊団データと共に、懸賞情報が浮かび上がる。
《ウルフジャック》
分類:宇宙海賊
構成員:約15名
戦力:中型戦艦1隻、軍用機6機
代表者:ジャック・ガルド
懸賞金:220万C(生死問わず)
クロは無言でその情報を見つめた。
「……220万C」
低く呟き、ふと目を細める。
脳裏に浮かぶのは、ギルドの壁――そして、あの請求書の数字。
「ちょうどいい。まずは、壁の修理代にさせてもらおう」
ごく自然に、そう言葉が漏れた。
だが――その声音には冷たさも、焦りもない。
ただ、静かに、確実に。“仕事”へと入る者の覚悟だけがあった。
そして、クロの視線が、目前に広がる隠れ基地へと鋭く向けられる。
その時、虚空に満ちた空気が、ほんのわずかに張り詰めた。
――狩りが、始まる。