語られた素顔、最強種の孤独
無言が続く。
静寂というより――言葉が許されない空気だった。その中心に立つのは、“破壊”の象徴とすら言える存在――バハムート。
ただ“いる”だけで、重力のないはずの空間が圧し潰されるような重みを持っていた。
「……もう、引き返せません」
沈黙を破ったのはクロだった。
その声に、わずかな責めも戸惑いもない。ただ、選んだ結果を“告げる”だけの声音。
「選んだのは――貴方がたです」
言葉の意味を咀嚼する前に、シゲルの喉から声が漏れた。
「……それを……言うか……」
無重力下、彼の額から浮かび上がった汗が、ぷかりと空中を漂う。それを払いもせず、彼はなんとか言葉を紡いだ。
「――聞きたいことがある」
その声には、恐怖とも怒りともつかない、不明瞭な感情が滲んでいた。
「その少女は……一体どういうことだ? 誰かを取り込んだのか? 犠牲にしたのか……!?」
それは叫びに近かった。怒声にも、悲鳴にも聞こえた。だが、クロの反応は――変わらない。
目を細め、ゆっくりと首を横に振る。
「違う」
静かに、はっきりとした口調で告げた。
「これは――俺の“分身体”だ」
アヤコが、小さく息を飲む。
クロは視線を前に向けたまま、語る。
「少女の姿は……俺のせいじゃない。何度やっても、この姿になった。ただ、それだけのこと」
一瞬だけ、わずかに肩をすくめた。
「俺だって本当は……もっとイケメンで、細マッチョな男性型を作りたかった。でも、どうしても出来なかったんだ」
そこにこもっていたのは、自嘲でも誤魔化しでもなく、――長い時間の末に、とうに諦めて笑うしかなかった者の“素直な本音”だった。
「……イケメンになりたかった? お前、破壊を楽しむ存在じゃないのか?」
シゲルの問いは、皮肉混じりの吐き捨てだった。
だがクロは、微塵の反応も見せない。
「違う」
即答だった。
「俺は破壊を楽しんだことなんて、一度もない」
シゲルの目に怒気が宿る。
「だったら、なんで――ハンターたちを殺した!」
その叫びは、怒りと困惑と恐怖がないまぜになった声だった。
その場にいたアヤコも思わず振り向き、クロを見た。
しかしクロは、やはり淡々と答える。
「……それは、“襲ってきたから”としか言いようがない」
静かな声音に、取り繕う様子は一切なかった。
「いいか。俺は好きで殺したわけじゃない。ただ――降りかかる火の粉を、払っただけだ」
その言葉は、ただの言い訳ではなかった。むしろ、それ以上でも以下でもない“事実”だった。
「襲ってこなければ、俺は何もしない。逃げる者がいれば、追わない。それでも、向かってきたのは――向こうだ」
ほんの少しだけ、クロの目が細められた。
「……それだけの話だ」
クロはふと、無重力の空間に漂うように視線を上げた。
虚空の天井――その先の遥かな宇宙を仰ぐ。
「……俺はな、何千年ものあいだ――女神の指示で、ただ退屈な世界を“監視する”だけの存在だった」
その声は静かで、どこか乾いていた。怒りでも、悲しみでもない。それは、あまりにも長い孤独を飲み込んだ者の、穏やかな語りだった。
「何も起きない。誰も動かない。ただ、延々と“平和”という停滞を見つめ続けていた。それでも……それが俺の“使命”だと、信じていたんだ」
わずかに視線を落とす。
「――でも、ある日。女神は、こう言った」
短く、淡く、声を落とす。
「“ごめん、なくなっちゃった”……と」
アヤコも、シゲルも、言葉を失ったまま黙っていた。
「それで、終わった。何千年も続いた監視が……たった、その一言で、消えたんだ」
小さく息を吐く。
「だから、思った。“もう死のう”ってな」
短く笑うようにして言うが、その声には笑みの影もなかった。
「……でも、死ねなかった。死ぬことすらできなかった。代わりに残ったのは――“絶望”と、“自由”だった」
その言葉に、空気がわずかに震えたような錯覚すら覚えた。
「……わかるか。数千年ぶりに得た、本物の自由が……どれほど、素晴らしかったか」
拳を強く握るわけでもなく、声を荒らげるわけでもなく、ただ――感情だけが言葉ににじんでいた。
「俺は確かに、喜び勇んで飛び出した。……それが、警戒を招いたのかもしれん」
そこで、ゆっくりと二人の方へ視線を向ける。
「けれど、“挑む”というのは――それだけの覚悟があるということだ。だから俺は、それに応じた。ただ、それだけだ」
クロの独白を聞き終えたアヤコは、無重力の中でわずかに浮かびながら――恐る恐る口を開いた。
「……クロは、なにがしたいの?」
