オンリーワン、境界を越えた都市
スペースゲートを抜けた後も、〈ランドセル〉は通常航行に切り替え、目的地へと向かっていた。艦橋の外には、同様にゲートを抜けた無数の艦艇が航行を続けている。まるで星々が一斉に目指す一点――それが、この宙域最大のマーケットだった。
その中で、シゲルの元には次々と通信が飛び込んでくる。
『シゲルさん、お久しぶりですね。今回の目玉は何です?』
「今ここで教えるバカがいるか。店に来な」
次の通信では、どう見ても商人には見えない荒っぽい男が、画面の向こうで笑う。
『シゲル~。いいモン持ってきてんだろうな?』
「当たり前だ! 俺がダメなの持ってきたことあるか?」
続いて現れたのは、高貴な装いの女性。
『シゲルさん。今回も、とても楽しみにしていますわ』
「おう。親父さんにもよろしく伝えといてくれ」
そして極めつけは、全身筋肉の男が低く唸るように――
『……おう』
それに対し、シゲルが即座にツッコむ。
「お前なぁ! たった一言だけのために通信してくんな!」
次々と鳴り響く通信に、最初こそ艦内は笑いに包まれていた。
だが――
その回数が10、20と積み重なり、相手の顔ぶれがあまりにも多種多様であることに気づく頃には、艦内の笑いは徐々に静まり、空気が変わっていった。
アヤコ、ウェン、ノアの三人は思わず顔を見合わせ、表情には困惑と――どこか「引き」の感情すらにじんでいた。
クロとクレアは言葉を失ったまま、ただシゲルを見つめていた。
「じいちゃん……ちょっと、怖いよ。その顔の広さ……」
「うん……」
ウェンが小さく呟き、そしてノアが、おそるおそる口を開く。
「……あの、シゲルさんって……ただのジャンクショップの店長じゃ……ないですよね?」
控えめなその言い方には、ノアなりの礼儀と戸惑い、そして確かな疑念がにじんでいた。
シゲルは、通信対応の合間にふと肩をすくめ、ニヒルな笑みを浮かべる。
「……ただ、長生きしただけさ」
それだけを言い残して、また別の通信に応じるためにホロパネルへと視線を戻していった。
その背中に、もう誰も追及の言葉を重ねることはできなかった。
その間にも、ランドセルはゆっくりと目的地に近づいていく。
最初はただの岩のように見えていたその構造体が、距離を詰めるごとに次第に巨大な“施設”の全容を現し始めた。
厚い岩盤に人工構造物が組み込まれ、外殻全体には精緻な補強と外壁シールドが施されている。
通信の応酬がようやく収まる頃――視界を覆うほどの“存在感”が艦橋のウィンドウ一面に広がっていた。
「まさか……小惑星をそのまま使っているとは……驚きですね」
クロが小さく呟いた。
その瞳には、かつて星を見守り続けた数千年の記憶が宿っていた。そして今――クロは、眼前に広がる圧倒的な規模の構造物を、静かに、深く見つめていた。外殻には人工的な構造物が幾重にも組み込まれ、周囲では大小さまざまな艦艇がひっきりなしに出入りしている。その規模、機能、密度――どれを取っても、彼女がかつて見てきた常識の枠を軽々と超えていた。
シゲルは満足げに頷き、手元のホロパネルを操作する。
「どうだクロ、言った通り驚いたろ?」
彼の操作に応じ、艦橋の空間に巨大な立体投影が広がった。小惑星の断面を模したその全体図は、もはや都市というより、“もう一つの星”だった。
「このオンリーワンはな。かつて資源採掘で中身がスカスカになった小惑星を、まるごと一つ“都市”に作り替えたもんだ」
立体構造のホログラムには、居住区、マーケット、商業層、管理中枢、交易ドックなどが層状に重なり、まるで地下都市のように描かれている。
さらに重力制御システムにより、地表に近い環境を維持した“都市型内部構造”が施されていた。
「言ってみりゃ――“独立国家”だ。ここじゃ、どこの国家の法律も通用しねぇ。秩序はあるが、権威はない。……だが、それがいいんだよ。だからこそ、表には出せない“本物”が集まる」
その言葉には、ただの商人には到底出せない“重み”がにじんでいた。
クロは静かに頷く。クレアも黙って前方の構造物を見つめたまま、何かを感じ取っていた。
やがてランドセルは、ホログラムに示されたドックA-5に向けて、ゆっくりと進路を取っていく。
遠ざかっていた重力の感覚が、微かに艦内へと戻り始める。入港に伴う重力制御の変化が、わずかな揺らぎとして肌に伝わった。
クロはその感覚を受け止めながら、ブリッジ越しに映る景色を静かに見つめる。そして、小さく――けれど確かに、微笑んだ。
「……数千年、監視してきたかいがありましたね」
それは誰に向けたというわけでもなく、ただ隣にいるクレアにだけ届くような、小さなひと言だった。