見えざる巨影、港に届くとき
誤字脱字修正しました。
ご指摘ありがとうございます。
コロニーの外れにある港――その貸しドックへ向かうため、三人はシゲルの運転するエアカーに乗り込んでいた。
滑るように浮かぶ車体の中、クロは後部座席で静かに経緯を語り始める。IDとコックピットをごまかそうとしたこと。生体兵器の話題に反応してしまったこと。そして、うかつすぎた自分の行動。
すべてを話し終えた後、運転席のシゲルが、くくっと短く笑った。
「なるほどな。クロ、お前、ちょっとばかしうかつだったな。……まあ、そういうのは誰でもある」
そう言って、ルームミラー越しにアヤコへちらりと視線を向ける。
「あいつも学校には行ってねえけど――正直、もう行く必要なんてないと思ってる。現場で吸収できるタイプの天才ってのは、教科書に縛るより自由に放っといた方が伸びる。今はもう、義務教育だって形式上だけの話だしな」
「……なぜ、そうなるんですか?」
クロの疑問に、シゲルは苦笑交じりで答えた。
「お前……ほんとに“人”か? 催眠学習ぐらいはやってると思ってたけどな。それすらやってないってことは、親が放棄したか、金がなかったか……」
「親はいません」
クロの答えは、短く、静かだった。
エアカーの中に、一瞬だけ、重たい沈黙が落ちる。
「……そうか。すまん。無神経だったな」
シゲルは低くそう言いながら、目を逸らさずに前を見据える。ハンドルを握る手に力は入っていない。ただ、どこか言葉を選んでいた。
「気にしないでください。……最初から、いなかったので」
クロはそう淡々と告げる。だが――
「いやいや! 気になるにも程があるからね!?」
沈黙を破るように、助手席のアヤコが振り返りながら声を上げた。そのツッコミは唐突だったが、空気を少しだけ軽くしてくれる。
笑い声はない。それでも、どこか救われるような響きがあった。
エアカーはそのまま進み、やがてコロニーの最奥部――外壁へとたどり着く。
視界には巨大な気密ゲート。その先には、宇宙と接続された港湾ブロックが待っていた。
「ここからはエレベーターで貸しドックに向かう。途中で重力が切り替わるから、気をつけろよ」
シゲルの声に、クロは軽く頷く。
いよいよ、“見せる時”が近づいていた。
エレベーターの扉が開き、三人を乗せたエアカーが滑り込むように内部へ入った。シゲルは運転席の端末に手を伸ばし、オート慣性制御のスイッチをオンにする。
直後、端末からエレベーター本体に制御信号が送られ、目的地――シゲル所有の貸ドックへのルートが設定された。
ほどなくして、わずかな浮遊感が身体を包む。重力が、完全に消えた。
エアカーは無音で浮き上がり、ふわりと漂い始める。だが、オート慣性制御が微細な姿勢調整を繰り返し、小さな「プシュッ」「ピシッ」というスラスター音とともに、車体の軌道を静かに修正していく。
壁にぶつかることも、揺れることもなく――静かに、確実に進んでいく。
やがて前方の扉が、滑るように開いた。
その先に広がっていたのは、巨大な無重力空間だった。
上下の感覚すらあいまいな、完全三次元構造のドック。天井と床の区別もなく、戦艦を固定する格納アームや多関節マニピュレータ、補修用の整備ドローンが静かに漂っている。さらに、船体検査用のリング型センサー群が、幾重にも重なるように展開され、いずれも無音のまま、淡く青白い光を放っていた。
その全貌は、五百メートル級の艦体を悠々と受け入れるだけの余裕を持ち――まさに宇宙船用として申し分のない、本格的な貸ドックだった。
「――到着だ。ここが、俺の貸しドックだ」
エアカーを固定し運転席から振り返ったシゲルの声は、短く落ち着いていたが、その口調には、確かな自信と職人としての静かな誇りが滲んでいた。
クロがエアカーを降りると、すぐさまアヤコが身を乗り出して目を輝かせる。
