マーケットの朝と可愛い用心棒
誤字脱字修正いたしました。
ご報告ありがとうございました。
「頭が痛い」
「気持ち悪い……」
朝のリビングに、アヤコとウェンの弱々しい声が重なった。原因は昨夜、初めて口にした酒――しかも加減も知らずに飲み干した結果だった。二人はソファに沈み込み、顔色は紙のように白い。
「二日酔いだな。情けねぇ、ノア。看病してろ。動けるようになったら三人で動け。クロ、お前は今日、俺の店の用心棒だ」
シゲルが短く指示を出す。
「分かりました。お二人は、しっかり反省してください」
クロは昨夜の“強制飲酒”を思い出し、わずかに眉をひそめながら、言葉に鋭さを加えた。
「う〜、もう飲まない……」
「同じく……」
二人はソファーの背から身を起こす力もなく、呻くように返すのが精一杯だった。
ノアは水を汲み、そっと差し出す。
「僕が見てますから、安心してくださいね」
「おう。行くぞ、クロ、クレア」
シゲルは立ち上がり、クロとクレアを伴ってランドセルのタラップを下り、マーケットの店舗へと向かった。
「まったく、酒に飲まれるとはな。情けないやつらだ」
「今回ばかりは、完全に同意します」
クロは即座に頷いた。クレアも肩の上から真顔で追従する。
「毒です、完全に」
シゲルは苦笑しながら歩を進める。
「あれか? ドラゴンってのは酒に弱い種族なのか?」
「……どこかの伝承で、そんな話があったような気がします」
クロは前世の物語を思い返す。ヤマタノオロチが八塩折之酒を飲み、酔ったところをスサノオが討伐した話や、神酒〈ソーマ〉を得たインドラが大蛇ヴリトラを討った話。竜や蛇と酒の組み合わせは、案外前世の世界中に転がっていたな……と、ぼんやり思いながら、苦笑を漏らした。
それを聞いたシゲルは、にやりと笑う。
「じゃあ、お前を倒すには、酒をぶっかければいいんだな」
「……まあ、本体は全長数キロですけどね。それだけの酒が集まれば、の話です」
クロは肩をすくめたが、続ける口調には静かな圧があった。
「それと、自分でも何をするか分かりませんよ。酩酊状態で惑星を一つ吹き飛ばすかもしれませんし」
「……やめとくわ」
シゲルはあっさり引き下がり、笑いながら店のドアを押し開けた。
「さて。クロ、お前は商品知識が皆無だ。だから今日はのんびりしてろ」
「了解です」
数分後、店の準備を整えたシゲルが、店先に顔を出した。朝の通りには活気が戻り始めており、レッド君はすでにいつもの場所に立っていた。それを見届けながら、シゲルはぽつりと口にする。
「レッド、お前は今日も昨日と同じことやっとけ。すこぶる評判良かったしな。……こうなったら、グッズでも作るか」
シゲルはニヤニヤと口角を上げながら、頭の中で試算を弾いていた。
「案外、受け入れられたんですね」
クロは意外そうに呟く。店舗前に向かい歩くレッド君の姿を目で追いながら。
「意外だったわ。おかげで新規が入りやすくなった。今までにない客層が来るようになったんだよ」
シゲルがうれしそうに口元をほころばせる。それに対抗するように、クレアが胸を張った。
「いえ、それは私のおかげです。かわいいと評判でしたから!」
豆柴サイズの黒い狼――クレアは、つぶらな瞳に艶のある毛並み、吠えもせずおとなしく座っているだけで視線を集める。そして自分でも、それをよく理解していた。
「いや、お前、昨日ずっとカウンターで寝てただろ」
シゲルの容赦ない突っ込みに、クレアはぴくりと耳を動かし、あたふたと振り向く。
「クロ様っ! 違いますよ! たしかに……寝てたのは事実ですけど、でも! ちゃんと護衛はしてました!」
クロはそっと視線を送る。それは「それは、護衛と言うのかな?」とでも言いたげな目だった。代わりにシゲルが肩をすくめて補足した。
「……寝言で“異常なし”って言ってたな。誰も聞いちゃいなかったが、焦ったわ」
「それは警戒行動の一種です!」
クレアはさらに声を張りながら胸を張る――が、
「……知らない人の前では、喋らないようにね」
クロが静かに釘を刺すと、クレアは貼っていた胸をしゅんと縮め、ぺたりと耳を伏せて顔を伏せた。
シゲルはその様子に笑いを堪えながら、つぶやいた。
「……クレアも、確かに客寄せにはなるな。ほんと、グッズでも作るか……」
その目はすでに、商人としての光を帯びている。
「作ってもいいですけど……いくらかは、もらっても?」
クロが何気なく返すと、シゲルはぎょっとしたように目を細めた。
「……クロ、お前……今、なんて?」
その目は問いかけるというよりも、軽く睨むような鋭さがあったが――
「学んだんですよ。お姉ちゃんやお父さんから」
そう言って微笑むクロに、シゲルは一瞬きょとんとした後、腹の底から吹き出した。
「確かに、だわ! 俺たちでもそうするわ!」
肩を揺らしながら楽しそうに笑うと、クロの頭に手を伸ばし、やわらかく撫でる。
「お前も、だんだんレッドラインの一族になってきたな」
その声には、嬉しさと誇らしさがにじんでいた。