地獄の開店準備、そして家族の距離
ドックへ戻ってきたクロとシゲルを迎えたのは、すでに荷下ろしを終えたランドセルの姿だった。
カーゴからはすべての積み荷が運び出され、残るは奪取した戦闘機や機体のみ。その傍らでは、アヤコたちが談笑している。
二人が歩み寄ると、アヤコがすぐに気づき、むくれたように声を上げた。
「遅い! どこ行ってたのよ!」
「この小惑星の主に挨拶だ。お前に任せられるわけないだろ」
そう言って、シゲルはアヤコの額に軽くデコピンをかました。
アヤコはおでこを押さえながら、ぶつぶつと文句を漏らす。
「で、商品はじいちゃんの専門店に運び込まれたけど……残りはどうすんの?」
そう言って、戦闘機や機体のほうを顎で示す。
「別の保管庫に預ける。売れなきゃバラして、パーツだけでも捌くさ」
そう言いながら、シゲルは手元の端末で指示を出した。
すると、ドックの床面に仕込まれていたハンガーベースが音もなく展開され、機体を一機ずつ運び出していく。
「さて、店に行くぞ」
「おじさん、ランドセルで寝泊まりしないの?」
ウェンが首をかしげるように問いかけると、シゲルは笑いながら答えた。
「寝泊まりはするが、まだ店の準備が終わっちゃいねぇ。今夜は徹夜だな」
その宣言に、周囲からは小さなため息と共にげんなりとした視線が向けられる。
一行は仕方なさそうに、エレベーターへと向かった。
ほどなく扉が開くと、マーケット専用フロアには無数の商店が並び、その中で店主たちが開店準備に追われていた。
シゲルは手慣れた様子で人々に声をかけながら、自分の店舗へと歩を進める。
奥まった位置にあるその店は、周囲よりも一回り広い構造で、看板には赤文字でシンプルに「レッドライン店」と記されていた。
だが、店内の棚はまだ空っぽだった。売り場の片隅に置かれた販売用ツールキットだけが、これから始まる長い夜を静かに告げている。
「俺とウェン、それにノアは、ツールを使って3DCGモデリングに入る。商品登録、それから値段・説明文・スペック――抜けがないか、しっかりチェックしろよ」
シゲルは手を叩いて皆の注意を引くと、間髪入れずに次の作業を割り振った。
「アヤコとクレア、それにレッドは展示配置だ。モデリングが済んだ順に棚に並べろ。センス良く、だぞ。クレア、アヤコの指示どおりに動けよ」
そして、クロへと視線を向ける。
「クロ、お前は店の裏に自動配達された荷物が届いてるはずだ。それをカウンター裏へ運べ。壊すなよ。それと、タグが必ず見える位置で仕舞え。間違えると地獄を見るぞ」
一拍置いて、声を張り上げる。
「ほら始めるぞ! 動け動け、夜が明けちまう!」
こうして、“地獄の店出し作業”が幕を開けた。
中には、海賊から押収した戦利品も含まれていたため、取り扱いには細心の注意が必要だった。作業は予想以上に手間取り、終わりが見えない。
それでも、誰一人手を止めることなく、黙々と役割をこなしていく。
気づけば、マーケット天井の空模様――擬似的な映像世界が、淡い朝焼けの色を帯び始めていた。
そして、最後のひと品が棚に並べられたその瞬間、開場を告げるチャイムがマーケット全体に鳴り響く。
ギリギリまで続いた店出しが終わると同時に、マーケットが華やかに幕を開けた。
「ギリギリだった……」
アヤコがそう言って大きく息を吐くと、シゲルはぐるりと店内を見渡した。
「店番は俺と、護衛にクレア。それとマスコットのレッドだけで充分だな」
そう言いながら、シゲルはウェンとノアに視線を送る。その表情には、ほんの少しばかり悪戯めいた色が混じっていた。
「いいか、動くときは必ず二人一組。ウェンはノアとだ」
その言葉に、ウェンとノアが思わず顔を見合わせる。お互い、ほんのりと頬が赤く染まったが、誰もそこには触れない。ただ、ニヤついた顔が増えるだけだった。
「アヤコはクロと組め。俺はクレアと組む」
そう言って、シゲルはクロの肩にいたクレアをそっと手に取るようにして、軽く腕を差し出す。
クレアは一瞬、じとっとした目でシゲルを見上げたが――ふん、と小さく鼻を鳴らし、しなやかに肩へと飛び移った。
その動作には、どこか不本意ながらも納得しているような気配があった。
「これで客寄せも護衛も完璧ってわけだ。よし、楽しめ。解散!」
威勢よく言い放ったあと、シゲルはカウンターへと向かい、レッド君の前で足を止めた。
「レッド。お前は店の前から動くな。客が入ってくるときと、出ていくときだけ手を振れ。それで充分だ」
レッド君は律儀に頷き、定位置で待機に入る。
その様子を横目に、ウェンがノアへと提案する。
「とりあえず、一回船に戻って寝よ。お昼になったら、お店を見て回ろうよ」
ノアは小さく頷き、二人は並んでランドセルへと戻っていった。
「じいちゃん、あの二人を組ませたの……わざとでしょ?」
アヤコが意地の悪い笑みを浮かべて問いかける。
すると、同じくニヤリと笑ったシゲルが返す。
「当たり前だろ。あの距離感、どう転んでも面白ぇし……スミスにゃ、いい土産話になる」
ふたりのやり取りを見ていたクロは、ふっと小さく息を吐いた。
「……似た者家族ですね」
その声には、呆れと、どこか微笑ましさが滲んでいた。
クロの目は、遠ざかっていくウェンとノアの背中を――家族のような距離を見守るように、静かに追っていた。