IDなきハンターと赤髪の整備士
誤字脱字修正しました。
ご指摘ありがとうございます。
クロはコロニーの外壁に沿って歩いていた。行き先はまだ決めていない。ただ、頭の中にはひとつの問題がずっと渦を巻いている。――機体登録に必要なIDが、どうしても用意できない。端末を何度見返しても、登録項目の「ID」だけが埋める手段が思いつかなかった。
(……どうにか、ごまかす方法はないものか)
そう思いながら歩いていたそのとき、ふと視界にひとつの看板が映る。
《ジャンクショップ》くすんだネオンサインに惹かれるように、クロは足を止めた。そして、軽い興味本位でそのまま中へと入ってみる。
店内に一歩踏み込んだ瞬間、空気が変わった。むせかえるような金属とオイルの匂い。足元を埋め尽くすように並べられたパーツや機械の残骸。壁には古びた端末やコードが所狭しとぶら下がり、天井にはいつの時代のものとも知れないドローンのフレームが吊るされていた。まるで――古い漫画に出てくるような、本物の“ジャンク屋”。
「……すごいな。まさか、ここまで雑多だとは」
クロはぼそりと呟きながら、ゆっくりと棚の間を歩きはじめる。ここに来たのは偶然だった。けれど――
(もしかしたら……この中に、IDをごまかすための“何か”があるかもしれない)
そんな一縷の希望を胸に、クロは目の前に広がる混沌の山を、ひとつずつ見ていくことにした。
「……そううまくはいかないか」
クロはぽつりと呟いた。落胆というより、どこか自嘲めいた響きが混じっていた。理由は単純だった。店内に積まれた部品も、散乱した端末も――見れば見るほど、何が何だかわからなかった。形状も機能も用途も、すべてが未知の世界。端末に表示されたデータコードも、ラベルも、専門用語の羅列にしか見えない。
(……そもそも、知識がなさすぎる)
ロボットに擬態はできても、“機械そのもの”になるわけではない。外見も挙動も精密に模倣できるが、当然のようにあるはずのコックピットや制御系は――この身体には存在しない。
バハムートとしての記憶。そして、それ以前の転生前だった頃の知識にも、こうした“技術的な領域”は含まれていなかった。何千年も生きてきたというのに、そんなものは必要なかったからだ。
つまり――
(IDをどうこうする以前の問題だ)
クロは目の前の古びたパーツを見つめながら、静かに冷や汗をかく。
(……今さらだけど、俺。通信機能も、映像出力も……コックピットでできることが、何ひとつできてない)
それに気づいた瞬間、背筋にじわりと冷たい感覚が広がった。
(……これ、けっこうマズい状態じゃないか?)
静かなジャンクショップの空気の中で、クロは棚の影に隠れるように、ひとつ息を吐く。
そのとき――
「何かお探し? お嬢ちゃん」
不意に背後から声をかけられ、クロはびくりと肩を揺らした。振り返ると、そこに立っていたのは十四歳くらいの少女だった。
赤く短く切りそろえられた髪。作業用の黒いジャンプスーツには、あちこちにオイルや機械グリスの汚れが染みている。頭には跳ね上げたフェイスマスク――整備士特有のスタイルだ。どこかボーイッシュな印象だが、声はやわらかい。
「いや……その、わからない物が多くて。何が何だか……ごめんなさい」
クロは少し困ったように目を伏せ、正直に答えた。
すると、目の前の少女はぱっと笑い、肩をすくめて言う。
「だよね~。ここ、初見でわかる人の方が珍しいって」
気さくなその口調に、クロの肩の力がほんの少しだけ抜ける。
「そういえば、学校は?」
「……いえ、私は学校に行ってなくて。クロと言います」
クロは腰のホルダーから端末を取り出し、ギルド証を表示して名乗った。
「へぇー、ハンターなんだ。しかもこの年で? すごいじゃん!」
少女は目を丸くしながらも、すぐに笑って言葉を続ける。
「私も学校には行ってないよ~。だって機械いじりしてる方が楽しいしさ。ね、仲間だね?」
そう言って笑う少女の顔は、整備油で少し汚れてはいたが、どこか無邪気で屈託がなかった。
「私の名前はアヤコ。よろしく、クロ」
「よろしくお願いします、アヤコさん」
丁寧に頭を下げたクロに、アヤコはにっと笑って手を振る。
「“さん”とかいらないよ~。呼び捨てでいいから。こっちも呼ぶしね。で、何を探してたの?」
その問いに、クロは一瞬だけ黙り込んだ。このままはぐらかすこともできる。だが、それでは何も進まない。少しの逡巡の末、クロは正直に打ち明けることを選んだ。
