茶卓の上の軍機
「クロ。……よかったの?」
アヤコが心配そうに顔を覗き込む。その視線にクロは、穏やかに頷いた。
「昨日、飛び込むことを知れと――説教されましたので。ここの小惑星全員分の命と引き換えに、ですけど」
冗談めかしながらも、その言葉にはほんの少しだけ、苦味が混ざっていた。クロは大きな湯呑を手に取り、一口含む。すぐに顔をしかめ、小さく「熱っ」と呟くと、フーフーと息を吹きかける。
「……ここに来る前の私なら、正体を晒すような事態は避けたでしょうね。あるいは、強制的に“口を閉じさせた”かもしれない」
言葉を切り、ふたたび湯呑に口をつけるが――やはり熱かったのか、またしても小さな声を漏らして息を吹きかける。その仕草はどこか愛嬌すらあった。
「でも、今は違う。アヤコやノーブルみたいに……俺の正体を知っても、普通に話してくれる人たちがいる。だから――少しだけ、柔軟になってみようかと思った」
そう語るクロの声音は、かすかに和らいでいた。その言葉にアヤコは感心したように頷きながら、ただ一点だけ気になる部分に口を尖らせる。
「成長したんだね……でも、それって、じいちゃんにバラされたの?」
「はい」
クロはしっかりと頷きながら、目の前の土龍ゴマ団子に箸を伸ばした。表面は香ばしく揚げられており、口に入れた瞬間に立ち上がるゴマの芳ばしい香りが、記憶の奥にある“懐かしい味”を呼び覚ます。カリッ、と歯に響く音。中からとろりと現れる濃厚なあんこ。そこに忍ばせてあるクルミが、コクと食感のアクセントを添えてくる。
(……やっぱり、いい。この香ばしさと、噛んだときの歯ざわり。それに、このあんの甘さをしっかりと受け止めてる団子の生地。クルミ……だな。香ばしくて、いい風味だ。……ただ、熱い)
思わず眉をひそめながらも、クロは幸せそうにもう一口頬張った。
一方その頃、アヤコは怒りを露わにしていた。
「もーっ、じいちゃんってば、勝手なことばっかりして!」
頬を膨らませながら高狼紅茶に手を伸ばし、一口。――その瞬間、眉がほどけた。
「あっ……おいしい……」
素直な感嘆が、ため息のようにこぼれ落ちる。
(渋みがちょうどいい……たぶんダージリン。それもセカンドフラッシュかな? 香りが深いし、余韻も長くて……すごい)
すっかり憤りが霧散したアヤコは、続けてウサビーツソースのかかった杏仁豆腐にスプーンを伸ばす。真っ白な杏仁の上に、ほのかに紅色がかったソースが艶やかにかかっている。
一口。
(なにこれ……! 甘さの中に、ほんのり酸味。それが杏仁のなめらかさと合わさって、絶妙)
思わず目を丸くし、さらにもう一口――今度は紅茶を含む。
(……甘さが残るから、紅茶の味がまた変わる。さっきより丸くなった気がする)
変化を味わいながら嬉しそうに頬を緩めるアヤコの様子を見て、ノーブルは小さく笑った。
「……面白いな、君たちは」
そう呟いて、湯呑を持ち上げる。口に含んだ緑茶の渋みと深みが、すっと心を整えてくれるような感覚を残す。クロは静かに湯呑を置き、視線をノーブルへ向けた。
「ノーブルさん、一つお伝えしておきたい情報があります」
「……何だ?」
ノーブルがゼリーを一口すくいながら、興味深げに応じる。クロは落ち着いた口調で続けた。
「フロティアンは、フォトン社製の兵器で軍備が統一されているのはご存知ですね?」
「もちろんだ。……それにしても、このゼリー、美味いな」
満足げに呟きながら、ノーブルは頷いた。
「では、確認します。クォンタム社製の大型軍用輸送艦が二隻。これがフロティアン軍に配備されているという可能性は――ありますか?」
クロは烏龍茶を一口啜りながら、静かに視線を送る。ノーブルはその問いに、一瞬目を細めた――が、手元にある湯呑を口元へ運んだ瞬間、その仕草にわずかな空気の緩みが走る。どう見ても格好をつけたかったようなのだが、茶を啜る際に軽く「ズッ」と音が鳴ってしまい、台無しになった。本人もそれを悟ってか、小さく咳払いしてから言葉を返す。
「あり得ん。クォンタム社は帝国直轄の軍事企業だ。スペックの一部こそ公開されてはいるが、あれは“見せ札”に過ぎん。実際の性能や構造、制御コードなどは軍機の中でも最上級の秘匿対象だ。他の軍に卸すなど、かなりの型落ちでない限りまずあり得ない。仮に現行型を渡したとなれば、それはもう帝国がフロティアンに何らかの政治的譲歩を行ったに等しい」
目を細めながらも、まだ湯呑を持っていたせいで、どうにも威圧感が締まらない。だが、その内容には一分の隙もなかった。
視線が交差する一瞬の間の後、アヤコが手元の端末を操作し、ホログラムを静かに浮かび上がらせる。
「じゃあ――これは?」
ホログラムに映し出された艦影は、角ばった装甲と無駄のない設計が印象的だった。背部には推進ユニットがあり、いかにも帝国直系の最新鋭艦と呼ぶにふさわしい重厚さを放っている。
「この形、見覚えない? クロの所有する、大型輸送艦のフォルムなんだけど」
ノーブルは動きを止め、湯呑を卓へ静かに置く。そして、映像に目を凝らした――
「……クォンタム社の最新鋭輸送艦……間違いない。それも、ごく最近建造された型だ。……これを、お前が所持しているのか?」
言葉には驚きと戸惑いが混じっていたが、疑念の色はなかった。
クロは目線をホログラムに残しつつ、口を動かしていた団子を一息に噛みしめる。ふと視線をテーブルへ落とすと、どこか遠い記憶をなぞるように静かに頷いた。
「……フロティアンで手に入れました。正確には、フロティアン軍が輸送中――“犯罪組織に襲撃されたというてい”で横流ししていたものを、私が叩きのめし、手に入れたという流れです」
その口調は一切の誇張も興奮もなく、まるで茶をすするように静かだった。ただの出来事として語るその声は、場の空気をわずかに変えるほど、淡々と、そして重かった。