回想夢夜曲『惨劇の残影』
『得ることは必ずしも良い事ではない。
金を得れば妬みを買い、力を得れば畏怖される。
そうして得ることが出来なかった者は得た者を抹殺する。
人が真に望む世界とは何者も突出しない、平坦な世界なのか。
否。
歴史は語る。
人が求めているのは己のみが幸せと感じる世界他ならない』
作者不明『強欲なる支配者』
それは遠い昔話。
「去ると言うか。
セリム・ラスフォーサー」
そこは山間にある小さな村。
人口は100人ほどか。
村の玄関とも言える場所で十数人と相対するのは一人の女性。
影を纏ったような、月が似合いそうな女。
「『先見の魔眼』に何を映した」
年老いた女が怒りを滲ませ問う。
声はその後ろに倣う者にも敵意を感染させた。
「言えません」
しかし柳の葉の如く、女は応える。
「そして、問いましょう。
私を止められる、と?」
細められた目に射竦められ、小さな悲鳴を挙げるものまで出ると、誰もが知らぬがうちに目線をそらす。
彼女らにとって『目線をそらす』とは敗北を意味する。
彼女らは特異なる種族。
そしてそれを色濃く象徴する物がある。
それが魔眼。
視線という干渉媒体のみで異常なる現象を起こす者。
逆に言えば、見ていない物には干渉できない謎の多い力だ。
「長、私があなた達に語る言葉はありません。
例えばここで貴方たちの上に槍の雨が降ると私が言うとしましょう」
彼女は誰一人の仕草をも見逃さないかのように俯瞰する。
「それが貴方たちを狙っている場合、何所に逃げてもその槍は貴方達へ向かうことになります」
「降らす者が知れれば対抗は可能じゃ」
「そうしたとして、何が変わるのでしょうか?」
訝しげな彼女らに彼女は微笑む。
「退けてもその意志ある限り再び来るでしょう。
それもより大きな力を携えて。
二度退ければ三度、三度退ければ……」
息を飲み、黙る一同に冷笑を送り、彼女は背を向ける。
「どうしても承服しかねるというならば最後の言葉を」
最早振り返る意思はなく、手向けの言葉のように背中越しの声が響く。
「我らのこの力、常人に対しては圧倒的な強者であり、その数では足元のゴミよりも容易く踏み潰される存在なのです」
そうして、セリム・ラスフォーサーはこの地を去った。
その頃から村では若い者を中心にまことしやかに流れる話があった。
『この村は滅ぶ』
先見の魔女は頭の凝り固まった老人への説得を諦め逃げたのだと。
もちろん、それを証明するような事実は一切ないが、先見の魔女という類希なる者が去った事が噂を増長させていた。
一方でその噂を諌めるべき老人たちは、口を貝のように閉ざしていた。
例え否定したところで『ない』という証拠を提示できる者などいない上に、老人たちの中にも噂を真実と捉える者が居るのが現実だった。
そうして一年が過ぎた。
確信へは至らない噂話も次第に薄れ、誰もが日々の生活に戻った頃。
そこに一人の男が現れた。
その先駆けは、遠見の魔眼を持つ者が突如石化したことに始まる。
状況を理解する前に大局は決まっていた。
静寂に支配された村で彼は静かに笑う。
彼の名はアルラトギアス。
闇の歴史にて名高い『狂気蒐集者』
彼はにやにやと笑いながら千里眼を持つ少女へと近付く。
周囲に動きはない。
不埒な侵入者を迎撃せんとして、それ故に石と成り果てその場に醜態を晒している。
「戻りなさい」
声は短く、事象は一瞬。
突如生身に戻った少女は状況を理解する暇も与えられず喉を貫かれた。
そうして男は楽しそうに目玉を抉り出すといつの間にか手にしていたビスクドールへと無造作に押し入れる。
刹那───────
「おはようございます。ご主人様」
ビスクドールが跳ね起きる。
すぐさま地に足をつけると彼に恭しく礼をする。
「さぁ、どんどんイきまショウかねぇええええ!?」
主人の声に人形はふらふらと従う。
その数を1つ、また1つと増やしながら。
男の纏う鎧は禍々しいまでに醜悪。
その全面に広がるのは顔面の皮。
残虐という言葉を追求したような顔面はおぞましいと言うしかないが、そのコメントを口にできるのは世に何人いるだろうか?