「……実は、IDとコックピットのことで困っていて。どうにかごまかす手段がないかと考えてたら、ジャンクショップの看板が目に入って……。それで中を覗いてみたんですが、何もわからなくて」
クロの言葉に、アヤコはふんふんと頷きながら聞いていた。話が終わると同時に、目をきらりと光らせる。
「なるほどね~。それなら一度、機体見せてよ。触らせてくれたら、構造くらいすぐにわかると思う♪」
――しまった。
クロの顔に、わずかに後悔の色が浮かんだ。
(……そう来るとは。機体=俺。……無理だ)
うかつだった、と内心で舌打ちする。言うべきじゃなかった。今さら後悔しても遅いが、相手の無邪気な笑顔がさらに事態を悪化させる。
「その……普通の機体じゃないんです」
曖昧な言葉を選んだつもりだった。だが、アヤコはすぐに食いつく。
「えっ!? なになに? まさか、生きてるとか!?」
そう言って、アヤコは破顔しながら笑う。「冗談、冗談」と手を振ってはいるが――クロにとっては、笑えない。
(……笑いごとじゃないんだけどな)
冷や汗が、首筋を伝って落ちるような気がした。
「いや……その、ちょっと……見せるのは、今は難しいんです」
なんとか取り繕うように答えたクロだったが、アヤコは一瞬だけ眉をひそめ、すぐにまた軽く笑った。
「そっか。今流行りの“生体兵器”かと思ったのに、残念。まあ、変なパーツ外されたりしたら困るもんね~。見せられるタイミングが来たら教えて。楽しみにしてるから♪」
クロはそれ以上何も言えず、小さく頷くしかなかった。だが、その言葉の中に、妙に引っかかる単語がひとつあった。
「……生体兵器って、何ですか?」
尋ねると、アヤコは「おっ、食いついた」と言わんばかりに口角を上げる。
「生体兵器っていうのはね、文字通り“生きてる”兵器のこと。機械じゃなくて、生物や有機素材で構成された機体や武装。中には思考回路も内臓構造も、完全に“生命体”として作られてるやつもあるよ」
クロはわずかに目を細める。
「……そんなものが、あるんですね」
「まあね。あんまり表には出てこないけど。扱いが難しいし、倫理的な問題も色々あってさ。ここら辺じゃ、まず見ないかな。都市圏の奥とか、軍事系の研究施設じゃない?」
アヤコの口調は変わらず軽いが、その言葉の端々には確かな知識と経験の重みがにじんでいた。
(……表に出ていないだけで、“存在する”ということか)
クロはその言葉を胸の奥で反芻する。
「それって……どうやって動かすんです? コックピットとか、あるんですか?」
質問すると、アヤコは「おっ、来た来た」とでも言うように口角を上げてにやりと笑う。
「グイグイくるね~。嫌いじゃないよ、そういうの」
言葉の調子を緩めながら、続けた。
「まあ、いろいろ方式はあるけど、多いのは普通のコックピットを内蔵するタイプとか、外部から遠隔操作するパターンだね。で、ちょっと前に噂で聞いたのが――“融合型”とか、“有機素材で作った操縦中枢”とか」
「……融合型?」
「うん。操縦者と機体が、直接“神経”とか“組織”で繋がるんだって。自律的な反応速度とか、空間認識とかが上がるらしいけど……まだ研究段階らしいし、あくまで噂。でも技術自体は、たぶんもうどこかで動いてるよ」
軽く笑ってはいるが、アヤコの視線は鋭かった。言葉の柔らかさに反して、その目はじっとクロの反応を観察している。
「で、話を戻すけどさ。IDとコックピットの問題――なんとか、できるかもしれないよ?」
その一言に、クロの胸がかすかに高鳴る。けれど、それを悟られぬように表情を整える。アヤコの笑顔は――どこか“仕掛けている”顔に見えた。
「……お金、ですか?」
探るように問いかけると、アヤコはすっと首を振り、にっこりと微笑む。
「ううん、違う違う。見せて? 機体の方♪」
――やっぱり、そこに戻るか。
クロは一瞬で答えを返せなかった。内心では冷や汗が滲む。その沈黙を、アヤコは逃さない。
「クロが“生体兵器”に食いついた時、ちょっと不自然だったんだよね~」
彼女の声は楽しげだが、その口調には妙な重みがあった。
「普通の人なら“そんなのあるの?”で終わるのに、クロは“それってどう動くんです?”だった。……つまりさ――」
アヤコは片目を細めて、いたずらっぽく笑う。
「それ、もう“持ってる”ってことじゃないのかな♪」