すでに見下ろされている
一部間違いがありましたので修正いたしました。
誤字脱字の修正しました。
ご連絡ありがとうございました。
ノーブルが「奢る」と言った瞬間、アヤコの目が輝いた。それからというもの、店内にある高級茶器や希少な茶葉が、次々と彼女の腕の中に収まっていく。まるで制限時間つきの買い物レースのようだった。
「……これ、全部?」
呆れたように尋ねるノーブルに、アヤコは悪びれもせず頷いた。
「だって、滅多にない機会だし!」
苦笑を浮かべながらも、ノーブルは端末を操作してすべての購入を許可する。そのまま支払いを済ませたあと、ふとクロの方へと視線を向ける。
「動くなら――夜にしなさい。できれば、アリバイも用意しておくことね」
そう忠告を残し、ノーブルは軽く手を振って去っていった。
「クロ……本気?」
両手いっぱいに袋を抱えたアヤコが、不安げにクロの横顔を覗き込む。
「ええ」
クロは短く返しながら、湯呑を持ったままゆっくりと頷いた。
「もし本当にここが狙われているなら、私たちにも被害が出る可能性があります。それに――ハンターとして、手を出せるのは基本的に“仕掛けられたとき”だけ。でも」
視線を静かに遠くへ向ける。声の調子は、さらに淡く、冷ややかに落ち着いていく。
「……ハンターのクロは動きません。けれど、動くのは――“世界最高額の賞金首”です」
それは、誰にも止められない存在。その言葉の余韻が静かに残る中、アヤコは小さくため息をついた。
「……ほどほどにしてよね。ほんとにもう」
苦笑を浮かべながら、両手いっぱいの荷物を見下ろす。茶器に茶葉、それからおまけの菓子まで。嗜好品とは思えないほどの重量が腕にずっしりとのしかかっていた。
「とりあえず、一旦トイレ行こうよ。この荷物――クロの別空間に仕舞っちゃお。もう両手が塞がって動けないし」
口では文句を言いながらも、その目元には楽しげな光が宿っていた。
二人は施設内の個室トイレへと入り、アヤコの腕から荷物を順に受け取ったクロが、それらをすべて別空間に格納する。肩が軽くなったアヤコは「はー、助かったー」と両腕をぶんぶんと振り回しながら、再び通路へと戻った。
そこからは、再び店巡り。日常の延長のように見えたそのひとときだったが――不意に、アヤコの足が止まる。
「……あ」
視線の先。そこにいたのは、並んで歩くウェンとノアの姿だった。
「復活してるじゃん、あの二人……クロ、ちょっとあとついて行かない?」
アヤコは意地の悪い笑みを浮かべ、唇を釣り上げる。その横で、クロは小さく苦笑しながら首を振った。
「やめましょう。二人にしておいてあげたほうがいいですよ。面白い気持ちはわかりますけど」
「……クロに、忠告されるとはね!」
アヤコはむくれたように言いながらも、どこか楽しそうだった。
その頃、フロティアン国境宙域。その先に広がるのは――星間条約で定められた不干渉領域。
本来、この宙域に軍艦を展開することは明確な条約違反にあたる。だが――その壁を破るための抜け道は、すでに用意されていた。
『※ただし、軍による不法侵入の追跡、怪獣種の接近、または国際的犯罪組織の活動が確認された場合は、この限りでない』
「この一文のために、どれほど周到に根回しをしたことか……」
フロティアン軍第七艦隊司令、クリフィス中将は通信パネルに指を滑らせながら、吐き捨てるように呟いた。目の前に映し出されたのは、眼鏡越しに冷たい光を宿すフロティアン軍総司令――そして国家元首を裏で操るディク・バオウル大大将だった。
『状況報告を』
抑揚のない命令に、クリフィスはすぐさま姿勢を正し、軍礼を取る。
「不干渉領域内に、小惑星体が流入した痕跡を確認。軌道予測および交戦空間への誘導配置は完了。作戦はいつでも実行可能です」
『……あの艦。帝国から血を吐くような手間と代償を払って手に入れた品だった。それが辺境の寄せ集めに奪われ、護衛組織まで潰された。情報流出は、もはや確定と見ていいだろう』
バオウルの言葉には、もはや怒りすらなかった。ただ――徹底した結果主義と失敗への冷酷な断罪の色だけが、静かに漂っていた。
「申し開きの余地はありません。不法侵入艦の追跡という名目は、今回の作戦では使えなくなりました。しかし――代わりに、“怪獣迎撃任務”という正当な軍事行動が確立されています」
クリフィスはそう述べながら、指先でホログラムの出力を切り替える。
投影されたのは、全長およそ520m、機械骨格の外殻にホログラフィック擬装を纏った巨大機体――その姿は、最高額賞金首に語られるバハムートの外形を模していた。
「《模擬兵装体・バハムート仕様》――旧型艦骨格をベースに構成した大型機動ターゲットです。熱源出力、EMシルエット、挙動特性、いずれも実戦で確認された“本物”に極限まで寄せています」
『武装は?』
「ありません。完全な非武装体です。あくまで、標的役ですから」
その言葉に、大大将の眉がわずかに動いた。
『……つまり、“バハムートの突発侵入”と記録し、我々が対処に動く、というわけか』
「はい。事前に登録していた“想定脅威番号A-777”に該当させ、発見と同時に交戦ログを送信。中立監視衛星にも“即応対応”の既成事実を残します」
『……万が一、射線が小惑星に流れ込めば?』
「記録上は“標的追跡中に、進路上に小惑星が割り込んだ”形になります。戦術AIに処理させれば、意図性は認識されません。戦術レビューも“不可避”で通せます」
バオウルはわずかに顎を引き、沈黙のまま視線を落とした。
『――フロティアンの軍政は、過ちを許さぬ。……わかっているな、クリフィス』
「はっ。命に代えても成功させてみせます、大大将閣下」
だが、彼らは知らない。
情報はすでに洩れていた。“偶然”ではない――“確実に察知されたうえで”、その作戦は見下ろされている。
小惑星の陰で、黒髪の少女が静かに準備を整えていた。この宇宙で最も強大な存在が、確実に――彼らの背後にいることなど、露ほども知らずに。