宙を渡る日常、夜を見守る者
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スペースゲートを進む艦内で、いつものように夕食の時間が訪れた。リビングと直結したキッチンでは、既に準備が始まっている。
「……いまだにご飯が渦巻いて出てくるのには、慣れませんね」
「同感です」
クロとノアは、ご飯専用の調理ユニットからソフトクリームのように巻き出される炊きたてご飯を眺めながら、静かに顔を見合わせる。この世界ではご飯は炊くものではなく専用のゼリーから構成される物であり、未だ適応しきれないでいた。
一方で、アヤコとウェンは新しい調理器に新しいメインプレートを装填し、ディスプレイに表示されるメニューを見ながら楽しげに盛り上がっていた。
「今回はちょっと奮発して、いいやつにしたからレシピが多いんだよね」
「すごいね! まさか一台でお菓子まで作れるなんて……!」
画面に次々と表示されるメニューに、ウェンの目が輝く。その表情には、選びきれない幸福と、食の楽しみに対する素直な喜びが滲んでいた。
リビングでは、テスト航行中のアヤコ特製長距離自動操縦に切り替えたシゲルが、すっかり自宅に戻ったかのような顔でソファに腰掛けていた。手元には西京焼きと白ご飯、味噌汁という定番の和食セット。片手にはノンアルコールビール。そして目の前のホログラムモニターでは、録画しておいたバトルボールの試合が映し出されている。
既にクレアに狙われることを計算済みのシゲルは、サラミを二皿用意していた。案の定、その一皿はとっくにクレアの前へ移動済みだった。
クレアはサイコロステーキをぺろりと平らげたあと、器用な前足でサラミの皿を引き寄せ、シゲルの隣に陣取ってモニターを見上げる。口元にはサラミをくわえながらも、目は真剣そのもの――試合展開にすっかり入り込んでいた。
そんな二人の様子は、宇宙を旅する輸送艦の中とは思えぬほど穏やかで、まるで日常そのものだった。
「クソっ! 何でそこでタックルしねぇんだよ! ボールを落とさせるならタックルがセオリーだろうが! なんでカウンター狙って殴りかかるんだ! 技量もねぇのにノックアウトされやがって!」
画面の中で選手がノックアウトされた瞬間、守備に転じたチームが一点を得て審判からチェンジが言い渡される――バトルボール独特のルールが表示され、モニターが切り替わる。
「野球っぽいけど、全然違うんですね……」
ノアがご飯を運びながら目を丸くして画面を覗き込む。クロも苦笑しつつ、茶碗をテーブルに置きながらモニターに目を向けた。
「ええ。投げて打つまでは似ていますが……その後は完全に格闘技ですね。いまだに、ルールの全容は掴みきれていません」
クロがそう口にした瞬間、テレビから大歓声が巻き起こった。
「このクソガキ、ホームランなんざ撃たれやがって……喝が足りねぇんだよ、喝が」
シゲルがソファで悪態をつく。モニターには、拳を突き上げて塁を回る選手の姿が高々と映し出されていた。
「じいちゃん、食事中なのにだらしない」
「父さんとは違うね。家だと、食べ終わってから静かに観てるよ」
アヤコとウェンが呆れたように返すが、二人の手にはコロッケと副菜の温野菜が添えられたプレートがあり、それをソファ前のテーブルへ運んでいた。
やがて席に着き、クロ、アヤコ、ウェン、ノアの順でテーブルを囲む。
クロとアヤコは黙々と食事を取りながら、画面の展開を追っていた。ウェンとノアは料理の感想や選手の動きについて小声で話しながら、和やかな食卓を楽しんでいる。
シゲルはちらりとその様子を見やり、ノンアルコールビールの缶を手に、口の端を上げた。
(……こりゃ、スミスに面白ぇ土産話ができそうだな)
そう思いながら、ごくりとビールを喉に流し込む。
その隣では、サラミを食べ終えたクレアが満足げな顔でクロの膝に跳び乗り、そのまま身体を預けていた。目を細めたクロがそっと頭を撫でると、クレアの尻尾が心地よさそうに揺れる。
騒がしくも温かな夕食は、それでお開きとなった。
片付けもひと段落したところで、シゲルが改まった口調で口を開く。
「明日の昼頃には目的地近くのポイントに到着する。そこからは通常航行に切り替えるぞ。……で、念のために夜番を決めときたい」
その言葉に、クロがすぐに手を上げた。
「私でいいでしょう。皆さんはしっかり休んでください」
「わたしもやるよ。少しでも手伝いたいし、交代で見張れば楽になるから」
ウェンが申し出るが、クロは穏やかな笑みを浮かべたまま、首を横に振る。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。安心して寝ていてください」
「でも……」
食い下がるウェンに、クロは静かに、だがどこか慣れたような口調で重ねた。
「大丈夫です。夜の見張りには慣れていますから」
その語尾には、絶対に譲る気のない静かな意志が滲んでいた。
それを見ていたアヤコが、フォローするようにウェンの肩を軽く叩いた。
「クロはハンターだから、こういうの慣れてるんだよ。私たちは、いざって時に全力で動けるように、ちゃんと休んでおいた方がいいよ」
アヤコの言葉に、ウェンはようやく納得したように小さく頷いた。
その横で、ノアもひっそりとクロの方に視線を向けていた。戦闘でも、生活でも。クロという存在は、どこまでも“頼れる何か”としてそこにいた。