その問いに、クロはほんの少し目を細めた。だが、返ってきた答えは驚くほどあっさりとしていた。
「簡単なことだ。――美味しいものを食べて、楽しいことをして、世界を見て回る」
言葉は平坦。だが、その中に宿る感情は決して軽くなかった。
「ただ、それには“金”が要る。だから俺は――ハンターになった」
その答えに、アヤコは少しだけ口を開いたまま固まり、やがて、静かに問い直す。
「……それだけ?」
クロは、静かに。けれど、深く頷いた。
「それだけだ」
短く言い切ったあと、ほんのわずかに目線を遠くへ向ける。
「お前たちには……きっとわからない。その“普通のこと”が、どれほど幸福か」
アヤコは息を飲む。クロの声には、自嘲でも皮肉でもなく――ただ純粋な“羨望”があった。
「“自由”っていうのは、得た瞬間に気づくんだ。……それが、何も保証しないことだってな」
淡く笑うような、乾いた響き。
「自由を得た。でも――何もできなかった。食うにも、泊まるにも、見て回るにも、“金”がいる。……そのとき初めて知った。俺は、ただの“何も持たない者”だったんだ」
その声はかすかに力を抜きながらも、鋭さを失わない。
「……仕事をしようにも、この体じゃ限られてる。人と混ざることも、雇われることもできない。だったらもう、選択肢は一つしかなかった」
ゆっくりと、クロはアヤコとシゲルの方へと向き直る。
「――だから、俺は……ハンターになった」
その言葉のあと、ふっと短く、吐くような息をこぼした。
「……何が、最強種だよ」
静かに、けれど確かに滲む自己嘲。
「ただの、世間知らずでしかない」
目線を少し落としながら続ける。
「端末の使い方だって、昨日の夜、やっと覚えたばかりだ。俺が“知ってる”のは、戦い方だけ。それ以外のすべては――空っぽだ」
言葉はどこか淡々としていたが、その淡白さがむしろ重く響いた。
「料理もできない。アヤコやシゲルさんのように、物を作ることもできない。戦えはするが……それ以外のことは、何も」
そこで言葉を切り、わずかに目を細めた。
「……皮肉だろ? “最強”だなんて言われながら――日常ひとつ、送れない」
クロの言葉に、嘆きの色はなかった。ただ淡々と――悲しい“事実”を語るだけだった。
沈黙の中、アヤコが口を開く。
「……もうひとつ、聞いてもいい?」
その声には、もはや恐れはなかった。代わりに宿っていたのは――ほんの少しの、悲しみだった。
「その力で……世界を征服しようとは思わないの?」
クロは、ゆっくりとアヤコの方を向く。
そして、わずかに首を横に振った。
「――なぜ?」
その返しは問いに対する問いだった。
「無意味だからだ」
淡々とした答えが返る。
「たとえ世界を支配したとして……それは“自由”と呼べるのか? 誰かを押さえつけて得る権力に、どんな意味がある? そこにあるのは、ただの“退屈”だ」
少しだけ視線を遠くに泳がせる。
「正直に言う。俺が欲しいのは、たわいのない会話だ。誰かの、ありふれた日常だ。それを踏みにじって得られるものに――価値なんて、ない」
その言葉は、静かで、重かった。
最強の存在が語る“ちいさな願い”。それは力への否定でも、諦めでもなく――ごく当たり前の感情だった。
「……なら、元の星でもできたんじゃないの? そういう、普通のこと」
アヤコの素朴な疑問に、クロは首を振る。
「無理だ」
言葉はあまりにも即答だった。
「俺の存在は……あの星では“神”にも等しいものとして扱われていた。そんな存在が、日常の輪に溶け込めるわけがない。たとえ分身体で紛れても――ただ、退屈だった」
そこには、どうしようもない隔たりの話があった。
「それに……何千年ものあいだ、俺を縛りつけていた星を、心から楽しめると思うか?」
クロは、ふっと息を吐き、目を細める。
「だから、俺は旅を選んだ。――世界を巡る方が、よほど有意義だと思わないか?」
「それは……そう、かもね」
アヤコは小さく頷いた。その声には、もう軽さはなかった。
しばしの沈黙のあと、クロがふたりに問いかける。
「……俺が、恐ろしいか。アヤコ。シゲルさん」
その問いに、アヤコはわずかに間を置いて、はっきりと答える。
「……いや。そうは、思わない」
短く、けれど迷いのない言葉だった。
シゲルはふぅと息をつき、頭をかいた。
「……正直、怖いには怖い。けどな、それ以上に……お前のことが、哀れだと思った自分がいる」
それは怒りでも侮蔑でもない――ただ本音だった。
「……よくわからんな、お前は」