名乗り、そして明かされる血脈
(――あなたは誰か。そんなの、決まってる)
クロは一拍置き、まっすぐにオンリーを見据えた。揺らぎのない瞳に宿るのは、自身に対する確信と、目の前の“唯一”に向けた敬意。
「私は、私です。あなたと同じ、この世界で“オンリーワン”の存在です」
その瞬間――
オンリーの瞳が細くなり、次の瞬間には、陶器のように整った顔に極上の笑みが浮かぶ。
「……そうよね。あなたは“あなた”。そして私は“私”。この世界で唯一無二の存在。みんな、それでいいのよ」
ゆっくりと頷きながら、オンリーはシゲルとノーブルの方へ視線を向け、楽しげにくすりと笑った。
「いい子ね、この子。あなたたちと同じ答えを口にするなんて、滅多にないわ。大抵は――“世界最強”だの“神に選ばれし者”だの、滑稽なことを言い出すものよ。それも、誇らしげにね」
その声にはどこか優越すら滲んでいたが、それは見下しではなかった。ただ、“正しく見ている者”に向けた本物の称賛だった。
そんな中、背後の気配が静かに動く。
トバラが銀のトレイに茶器と器を並べ、無音の所作でテーブルにセットを整えていた。深みのある陶器には、琥珀色の香り高い茶が湯気を立てている。
クレアの肩を軽く撫でながら、クロはそっと声をかける。
「クレア。行っておいで」
クロの合図に、クレアは一つ頷き、すっと肩から飛び降りる。そして、丁寧にトバラの元へ歩み寄ると、用意された深皿のミルクに小さく鼻を寄せ、一口ずつゆっくりと味わい始めた。
「……お利口さんね」
オンリーが微笑みながら言い、再び視線をシゲルに向ける。
「さて、シゲルちゃん。――どうしてクロちゃんを、私に会わせようと思ったの?」
シゲルはお茶を音を立ててすする。この空間でも相変わらず己を崩すことなく、まるで縁側で茶を飲むかのようにくつろいでいた。
そして、カップを置いた彼はふと声を上げる。
「ノーブルもいるなら都合がいい。俺のことを少し話しておこうと思ってな。ついでに――こいつのこともな」
そう言って、隣に座るクロへと視線を送る。まるで天気の話でもするかのような軽さで続けた。
「ノーブルを見れば察しがつくだろうが……俺には一応、皇帝の血が流れてる。継承権? まあ、そんなもんはとっくに捨ててきたがな」
あまりにあっけらかんとしたその口ぶりに、オンリーは唇の端を持ち上げて微笑む。
一方、ノーブルはまるで冗談を聞いたかのような顔で言った。
「シゲル……嘘はやめろ」
そのままクロへ向き直り、真顔で言い放つ。
「いいか、こいつの言ってることは――嘘だ」
クロは一瞬驚き、だがほっとしたように息を吐きかけた。
「ですよね。流石にそれは……」
だが、次の瞬間。
「――継承権なら、まだある。兄上が亡くなった今となっては、むしろ正当性でいえば私より“上”の席にいるかもしれない」
ノーブルの口から出たその言葉に、クロの思考が一瞬、停止する。
「え……?」
呆然とするクロを前に、シゲルは肩をすくめた。
「アホか。うちの親父はもうとっくに死んでる。それに、皇族は正式に抜けて“ゲイツ”の姓も捨てたんだ。それだけじゃねぇ。爺さんの次男も健在だ。血があるってだけで席が回ってくるほど、あの魔窟は甘かねぇよ」
言い終えたシゲルは、再びお茶をすするときも、どこか飄々としていた。
「それにさ……俺が皇族って柄か? アヤコもそうだが、今さらって感じだろ」
そう言って、今度はクロに視線を向ける。
「アヤコには内緒な。……まあ、言っても信じねぇだろうけどな」
クロは一瞬だけ瞬きをし、それから小さく頷いた。
「……わかりました。でも、一つだけ合点がいきました」
そこまで言って、彼女もまたカップに口をつける。ほのかな香りが広がる中、言葉を静かに続けた。
「たぶん……皇帝も、あなたと同じ“人たらし”なんでしょう。でなければ、これほど交友が広がるとは思えません」
その声は皮肉ではなく、事実を受け入れた上での納得だった。
その言葉に、シゲルは苦笑しながら肩をすくめる。
「おいおい、爺と俺を一緒にすんなよ……面倒事が倍に増えそうだ」
そう言って顔をしかめるシゲルに、オンリーはくすくすと楽しげに笑みを浮かべた。
「人たらし、ね。……その通りだと思うわ。だからこそ、私もノーブルも――こうして、あなたと向き合っているのよ」
視線を交わしながら、隣にいたノーブルも小さく笑った。
「ええ。初めて聞いたときは信じ難かったけれど……父上から聞かされていた“兄上”の話。そして、お父様に似た“人たらし”。……納得するしかなかったのです」
その回想に、ノーブルの口元がわずかに和らぐ。一方、話題の本人はうんざりしたように眉を寄せ、ぼやいた。
「こいつ……昔からしつこかったんだ。『一度でいいから会ってくれ』ってな。……ま、全部断ったけどよ」
それを聞いていたクロは、あきれたように、しかしどこか納得した表情で言葉を漏らす。
「……ということは、ここまで話されたということは――」
視線をシゲルに向ける。シゲルは無言で頷き、顎をしゃくるようにして、そっと二人へ合図を送る。
その仕草を受け取ったクロは、ため息をひとつ。
「……はぁ。だったら、事前に言っておいてください」
クロは呆れ半分に息をつきながら、自然と視線をクレアへ向けた。
ミルクを飲み終えたクレアは、今ちょうどトバラに口元を優しく拭われている最中だった。トバラはその小さな顔を包むように、細やかな所作で柔らかな布を扱い、まるで壊れ物を扱うような慎重さだった。
「……クレア」
クロが一言だけ声をかけると、トバラは即座に手を止め、クレアは礼を込めてわずかに頭を下げた。それを合図に、クレアはぴょんと軽やかに跳び上がり、クロの肩へと滑らかに戻る。
その動きに、トバラは「お見事」と言わんばかりの静かな微笑みを浮かべた。
クロはクレアの背を一度そっと撫でてから、ふたたび正面を向く。
「――さて。では、話しましょうか」
肩の上で身じろぎしたクレアも、まるで同意するように尾を揺らしていた。