“機体”の正体とバハムートの名
数秒後、ドックの気密ハッチが静かに閉じられた。内壁の警告ランプが赤からオレンジ、そして緑へと順に切り替わっていく。
シュゥ……という空気の充填音が微かに響き、無音だった空間に、わずかに“生”の気配が戻ってくる。
「――さて、言われた通りにしたぞ」
シゲルが振り返り、クロの方へ視線を向ける。
クロは軽く頷き、静かに口を開いた。
「ありがとうございます。……それでは、ドックに戻りましょう」
短く区切られた言葉。その語調には、迷いも緊張もなかった。
「そこで――お見せします」
ドック内へと戻り、三人はエアカーの前に並んでいた。
「早く! ねえ、早く見せてよ!」
浮遊しながらアヤコはクロの肩を掴み、左右に激しく揺さぶり始める。
「おっ、ちっ……つぅ、いぃ、てぇ……くぅ、だぁ、さぁ、いぃ……」
クロの口から漏れる言葉は、揺れるたびに千切れ、意味をなさなくなる。
見かねたシゲルが、鋭く一喝しながらアヤコの頭を軽く拳でどついた。
「落ち着け。クロの首が飛ぶぞ」
「いっ……たぁ……」
アヤコが苦笑しながら頭を押さえる横で、クロはふわりと姿勢を整え、静かに言葉を紡ぐ。
「ありがとうございます」
そして、淡々と続けた。
「では――見せます。ただし、覚悟してください」
その声を合図に、周囲を覆っていた空間の歪みが音もなく解かれていく。
そして――それは現れた。
黒き巨躯。重厚な装甲のように見える外殻、紅と金の紋様が刻まれた胸部、禍々しくも堂々たる角と、漆黒に染まった双翼。巨大な尾を引き、両の拳を握る姿はまさに“戦神”のようだった。
だがそれは、ロボットではなかった。
金属のように見えるその装甲も、機械的に見えるその体躯も――すべては“生身”。極限まで変質し、硬質な外殻に変化した皮膚と筋組織が、そう見えるように擬態しているにすぎない。
生体的構造を持ちつつ、見る者に“機械”と誤認させる精密な形状。だが、その眼光に宿るものは人工知能の演算でもなければ、操縦者の制御でもなかった。
――あれは、明確な“意志”だった。
アヤコも、シゲルも、言葉を飲んだ。
それは機械ではない。だが、単なる生物でもない。金属にも似た質感の肉体――生きているのに、鋼鉄より重々しく、戦闘兵器より異質な存在。
それは、偽装された“肉体”によって立ち現れた、純然たる怪物だった。
「――見ての通り。これが“機体”です」
静かにそう告げたクロの声が、ドック内の静寂に落ちる。
だが、それに対して返ってきたのは――戸惑いを帯びた、短い一言だった。
「……いや。無理だろ、これ」
シゲルが呟くように言葉を漏らす。
もっともだった。
どう見ても、それは“ロボット”とは言い難かった。
確かに全体のフォルムは機械的だ。装甲のような外殻、重厚なシルエット、戦闘兵器を思わせる迫力。だが、その表面に刻まれた質感は“生きた筋肉と皮膚”を思わせ、動かずとも“存在の圧”が空間を震わせる。
眼光は明らかに“考えている”。体全体から放たれる威圧感には、設計や制御とは異なる“本能”すら感じさせる。
それは――確実に、“生きている”。
横で見ていたアヤコに至っては、口を開いたまま固まり、言葉を紡ぐことすらできずにいた。
そんなふたりを前にして、クロは軽く首をかしげた。
「どう見ても……ロボットじゃないですか?」
その一言に、シゲルの思考が完全に停止した。眉をひくつかせながら、微妙に開いた口をどうにも閉じられないまま、沈黙だけが返ってきた。
「……逆に聞きますが」
クロはゆっくりと顔を向ける。
「どうすれば、“機体”と認識してもらえるんですか?」
唐突な逆質問に、シゲルは一瞬眉をひそめる。
「……それを、逆に聞くか?」
「はい。参考にしたいんです。聞いて、調整します」
あまりにも真顔で返されたその言葉に、シゲルは言葉を詰まらせた。
(無理だ……脳がついていかん)
機体の素材、構造、推進器や武装――そういった話を想定していたはずが、出てくるのはまるで“生物が自分を機械に寄せようとしている”ような言動ばかりだ。
その横で、ずっと言葉を失っていたアヤコが、ようやく震える声で問いかける。
「クロ……あんた、一体、誰?」
それは混乱でも詮索でもなく――“本気”の質問だった。見たものを見たままに受け止めきれず、それでも、目を逸らさずにぶつけた言葉。
クロは静かに頷き、腰のホルダーから端末を取り出す。
端末から立ち上がったホログラムが、宙に浮かぶように映し出される。そこには一枚のプロファイル――「最高ランク賞金首」の赤いタグと、その中央に記された名前。
《コードネーム:バハムート》
堂々と記されたその名が、ドック内の空気を凍りつかせる。
クロは、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……わたし。いや――“俺”は、バハムート」
そのひと言は、ドック内の空気を確実に変えた。抑揚はない。それなのに、地の底から響いてくるような重みがあった。それは、威圧でも怒気でもない。ただ――“事実”の重さだった。
その瞬間、クロの瞳がふっと輝きを帯びる。
金色。光を孕んだその眼は、機械でも人間でもない“何か”の証。見つめるだけで脳が本能的に「危険」と警鐘を鳴らすような、異質な輝きだった。
アヤコも、シゲルも息を飲む。
そして――
「最高賞金首にして、現存する最強種。……今この姿をとる名は――クロ、です」
ゆっくりと告げられたその言葉が、ドック全体にしんと響く。
無重力の静寂のなか、“ただの自己紹介”が、ここまで重く感じられたことはなかった。