300mの真実とジャンク屋の取引
「……持ってはいません。それは本当です」
クロは表情を変えずにそう答えた。
だが、アヤコはあっさりと笑い飛ばす。
「な~んだ。じゃあ、どうしてIDとコックピットの“ごまかし方”を探してるの?……本当のこと、話しちゃいなよ~」
軽い口調とは裏腹に、その言葉はじわじわと刺さるように重かった。
(追及が止まらない……)
クロは心の中で小さくうめいた。――完全に、間違えた。藁にもすがるつもりで入ったはずが、それが仇となった。
「……いえ。ありません。失礼しました」
そう言いながら、クロは小さく頭を下げ、足早に出口へと向かう。
だが――
「あ~あ、なんとかなるのに。いいのかな~?」
背中越しに聞こえたアヤコの声は、わざとらしいほど大きかった。悪魔の囁きというには軽すぎる。けれど、クロの足はそこで止まってしまう。
「――取引だよ、クロ。見せてくれたら、手を貸す」
背後から聞こえてくるその一言が、クロの思考をかき乱す。
(……なんでここまで、言い当ててくるんだ?)
(どうして、俺はあんな迂闊なことを口にした……?)
逃げるべきか、信じるべきか――クロの中で、判断の天秤が静かに揺れ始めていた。
そして――クロは決断した。
「……条件があります」
その言葉に、アヤコは目を細める。
「おやおや。IDとコックピットのことだけじゃなくて、条件まで出せる立場なのかな?」
口調は軽いが、どこか試すような色が混じっている。それに対して、クロの声は――低く、静かだった。
「簡単なことです。私は真実を話します。他言無用。それだけです。もし破ったら――殺します」
その言葉には一切の冗談も誇張もなかった。まるで“確定事項”のように、淡々と告げられた。
瞬間、アヤコの表情から陽気さが消える。空気が、少しだけ重くなった。
(……あれ、これって私、わりとヤバいのでは?)
理性が警鐘を鳴らし始める。けれど、体の奥では――その“静かな殺気”に、別の感情が芽生えていた。
(……でも、知りたい)
心の奥で、ぞくりとした感覚が湧き上がる。
やがてアヤコは、ゆっくりと息を吐き、口元に笑みを戻す。
「――いいよ。殺されてもいい。その代わり、見せて。クロの“機体”」
ふぅ、とクロはひとつ深く息を吐いた。そして、まるで雑談でも始めるような調子で口を開く。
「このあたりに……300m級の機体を置ける場所って、ありますか?」
――数秒の沈黙。
「…………は?」
アヤコの口から漏れたのは、完全に理解が追いついていない声だった。冗談でも、比喩でもなく、ただ素で“意味がわからない”といった表情。
クロは無表情のまま、重ねるように言い直す。
「300m級の機体です。保管場所が必要です」
アヤコの顔が一瞬で硬直する。驚きというより、思考の処理が間に合っていないといった様子だった。
その反応を見ながら、クロは内心で小さく首を傾げる。
(……そんなに驚くことだろうか?)
クロにしてみれば、むしろ“よくここまで小さくできた”という自負の方が強かった。本来の大きさ――数キロを超える体を、どうにか人間社会に適応できるサイズにまで縮めたのだ。技術的にも精神的にも、誇っていい偉業のはずだった。
だが――それは、常識という枠からは、遥かに外れていた。
「じいちゃん!!」
いきなりアヤコが店の奥に向かって大声を張り上げた。
「確か、うちが契約してるドックにさ、500m級の戦艦が停められる貸しドックってあったよね!? 今、空いてる!?」
「うるさい! 聞こえてるっつーの!!」
返ってきた声は思いのほか元気だった。ほどなくして、奥の作業場からひょいっと姿を現したのは――とても“じいちゃん”と呼ばれる年齢には見えない男だった。
見た目は20代後半。赤い髪を後ろでひとつにまとめ、アヤコとおそろいの黒いジャンプスーツを着ている。ただし、そのスーツは彼女以上に油とグリスで黒く染まり、“汚い”というより“歴戦の証”と呼ぶにふさわしい貫禄があった。
彼は工具を片手にこちらへ歩みながら、眉をひそめる。
「いきなりどうした? なんで貸しドックが必要なんだ?」
「いいから貸して!!」
アヤコが勢いのまま叫ぶ。
「貸すわけないだろ!」
シゲルが即座に怒鳴り返し、その拳がアヤコの頭上へと振り下ろされる。
ごんっ、と鈍い音が響いたが――アヤコの頭には、しっかりと跳ね上げたフェイスガードがかかっていた。
「……効かないってば」
本人はけろりとしている。
シゲルはため息をつきつつ、クロの方へ視線を向けた。
「で、そこのちっこいの。客か?」
「クロです。……ハンターです」
クロはそう言って、端末を取り出し、アヤコと同じようにギルド証を表示する。
シゲルはそれをちらりと確認し、すぐに頷いた。
「そうか。孫がすまんな。アヤコが何か迷惑かけたか?」
「いえ……大丈夫? です」
言いながらも、クロの返事にはどこか“自信のなさ”と“混乱”がにじんでいた。
「で、なんで貸しドックなんだ? 理由ぐらい説明しろ」
シゲルの問いに、アヤコは間髪入れず、まっすぐな声で答えた。
「クロの機体を見るためっ!」
「…………」
その場に、しんとした静寂が落ちる。
クロはゆっくりとアヤコの方へ振り返り、小さく息を吐いた。
「……さっき、“他言無用”って言いましたよね」
「あっ……」
アヤコの顔がこわばる。自分で言っておいて、完全に“しまった”という顔だった。
「ごめん……!」
クロは軽く肩をすくめ、ひと呼吸置いてから言葉を続ける。
「まあ……いずれ、ハンターとして活動していく以上、誰かの目に触れるのは避けられません。ですが――口が軽すぎます。こちらは見せる際、真実を話します。ですので、今回だけは見逃しますが……これ以上は、許しません」
その声は穏やかだったが、確かな“線”を引く力があった。
アヤコは反省したように小さく頷き、シゲルはそんな二人を見て、やれやれと肩を回す。
クロは姿勢を正し、シゲルに向き直る。
「私の機体は――全長300m級です。それを安全に展開できる空間が必要で、そのために貸しドックをお借りしたいのです」
言葉を切り、丁寧に頭を下げる。
「ご迷惑をおかけすることは承知しています。ですが、アヤコとの約束――“口外しない”という取り決めを、どうかシゲルさんにも守っていただきたい」
クロは一拍、間を置いてから言葉を続けた。
「……破れば――殺します」
その声音は低く、静かだった。脅しでも冗談でもない。淡々と事実を告げている、それだけの口調だった。
まっすぐに向けられる視線に、シゲルはわずかに目を細める。だが、特に動揺する様子は見せなかった。“殺す”という言葉にも、大きく反応はしない。
ただ、確かに――その眼には、アヤコと同じ“興味”が灯っていた。
「……まあ、確かにな。あの貸しドックは俺じゃないと開けられんしな」
そう呟いて、シゲルは腕を組むと軽く頭を振った。
「……いいだろう。貸してやるよ。アヤコ、店を閉めろ。俺たちも行くぞ」
「了解~!」
アヤコが嬉しそうに声を上げ、背後でパネルを操作する。店内の照明が一段階落ち、ジャンクショップの正面には「CLOSE」の文字が点灯した。