ランドセル、発艦
「まったく、保育園じゃねぇってのに……」
シゲルはぼやきながら、大型輸送艦〈ランドセル〉の発艦準備を進めていた。その背中をよそに、アヤコは淡々とドローンを操作し、荷物の搬入作業を進めていく。
「じいちゃん、うるさい」
「そうだよ、おじさん。もう、文句は言わないでよ。ちゃんと手伝うから」
ウェンが軽く膨れながら言うと、シゲルは鼻を鳴らすように笑った。
「当たり前だ! 今日はこき使ってやるぞ。それと――ノア!」
艦内のシステム設定を確認していたウェンを後ろから見ていたノアが振り返る。シゲルは指を向けると、いつもの調子で念を押した。
「お前はウェンの護衛だ。絶対に守れ! 傷でもつけたら、アルカノヴァをクロに頼んでバラバラにしてやるからな!」
その一言に、ノアはぴしりと姿勢を正し、真剣な目で応えた。
「……分かりました! 必ず、命に代えてもお守りします!」
そのあまりの気迫に、ウェンの頬がほんのり赤らむ。
「も、もう、そんなに気を張らなくてもいいってば。ノア、よろしくね」
「はい、ウェンさん……お願いします」
「“ウェン”でいいよ。改まると変な感じだし、友達なんだから」
照れくさそうに微笑むウェンに、ノアも少しだけ顔を赤らめながら、素直に頷いた。
「……うん、分かった。よろしく、ウェン」
二人のやり取りに、アヤコは少しだけ目を細め、ニヤニヤと笑みを浮かべながら作業へと戻っていった。
そこへ、マスコットのレッド君に乗ったクレアが現れる。
「クレア、そっちの準備は終わった?」
「わんっ!」
間髪入れずに返る鳴き声。それを受けて、クロが振り向きながら報告する。
「じいちゃん、食材と消耗品の積み込みは全部終わったって」
その言葉に、シゲルは鼻を鳴らしてうなずく。一方で、やりとりを見ていたウェンは、明らかに不思議そうな顔で首を傾げた。
「え……今のって、なんで会話になるの? ていうか、人形みたいなのが勝手に動いてるようにしか見えないんだけど……聞いてもいいの?」
その問いに答えたのは、クロではなく、すぐ隣で作業をしていたノアだった。少しだけ苦笑を含ませながら、肩をすくめる。
「聞かない方が、たぶん後が面倒にならないと思いますよ」
「……なら、いいや。納得してないけど」
そう呟きつつも、ウェンはそれ以上追及しないことにしたようだった。
今回は、ウェンが同行することもあり、クレアが喋らないという取り決めが事前に交わされていた。そのため、会話はクロやアヤコが代弁する形式を取っているが――
「わんっ」と一声鳴くだけで、きっちり意思疎通が取れているように見えるその光景は、事情を知らぬ者の目にはどうしても異様に映る。果たしてそれを“異常”と呼ぶべきか、それとも“特異”と見るべきか――判断は分かれるところだった。
「さて――アルカノヴァも下部の積載スペースに搭載済み。販売用の資材に物資、ジャンクも全部積み込んだぞ!」
シゲルが荷崩れ防止のロックを確かめながら、楽しげに声を上げた。彼の顔には、久々の大仕事に向けて高揚感が滲んでいる。
「じいちゃん……この資材と物資って、うちのじゃないよね?」
アヤコの問いに、シゲルはあっさりと頷く。そして、言葉を続けながら作業用端末を操作し、現在の積載リストをホログラムに投影した。
「他所の店から預かってる販売品だ。中古ショップ連中から頼まれてな。戦闘機や艦艇用のジャンクパーツ、それにウェンのとこからも武器を何点か出してる」
「うちからも!?」
ウェンが驚いて声を上げるが、シゲルは気にする様子もなく話を続けた。
「それだけじゃない。ギルドからも、このコロニーで余剰気味の資材や備蓄物資の販売を頼まれてる。今回のマーケット、かなり規模がでかいからな。出すもんも、買うもんも一気に片づけるつもりだ」
その発言に、アヤコとウェンの表情が一気に強張った。
「ギルドが!?」
「それって、問題にならないの?」
二人が同時に問い返す。シゲルは肩をすくめ、めんどくさそうに返す。
「やかましい。グレーだグレー! 黒じゃねぇんだから文句はない。そもそも、売るのは俺だ。それに、買い付けも各店からリストで受けてるしな。もちろん、ギルドからもだ」
そう言いながら、シゲルはウェンの端末へ買い付けリストを送信する。表示されたデータの末尾には、スミスからの直筆コメントが一文だけ添えられていた。
『――お前の目で、よく見てこい』
短くも重みあるその一文が、静かに――だが確かに、ウェンの胸に深く刻まれた。
「皆さん、準備が整いました。いつでも発艦できます」
ブリッジに入ってきたクロが静かに宣言する。背筋を伸ばし、責任感の籠もった声だった。アヤコは荷室の最終確認に向かい、積み荷のロックとバランスを手際よくチェックする。ウェンは艦内の慣性制御システムと生命維持系を念入りに再点検し、水やエネルギーの残量も表示パネルで確認した。
「じいちゃん、荷室はオールグリーン」
「おじさん、艦内の方も異常なし」
二人の声に、シゲルは満足げに頷き、ブリッジの制御パネルへ手を伸ばす。ドック内の気密が解除され、赤い警告灯が淡く点滅する。続いて、コロニー外部へのアクセスハッチがゆっくりと開かれた。
「よし――ランドセル、発艦準備完了。MQE、ロック解除。エネルギーシールド展開。発艦するぞ!」
重々しい宣言とともに、船体がわずかに振動し、ランドセルが静かに動き出す。外壁をなめるように加速しながら、機体はするりとコロニー外縁を抜け、宇宙空間へと滑り出ていった。
「おぉ……さすがは新型だ。スラスターの噴き上がりも滑らかで、ガタつきが一切ないな!」
シゲルの声が弾む。ブリッジの中にも、高揚と共に微かな振動が伝わってくる。
「前のオンボロ艦だったら、クロのバハムートで引っ張ってもらうつもりだったが……今回はその手間が省けたな」
「ああ、それで前に“Gがどれだけかかるか”って聞いてきたんですね?」
「そういうこった。無駄足だったが……まあ、備えってのはそういうもんだ」
気の抜けた笑いが交わされる。会話はどこまでも他愛ない――だが、確かな安堵と期待に満ちていた。
その後方で、スラスターから放たれたMQEの光が、鮮やかに尾を引いて広がっていく。真空に描かれるそれは、まるで新たな旅立ちを祝うかのような、祝福の光そのものだった。
ランドセル。その名を背負う船が、今、新たな第一歩を踏み出した。