マーケットへの招待
ウェンとアヤコが静かに笑い合い、次の工程へ進む安堵と興奮に包まれている中――クロはその様子を、どこか微笑ましそうに見つめていた。温かな視線に、安堵の気配がにじむ。すると、その空気を破るように、スミスがふと目元を緩めながら口を開いた。
「――そうだ。ちょうど良い機会だし、もし興味があるなら“マーケット”に同行してみるといい」
思わぬ提案に、クロが小さく目を見開く。
「マーケット……って、あの?」
クロがわずかに眉をひそめながら問いかける。スミスは頷き、わずかに声のトーンを落とした。
「ああ。いわゆる“闇市”だ。通常の流通ではお目にかかれない品――規格外の武器や、違法改造されたパーツ、絶版になった医薬品なんかも並ぶ。そういう場所だ」
そこで一拍、言葉を置く。
「この規模のマーケットは、数年に一度。開催地は極秘、出入りも制限されている。だが、闇市の中では、かなり名の通った場所だ」
言葉の端々に、経験者としての確信が滲んでいた。クロは自然とアヤコへ視線を移す。問いかけるより先に、アヤコの方から小さく肩をすくめた。
「私はね、商品や荷積みの準備までは任されてるけど……マーケットに直接行ったことはないの。いつも、じいちゃんと雇ったハンターが行ってたからさ」
そこで、苦笑を浮かべる。
「『お前はまだ早い』って、ずっと言われててさ……」
その様子に、ウェンがすっと身を乗り出した。目がきらきらと輝いている。
「父さん、それって……ほんとに? 私も行けるの?」
期待のこもった声に、スミスはひとつ頷く。
「ああ、許可が出ればだがな。今回は新型輸送艦で向かうといっていた。それに、護衛も有名な凄腕に頼むと聞いている。ならば、現場を肌で感じさせるには、良い機会だろう」
そう語る彼の手が、いつの間にかサングラスのブリッジを押し上げる。その仕草と共に、空気がわずかに引き締まる。
「ただし――半端な気持ちで行くのはやめろ。あそこは、ただの商取引の場じゃない。軍も国家も手出しができない“越境の空域”で行われる、不干渉地域限定の市だ」
重い言葉が、静かに、しかし確実に落ちていく。
「参加できるのは、“招待された店”だけ。どれほどの権力者であっても、招待状がなければ中へは入れない。軍ですら例外じゃない」
クロが思わず息を呑む。スミスはそのまま、続けた。
「一応、マーケット周辺での戦闘行為は禁止――これは暗黙の了解として、各勢力間で徹底されている。破れば、マーケット側から追放されるだけじゃ済まん。参加している全勢力から敵と見なされ、袋叩きにされる」
それが、ルールの表側。そして――
「だが中は違う。“自己責任”だ。誰かを撃っても、刺されても、商品を壊しても、基本的には誰も止めない。マーケットの内部は“自己防衛と自己判断”が原則だ。危険は、常に隣り合わせにある」
重ねられる説明に、場の空気がまた一段階、冷たく引き締まる。だがスミスの声は、それでも落ち着いていた。
「……それでも行くというなら、覚悟だけは決めておけ。経験にはなる。だが、生半可な気持ちでは、戻ってこられない場所だ」
スミスの声には、一切の揺らぎがなかった。そして、少しだけ口調を和らげて続ける。
「一応、俺からも同行のお願いはする。だがウェン――お前自身の口から、きちんと“お願い”をしてこい」
「うん、わかった! 父さん、ありがとう!」
ウェンは勢いよくスミスに抱きついた。ずり落ちたサングラスを指で押し戻しながら、スミスは軽く溜息をつく。その目には、“やれやれ”と“仕方ない”の入り混じった父親の色が浮かんでいた。
「まずは許可を取ることだな」
「うん! 今から行ってくる!」
ウェンが勢いよく振り返ると、すぐ隣でアヤコも微笑みながら頷いた。
「私もお願いしてみる。今年こそ、行ってみたいし。それに……今年は“凄腕の護衛”もいるからね」
わざとらしく横目でクロを見るアヤコに、クロはほんの少しだけ口元を緩めて応じた。そして、二人の背中を追いながら、静かに頭を下げる。
「よほど、その“凄腕”は期待されているようですね。……スミスさん、いろいろありがとうございました」
「いや――ウェンを頼んだ」
その言葉に、クロはごく自然な声で返す。
「“凄腕のハンター”に、ちゃんと伝えておきます」
それだけ言い残し、クロは軽やかな足取りで二人の後を追って出ていった。残されたスミスは、片手でずれたサングラスを戻しながら、ふっと肩をすくめる。
「……開店時間は、とっくに過ぎてしまってるってのに。まったく、騒がしい連中だな」
そう呟きつつ、ゆっくりとカウンターへ戻る。店舗内のスピーカーからは、いつの間にか重厚なロックのイントロが流れ始めていた。どこかけたたましく、どこか懐かしい――だが確かに、今日という始まりを告げるに相応しい音だった。