特徴的なのは頭髪の代わりに伸びる蛇。
丁寧に肉をはがされたそれはやはり鎧に巻きつけられ醜悪且つ狂気的な彩りを強くしている。
そして2箇所。
平面でなく立体的に盛り上がっている個所がある。
この死に顔を晒す怪物の名前をメデューサと言い、顔の皮以外に残された個所は伝承に名高き石化の邪眼である。
同じ邪眼を持つ魔女はその性質上、『見たものにしか』影響を及ぼす事はできない
そして、メデューサの誇る邪眼は見た物を瞬く間に石化せしめる。
こうして、魔女の村は一瞬にして壊滅した。
『悪意の創造神』アルラトギアスの悪名を知る者は少ない。
その理由の最たるところは、彼が目的のために手段を選ばない事にある。
効率主義ならまだ救いがある。
彼の『手段を選ばない』という言葉は思いついた手段を強引に成し遂げるというに等しい。
そしてその手段は限りなく陰惨な結果を残した。
彼が死んで数百年。
彼の遺産は彼の遺志を忠実に継ぎ、未だに悲劇を生み続けている。
騒乱の夜が終ると、闇はやはり静寂を好む。
夜会。
魔女の行なうそれの起源は猫の行為とも言う。
思い思いに集まった猫の数は十数匹。
しかしこれは夜会参加者の一部にしか過ぎない。
アイリンに住む猫は彼女を長と仰ぐ。
思い思いに話す猫たちの言葉を聞き流し、彼女はゆらりしっぽをくゆらせる。
実のところ彼女の意識は夜会に向けられては居ない。
ここから少し離れたところにある宿で人形を動かしているのだ。
『アルルム』
一回り大きな黒猫が彼女を呼ぶ。
「ん? どしたの?」
不意に呼びかけられ、彼女は視線をゆっくりと向ける。
『俺たちは疑問に思っている』
しばしの沈黙。意識は彼方に。
そして戻すと気だるそうな雰囲気を纏いながら小首を傾げる。
それを問いと判断した猫はまっすぐに見詰め、問う。
『これは、本当に正しいのかと』
「どーだろね」
そっけな言葉に黒猫は言葉に詰まる。
「正しいかもしれないし、正しくないかもしれないにゃ。
けれども、やっぱりこういうことだと思うにゃよ」
『わからない』
「かもねぇ」
気が付けば全ての猫がアルルムを見つめている。
『アルルム、君は』
「仕事はちゃんとやるにゃよ」
遮って笑み。
「でもね、わすれちゃだめにゃよ。
君たちはどうやっても猫なんだから」
互いが顔を見合わせる。
「そして、ここは人間の町。
その境界を誤ればいい事なんてないにゃよ」
沈黙には痛みが宿る。
野良猫である以上、皆一様に苦い経験はしている故だ。
「人間はね。最終的に常に勝者だったんだよ。
だから知らないんにゃ」
猫娘はすっと目を細め風に若草色の髪を泳がせる。
「敗北の真なる絶望を」
誰かが鳴いた。
遠くで誰かが鳴く。
猫の声は邪悪を祓うと言う。
猫の眼は死者を見ると言う。
朗々と気高く。
猫の声が唱和する。
静かに。
静かに。
そうしてその声を聞きながら、女はアイリンを見下ろす。
「私は」
舞い散るそれは幻想の証。
散り消えてなお、悪夢を齎す。
「私は」
それは問い。
己への果てない問い。
「……」
意味のない、問い。
意味など最初からない。
理由すらもない。
これは幻。
たかだか一瞬の夢。
誰がこの問いに応じられよう。
人間に代表などいない。
一時に王が生まれようとも、それは全ての王ではありえない。
余りにも人は多すぎる。
「結局」
私はただの道化。
命じられるままに踊る道化。
しかし客は笑わない。
この舞台には嘆きと悲しみと、怒りと苦しみのみが上がることを許されている。
微かに煌く希望すらも、絶望へ続くための準備に過ぎない。
「私は」
それでもやらねばならない。
眼下に広がる町並みに、人形達が踊る様を見詰めながら。