「さあ、早く! 機体どこにあるの? 外に係留してるんでしょ? 宇宙服ならあそこ、クリーンルームにあるから!」
無重力で浮き上がりながら指差すその先には、宇宙活動用の装備一式が整ったエアロックルームが光っている。
だが、クロはそれを一瞥し、首を横に振った。
「……いえ。必要ありません」
その返答に、アヤコの動きがぴたりと止まった。
次の瞬間、クロは静かに口を開く。
「……このドック内にカメラはありますか? あればすべて切ってください。それと――端末の映像・音声記録機能も無効化して、エアカーの中に保管をお願いします」
その徹底ぶりに、さすがのシゲルも目を細める。
「そこまでやるってことは……相当すごいもんが見れるってことだな」
呟きながら、シゲルは手慣れた動きで自分の端末を操作する。貸しドック内の監視カメラをすべて無効化し、端末の電源を落とすと、エアカーの助手席へと押し込んだ。
アヤコも少し名残惜しそうにしながらも、自分の端末を同じように処理し、シートの上に置いた。
「では、管制室に移動しましょう。中からの視認が必要です。案内をお願いします」
「……了解。こっちだ」
ふわりと浮かび上がったシゲルの誘導で、三人はドック内上部にあるガラス張りの管制室へと移動する。エアロックを通過し、中に入ると自動的に扉がロックされ、わずかな空気の漏れも許さない気密確認が行われた。
広々としたドックを見渡せる位置。全景が眼下に広がっている。
「で――ここから何をする?」
シゲルが問いかけると、クロは振り返りもせずに答えた。
「正面のハッチを開けておいてください。あと私はこれから一度、眠ります。……しばらく、そのままにしておいてください」
「……は?」
シゲルの間の抜けた声を背に、クロは軽く目を閉じる。
「それでは」
そう言って、言葉通り“意識を切る”。静かなドックに、無音の眠りが訪れた。
分身体の内部で、核となる意識が静かに本体へと還っていく。
(……変な展開になったな)
本体側の視界がゆっくりと広がっていく中、クロは思考の片隅で淡く呟いた。
(さて――吉と出てくれればいいが。……最悪、このコロニーごと消す覚悟も必要になるかもしれないな)
そして――巨躯が、音もなく動き出す。
あらゆる観測を欺くために、周囲の空間をわずかに歪ませ、光を捻じ曲げて存在そのものを視認不能に変える。艦艇用スキャナにも、光学カメラにも、熱源センサーにも、その姿は映らない。存在しない“闇の塊”が、宇宙港の影を滑るように進んでいく。
「あそこだな」
クロは、宇宙港のドックにぽっかりと開かれたハッチから、分身体の微細な反応を捉える。管制室の中、完全に静止した状態で眠っている分身体。その存在が、淡く、だが確かに呼び戻してくる。
クロはそっとドックの内部へ進入する。ただし、サイズがサイズだ。真っ直ぐでは入れない。
(……寝そべらないと、入れんか)
わずかに肩を落とすような仕草を見せながら、クロは本体の巨体をゆっくりと仰向けにし、無重力下のドック内へと慎重に滑り込ませていく。外壁や補助フレームに触れないよう細心の注意を払いながら、その姿勢を安定させていった。
そして、体のすべてが格納スペースに収まったのを確認すると、意識の核を――分身体へと、静かに戻した。
その瞬間、管制室内で――クロの目が、ぱちりと開く。
「わっ!」
真っ先に反応したのはアヤコだった。驚きのあまり跳ね上がり、そのまま天井の手すりに頭をぶつける。
「いった……!」
無重力の中、軽く浮かびながらアヤコが頭をさすっていると、クロが淡々と声をかけた。
「……ハッチを閉じてください。そして、ドック内に空気を充填してください」
「は? なにも見えないけど……? 何もいないよ?」
きょろきょろと視線を巡らせながら、アヤコが困惑気味に答える。
クロは一瞬だけ視線を向け、静かに言い添える。
「あります。ですが――今はまだ、他の人に見せるつもりはありません」