ギルド制裁と静かな承認
クロがギルドの扉をくぐると、室内の空気がわずかに張り詰めた。休憩スペースやカウンター付近にいたハンターたちが、一斉に視線を向ける。
その視線には、興味、好奇心、警戒――中には、品定めするような目や、露骨な下心をにじませた者もいた。
だが、クロはまったく気に留める様子もなく、受付カウンターへとまっすぐに歩を進める。
カウンター奥で書類に目を通していたグレゴが、クロの姿に気づいて顔を上げる。そして、大きなため息をひとつ、盛大に吐いた。
「……依頼が終わりました」
淡々としたクロの報告に、グレゴは額に手を当て、軽く首を横に振る。
「初日から……お前なぁ。やり過ぎだ」
そう言いながらも、グレゴは手元の端末を操作し、カウンターの一角を指さす。
「ここに端末を置け」
クロは腰のホルダーから端末を取り出し、指示された位置に静かに置いた。
「今回は、他の迷子動物の捜索依頼の一部も回収・特定されていた。お前が提出したデータがすべて一致してたから、まとめて“依頼達成”として処理された」
グレゴは操作を終えると、ディスプレイをクロに向ける。
ホログラムには――達成済みの依頼数「15件」と、それに対する報酬金額「15万C」が明記されていた。
「一件あたり1万C。合計15万C。……問題なければ、承認を押してくれ」
クロはディスプレイに目を通し、一瞬の迷いもなく“承認”のボタンに指を伸ばす。
操作完了の音が静かに鳴った後、グレゴはふぅと息を吐き、真面目な口調で言葉を続けた。
「……これは忠告として受け取ってくれ。あまり、派手にやり過ぎるな。簡単に制圧できるなら、それに越したことはない。……今回の対応は、間違いではなかったがな」
その声には、叱責よりも“本気の心配”が滲んでいた。
クロは素直に頷き、一つだけ付け加えた。
「それと――確認したいことがあります。こいつら……ハンターとして、登録されていますか?」
言葉と同時に、クロは端末を操作し、録画データをホログラムに投影する。
映し出されたのは、依頼人のもとへ向かっていた道中。その背後をつけていた三人の男たちの姿が、くっきりと浮かび上がった。
顔には下卑た笑み。中には、視線すらまっすぐに向けず、品定めするように舌なめずりをする者もいた。
その中心で、クロは冷静に応じる。拒絶、警告、そして――明確な“最終通告”。
映像の最後には、三人が一斉に気絶していく様子までが、はっきりと記録されていた。
数秒の沈黙。
グレゴは表情ひとつ変えぬまま映像を見終え、やがて――受付カウンターに拳を叩きつける。
鈍い音が、ギルド内の空気を震わせた。
「……おい! アレク!! こっちに来い!」
その怒声はギルド全体に鋭く響き渡り、一瞬にして場の空気を凍らせる。
酒を飲んでいた者が手を止め、笑っていた者が眉をひそめ、ざわめきがすっと消えた。
そして――一人の男が、椅子からゆっくりと立ち上がる。
濁った目。乾いた笑み。明らかに動揺を隠しきれていない。重たい足取りで、カウンターへと近づいてくる。
クロはその顔を見た瞬間、確信した。
――こいつだ。
ギルドに入った直後、真っ先にこちらを舐め回すような目で見てきた男。まるで“少女”として値踏みするように、下卑た欲望を隠そうともしなかった。
あの目線だけは、忘れようがなかった。
間違いない。アレク――“こいつ”だ。
「アレク。……こいつら、お前のところの連中だな」
グレゴは静かに言いながら、クロの端末に映し出された映像を突きつけた。ホログラムには、三人の男たちの醜態と、それに対するクロの対応がはっきりと映っている。
だが、アレクは一瞥しただけで肩をすくめ、悪びれる様子もなく答えた。
「そうだな。うちの下っ端だよ。……で? 何か問題でも?」
にやりと笑い、続ける。
「ったく、あいつら……失敗しやがったのかよ。使えねぇ連中だな」
その口ぶりに謝罪も反省も一切なかった。まるで、“仕事の失敗”を笑い話にしているかのようだった。
クロが一歩、無言で前へと出る。その気配だけで、周囲の空気がわずかにざわめいた。
「……グレゴさん。お仕置きしても、いいですか?」
淡々としたその問いに、アレクは一瞬、目を見開いて固まる。
だが次の瞬間――腹を抱えて爆笑した。
「おいおいおいおい……マジかよ、こいつ! ははっ、頭大丈夫か!?」
アレクは膝に手をつきながら、涙を浮かべて笑い転げる。
「最低ランクの奴が、Aランクの俺に“お仕置き”だってよ! ははっ、冗談は顔だけにしとけっての!」
そして、顔を上げると――ニヤついたまま顎をしゃくって挑発した。
「……いいぜ。やれるもんなら、やってみろ。平手打ちでも足蹴でも構わねぇ。ただし――」
その声がわずかに低くなる。
「その代わり、こっちも遠慮なく“反撃”させてもらうけどな」
舐めきったその目は、クロを完全に見下していた。笑いながら、明らかに“やってみろ”と言っている表情だった。
クロは静かに視線を横へ向けた。グレゴの方を一瞥し、軽く顎をしゃくる――まるで「許可は得た」とでも言うように。
すると、グレゴは無言のまま肩をすくめ、小さく頷いた。
それを見届けたクロは、再び正面に視線を戻す。
「ほら、どうした、お嬢ちゃん♪」
アレクがにやついたまま挑発する。
「さっさとやれるもんならやって――」
その言葉の途中だった。
音もなく、アレクの姿が消えた。
正確には――ギルドの壁ごと吹き飛ぶように、外へと放り出されていた。
バシュッという風切り音とともに、壁の外から鈍い着地音が響く。
外を覗いた数人のハンターが、慌てて声を上げた。
「……おい、あいつ……外で倒れてるぞ!」
地面に転がるアレクは、顔を横に歪ませ、見事な手形が赤く残っていた。頬骨は凹み、目はうつろ。口元は引きつったまま、手足だけがピクピクと小刻みに震えている。
もはや言葉も出せず、虫の息だった。