疑似ゲート航行、未知への導き
一難が去り、艦内に静けさが戻った頃――クロはブリッジに姿を現していた。
「というわけで、中で掃除してました」
「よしよし、よくやった!」
シゲルは上機嫌で、モニターに映し出されたカーゴベイの“山”を見て頷く。そこには、クロとノアが協力して回収した大量の戦利品――武器、パーツ、希少素材が積まれていた。
「で、あいつは消沈してねぇか?」
「はい、問題ありません。……むしろ、恋が芽生えそうですよ?」
そう冗談めかして微笑むクロに、シゲルはニヤニヤしながら肘をつく。
「おいおい、マジか。面白ぇな。何か進展があったら教えろよ?」
「わかりました。でも……そろそろ本気で航行しませんか?」
クロが問いかけながら、端末に表示された宙域マップを指し示す。そこに映るのは、真紅に染まった危険エリアの警告――つまり、今も“敵がいておかしくない”宙域に滞在しているという証拠だった。
「やっぱり、バレてたか」
「ええ、当然です。……いざとなれば、本体で対応しますけど。ノアを試してたんですよね?」
「当たり前だ。お前がOK出したとしてもな、俺が納得してねぇ限りは動かせねぇ」
シゲルはそう言って鼻を鳴らし、クロに満足げな笑みを返す。
「……なるほど、最初から“試す気”だったんですね」
クロは内心、苦笑しながらも納得していた。ノアがきちんと未来を歩めるのか、信頼に足るかどうか――それは、シゲル自身の目で確かめたかったのだろう。
「それに……あわよくば、積み荷を“補充”できるかもって思ってましたね? どっちが海賊か分かりませんよ」
「なに言ってんだ、俺たちは民間の輸送船だぞ? 襲ってきた方が海賊だ」
そう言いながら、シゲルは手元の操作端末でMQEの出力を上げていく。
「さて――ノアの実力も確認できたし、スペースゲートで目的地付近までひとっ飛びするか」
「スペースゲート……それってどういう構造なんです?」
クロの問いに、シゲルが端的に答える。
「簡単に言えば、クロの“別空間”を航路化したもんだ。MQEの特性で、疑似的に空間転移の“道”を作る。そこに艦ごと突っ込めば、超長距離のショートカットが可能になる」
「ただし、完全に安全とは言いがたい。空間キャンセラーがあったり、障害物が挟まってると――ぶっ飛ばされるか、途中で吐き出される。運が悪けりゃ、真空に投げ出されるってこともあり得る」
「……なるほど。なるべく目立たず、静かに進みたいってわけですね」
クロの言葉に、シゲルは軽く顎を引いて応じる。
「ああ。航路の選定は慎重にやらねぇとな。下手に誰かの勢力圏を突っ切れば、面倒な連中に絡まれる」
そう言いながら、すでにシゲルの指は操作パネルを滑り始めていた。
航行ルートを映したホログラムが浮かび上がる。シゲルはその中の一部を指でなぞり、ゆるやかな弧を描くように航路を設定していく。
クロがその軌跡を目で追い、ぽつりと呟いた。
「……不干渉宙域、ですか」
「ああ。他に選択肢はねぇ。ここは、どの国家にも属さず、法の縛りも軍の影も届かねぇ真空地帯だ」
静かに語るシゲルの声に、わずかな緊張と興奮が混じる。
「言い換えりゃ、“誰のものでもない場所”。軍も企業も口出しできねぇ、完全な空白領域だ。ま、だからこそ使える」
そして、にやりと口角を上げた。
「着いたら驚けよ。お前が数千年の監視に費やしてた間の進化をな」
その口調は、どこか子どもが秘密基地を見せる時のような愉快さを含んでいた。
クロは肩をすくめ、口元に小さな苦笑を浮かべる。
「……いや、十分驚いてますよ。それでも、毎回さらに上をくるんですね」
それは皮肉ではなかった。純粋な感嘆と、少しの呆れ、そして確かな敬意が込められた眼差しだった。
「では、まずはひとつ目の“驚き”ってやつだな。……まあ、お前の実際の移動手段に比べたら、かなり地味かもしれんが」
シゲルはそう言って笑いながら、操作パネルに手を伸ばす。瞬間、ランドセルの正面に円形の歪みが広がり、仄かに光を放つ“疑似ゲート”が開かれた。
その中――クロでさえ見たことのない、未知の景色が広がっていた。
ランドセルがゆっくりとその内部へ進入していくと、船体を包み込むように空間全体が静かにねじれ始める。重力の干渉もなければ、速度の感覚もない。けれど、確かに空間が変わっていくのが分かった。
宇宙とは異なる、だが真空に近い空間。全方位を包む視界には、幾重にも折り重なった干渉膜が淡く揺れ、どこまでも深く、どこまでも美しい。
その内壁は、ねじれた螺旋状のトンネルのように続いており、青と紫を基調とした光が絶え間なく流れ込んでいた。微細な量子の粒子が、まるで流星のようにゲート壁面を滑り落ち、空間全体に幻想的な輝きを与えていた。
船体が進むたび、前方の空間に淡い“波紋”のようなゆらぎが広がっていく。
それはまるで、空間そのものが艦を“運んでいる”かのような感覚だった。航行しているのか、運ばれているのか。物理法則すら、ここでは意味を成さない。
クロは静かに息を呑み、目の前に広がる光の渦をじっと見つめていた。そして、思わず零れるように、小さな声で呟く。
「……これが、ゲート……」
「――疑似だがな」
シゲルが付け加えるように言う。だが、その言葉はクロの耳には届いていなかった。
今、彼女の意識はすでにこの空間そのものに呑まれていた。色と光が折り重なり、常識を凌駕する景色が、目の前に現実として存在している。
これが、シゲルの言っていた“驚き”なのだと、クロは理解する。
――ならば、あの言葉の続きを想像せずにはいられない。
「着いたら驚けよ」と、彼は確かに言っていた。
では、その“次”には一体どんな未知が待っているのか。
クロの胸の内に、静かな高揚が広がっていく。過去にも未来にもなかった、ただ“今”だけが放つ純粋なワクワクが、彼女の胸に小さく波紋を描いていた。