ワイヤーフックの設計審問
クロはスミスの言葉に静かに頷き、すぐさま次の工程へと話を移した。
「では、これも進めましょう。優先順位は二番。先に“スラロッド”からお願いします」
ウェンは即座に頷き、端末に指を滑らせて最後の設計図を呼び出す。ホログラムに浮かび上がったのは、オープンフィンガーグローブのような形状をした装置だった。手の甲から前腕部にかけて巻き付くように配置されたメカニカルな構造は、実戦仕様の機能美を纏いながら、洗練された存在感を放っている。
「これは、宇宙用ワイヤーガンの基本構造を応用して設計した“ワイヤーフック”だよ。本当は、最初スライムで拘束機構を作ろうとしてたんだけど……途中で気づいたの。“難しく考える必要なんてない”ってね」
そう言いながら、ウェンはちらりとクロの方へ視線を送り、ひとつだけ――さりげなく片目をつぶいた。
その仕草に込められていたのは、かつてクロから受け取った一言への、静かな感謝。
クロはそれを見て、何も言わずに設計図へと視線を戻した。ただ、ごくわずかに口元を緩める。言葉にする必要など、最初からなかった。
そしてウェンは、その空気を切り替えるように、再び前を向いて説明を続ける。
「このワイヤーは、最大300キロの荷重に耐えられるように設計してある。細いけど、内部は多重編み構造で補強してるから、強度も柔軟性も両立できる。さらに、汎用規格に準拠してるから――コストも安く抑えられるんだ」
その言葉に、アヤコが横から補足を加えるように口を開いた。
「ちなみに、ワイヤーの太さはわずか0.2cm。だけど、最大で500mまで格納できるように設計してあるよ。素材の圧縮率と巻き込み方式を最適化したおかげで、このサイズでも実用射程は十分に確保できてるの」
アヤコの説明に、クロは設計図を見つめながら素朴な疑問を口にした。
「……本当にそんなに入るんですか? このサイズじゃ、到底収まりそうに見えませんけど」
その問いに、アヤコは少し得意げに頷きつつ、即座に答える。
「それは、圧縮ナノ繊維ワイヤー――通称“CNFワイヤー”を使ってるから。宇宙建築にも採用されてる高性能素材で、展開時には十倍以上に伸びる構造なの。信頼性も実績も、申し分なし」
そう言って指を弾くと、次のホログラムが展開される。そこに映し出されたのは、射出機構の内部構造図。リールユニットの隣には、微細なドローンのような形状が並列して格納されていた。
「射出機構は、従来のガス噴射式じゃないの」
そう言いながら、ウェンはホログラムを切り替えた。
そこに映し出されたのは、グローブ型のワイヤーフック内部に組み込まれた、小型のドローン構造。
「ベースにしたのは、クロの端末に搭載されてるあの“ミニ量子エンジンドローン”。ワイヤーの先端にドローン自体を取りつけて、そのまま“フック”として射出する形にしてあるんだ」
映像では、ドローンが勢いよく発進し、壁面に接近していく。
「このドローン、環境によって吸着方法を自動で切り替えるハイブリッドタイプ。真空吸着・静電吸着・微細アンカー展開の三方式を内蔵してるの。宇宙空間でも、重力下でも安定して固定できるようにしてある」
やがてドローンが壁面に着弾すると、三方向に脚を展開し、まるで生き物のようにしなやかに、その場へ密着する。
「それと、使用後はワイヤーで回収できるように設計してあるよ。巻き取り時にはドローンが自動で姿勢を変えて、収納体勢に移行するんだ。ワイヤー自体は圧縮ナノ繊維製だから、射出時には高速で伸びて、回収時には圧縮されて極小サイズに戻る」
ホログラムの映像は、射出・着弾・固定・回収までの一連の流れを滑らかに再生していく。空間内でのスムーズな連動と、無駄のない動作。技術と実用性が両立したその構造は、完成度の高さを物語っていた。
「これなら、フックとしての役割も、固定も、全部ドローン一つでまかなえる。余計な装備もいらないし、消費エネルギーも最小限で済むよ」
だが――説明を終えたウェンの言葉に、返答はなかった。
クロとスミスは無言のまま、ホログラムに映る設計図を凝視していた。
やがて、クロが静かに口を開く。
「……射出や巻き戻しの仕方は? あとワイヤー以外の強度はどうですか? ワイヤーが強くても、ドローン本体やグローブ側のフレームが持たなければ意味がありません」
冷静ながらも、鋭い指摘だった。
続けて、スミスも問いを重ねる。
「それとな――どうやって目標地点を指定するつもりだ。射出中に腕が動いて照準がずれたら、制御できなくなる可能性もあるぞ」
二人の目は設計図の細部へ向けられていた。単なる見栄えではなく、“実際に運用できるか”を問う、実戦者と技術者の目線。
その沈黙と問いの重さに、ウェンとアヤコは思わず息を飲みかけた――が、すぐに表情を引き締め、その問いに対する答えを準備する。