静寂の中の帰還
漆黒の閃光がすべてを呑み込み、第七艦隊が塵と化してから――宇宙には、静寂だけが残されていた。
バハムートは宙域に佇み、なお残る怒りの余熱を沈めるように、深く息を吐く。
「……ふぅぅーーーー……クソッ」
言葉の最後にわずかな感情の尾が残り、空間の温度すら変わったかのようだった。
その背後でヨルハが一歩進み出る。彼女もまた、フロティアンの所業に怒りを覚えていた。
「バハムート様。……お気持ちは、よく分かります。この際、フロティアンごと掌握なさっては?」
その声音には、揺るぎない忠誠と、主を正しく導こうとする意志が宿っていた。
だが――バハムートは、ゆっくりと首を横に振った。
「いや……いい。俺は怒りに呑まれてしまっていた。……少し、大人げなかったな」
その声には、怒りを燃やし尽くした後の静謐があった。激情に走るだけの存在ではない。――“理性”を持つ“神”。それが、バハムートだった。
「……いえ、致し方ないことかと、私は思います」
ヨルハは静かにそう告げながら、主の傍らへと歩を進めた。
「帰りましょう」
その一言。それだけで、バハムートは救われた気がした。
「そうだな。その前に、擬態してからだ」
バハムートはゆるやかに姿勢を落とし、身を内にたたんでいく。巨大な外殻が収束を始め、関節部から装甲が滑り込みながら形を変える。思い描いた姿――己の中にある“格好良さ”の具現として、擬似装甲が組み上がっていく。ハンター証に登録されているクロの機体へと、静かに、しかし確かな意志と共に変化していった。
ヨルハもまた擬態を開始する。漆黒の毛並みが硬質の光を宿し、筋繊維が収束するように輪郭を細めていく。節構造を思わせる四肢に鋭利な爪、背面には刃の鬣が走り、まるで主の美意識に倣うかのように、その姿は研ぎ澄まされた。
擬態が完了すると、ヨルハは軽やかに跳躍し、迷いなくバハムートの肩へと着地した。
「ヨルハ、帰るぞ!」
「はい!」
転移の光がふたりを包み込む。空間がわずかにたわみ、視界が波紋のように揺らぐ。風景が押し寄せるようにして塗り替わり、世界の輪郭が別の位相へと滑り込む。
次の瞬間、バハムートはいつものドックで仰向けに収まっていた。その胸元には、伏せるように寄り添うヨルハの姿。ふたりの意識は穏やかに沈み、主はオンリーワンにいる分身体――クロへと意識を返していく。
目を開けると、そこは宴の最中の店だった。
「起きました?」
ノアが、手にジュースを持ちながら声をかけてくる。
「はい。皆さんは?」
クロが周囲を見渡すと、そこにいたのはノアと、同時に目を開けたヨルハだけだった。
ノアは軽く振り返りながら言った。
「あそこで皆さんと話してます。シゲルさんが顔を売ることと、表と裏の技術の習得でお話ししてますね」
そう言って指をさす先には、シゲルとアヤコ、そしてウェンの姿があった。見知らぬ技術者や商人たちに囲まれながらも、彼らは言葉を尽くし、真剣に何かを伝えようとしている。
「どうやら濃ゆい人たちに囲まれて、苦労してるみたいです」
ノアは苦笑を浮かべながら、テーブルの上に視線を落とした。
「クロさんとクレアさんの分が、まだありますよ」
「ありがとうございます」
クロは柔らかく礼を述べると、指先で皿の上の肉をひとつまみした。調味された香りがふわりと立ちのぼり、湯気の中にわずかに残る素材の名残が、鼻先をくすぐる。
一口、口に含むと、繊維の裂ける感触とともに濃厚な旨味が舌に染みた。
「美味しいですね。……元がゴムとは信じられない」
思わず呟いたその声に、隣から別の影がぴょんと跳ね上がった。
クレアだった。テーブルに軽やかに着地すると、皿に顔を近づけ、じっと肉を見つめてから、無言のまま一切れをくわえる。咀嚼の仕草はあくまで静かで、けれどどこか満足げだった。
「同じくです。料理という名の構築には、今も目を疑います」
ノアの言葉に、クロはちらりと見て、こくりと頷いた。
異世界の常識を受け入れた転生者と、かつて人として生きた者。立場は違えど、ふたりの間には、わずかな共鳴のようなものがあった。
そうして、宴の喧騒に混じるように。誰も気づかぬうちに、オンリーワンの脅威は、静かにこの場所から去っていた。