協奏曲『約束された破壊』
『神はやがて人を恐れるだろう。
人はやがて神を殺すだろう。
神に手が届くその時に』
作者不明 『強欲なる支配者』
その光景はアイリンのどこからでも見ることができた。
天に上る純白の羽。
突然現れた白の柱に誰もが呆然と見上げ、そしてその後に起こる惨劇を目の当たりにした。
声が響く。
それは余りにも美しく冷たい声だった。
それは余りにも深い悲しみに支配された声だった。
声は言う。己の種族が受けた仕打ちを。
声は言う。人の余りにも深い業を。
信心深い者が見れば翼を背に嘆きを説く姿は御遣いとも思えたか。
誰もが呆然とその姿を眺め、そして白き柱の崩壊を見た。
白が金になりそれは破壊となる。
『鉄槌を』
地が震えた。
炎が挙がり誰もが驚きのまま動けずに空を見上げる。
『鉄槌を』
それはまるで神罰の炎。
少女は両親の傍らで眠い目を擦りながらその光景を見ていた。
見上げるほど近い場所に翼の塔が立っていた。
不意に父親が言った。あぶないから、と。
母親は一瞬怪訝そうな顔をして、それからやはり、そうね、危ないわねと部屋の真ん中あたりに移動した。
「お外が見えないよ」
少女が抗議するも、父親と母親は何も言わずただ蹲るように少女を抱き締めた。
ごぅんっ
そこからはよく憶えていない。
ただ凄まじい音が続き、そして意識を失った。
「隊長」
それは鉄槌の本の少し前。
「君の持ち場は第四区のはずだけど?
……ライサ君」
ジュダークは赤が持ち場へと散開して約二時間という時間をずっとこのドイル神殿の中で過ごしていた。
ライサの記憶が確かならばこの区域は比較的人員配置が少なく、代わりにこの周囲の区域には厚めの人員配置が為されていたはずだ。
つまり、
「隊長、教えてください」
「何をだい?」
声は軽く、優しい。
「隊長は何を望んでいらっしゃるのですか?」
それは大事に臨む時の声色では決してない。
彼は必要以上に誰も傷付かない方法を最後の最後まで考え続ける、そんな人のはずだ。
「…… 何なんだろうね」
返答は苦笑だった。
何も、という回答が帰ってこない分そこにはやはり彼特有の素直さがあった。
「よくわからない。
これが最善だとわかっていても、やっぱりわからないな」
「事情をお伺いするつもりはありません」
何故か誰も居ない聖堂で、ジュダークは部下の思いつめた表情を見る。
「ライサ君。
君には感謝しているよ。
君のおかげで魔術師ギルドからは今後格別の援助をしてもらえるだろうね」
「私は何も──────」
「いや、君のおかげだよ。
君が頑張らなければここまでの結果にはならなかった。
ありがとう」
「っ!」
不安が一気に込み上げ、胸が締め付けられる。
「兄様、そん別れさ言葉なね」
それを打ち砕いたのはあまりにものんびりとした方言。
咄嗟に涙が出ていないことを確認したライサが振り返るとドイルの聖衣を身に纏う女性が立っている。
「そうかな?」
「部下な不安にさせんの言いなんなそね、いきひんよ」
兄様ということは、彼女はジュダークの妹。確か以前大本営に勤めていたはずの人である。
「初めまして。アイシア言うんよ。よろしくね」
優しい顔立ちがとても似ており、確かに兄妹だとわかる。
「兄様のお願いな、みんいって貰ったき」
「悪いね。
無茶を言って」
「兄様な事やき、悪かこたせぇひんなね。
けん、今んはいきひんね」
諌める口調だが迫力は皆無である。
根から優しさで構成されていると思えるほど穏やかな女性である。
「アイシアも戻ったらどうだい。
彼も心配するだろうに」
「今な海さ上なね。
しぃと連絡さしてんし、うちも神殿騎士なね?」
神殿騎士、つまり神威を武として奮う事を旨とした者。
見れば豊満な肢体だが覗き見える腕や脹脛は引き締まっている。
「なんな無茶してん、みんに心配なかけんはいきひんよ?」
「わかってるつもりだけどね」
苦笑。
かなり癖の強い言葉ではあるが、なんとかライサは理解し、そしてジュダークの顔を見上げる。
それに気付いたのか、ジュダークはライサに向き直ると
「問題はないよ。運良く問題は解決してしまった。
後は事が無事に進む事を祈るだけさ」
そのまま視線を聖像へ。
アイリンのドイル神殿は大規模とはお世辞にも言えないがそこはそれ大都市にあるだけの物はある。
また昨今ミルヴィアネスから寄進があったため、冬が明ければ改築工事をする事になっているらしい。
ドイルに隣接するミルヴィアネス領にはアイリン信者が多いのはもちろんだが、ドイル信者も多い。
特に農業を生業にするのであれば豊穣の神は祀るべき神に相違ない。
「もう起こるべき災厄は起きてしまった。
残った仕事は後片付けだけさ」
青年が浮かべた笑みの、余りの力なさに二人の少女は顔を見合わせる。
「豊穣の神ドイルは我々に恵みを齎す技術を授け下さった。
……その中に『間引き』がある」
静けさだけが際立ち、説教を皆に聞かせるためによく響く構造に造られた場所で、その響きは余りにも不気味。
「成長を見込めない弱い芽が強く豊かな実りを結ぶ芽を邪魔せぬように、予め刈り取る方法だ」
それくらいこの二人に説明する必要すらないだろう。
なのにあえて声に出し、彼は続ける。
「ボクはそれを容認した。
それは余りにも許されざる行いだというのに」
「隊長……一体何を……?」
たった数秒で十歳は老いたような、酷く衰弱した目がライサの呼吸を止めた。
「すまない。
なんでもないよ」
それは幻とばかりに、温和な微笑が彼の表情を繕う。
「さて、行こうかな。
ライサ君。君は予定通りの配置に。
アイシアは今のうちに帰ったほうがいい」
「はわ。
けん……兄様……?」
「大丈夫だよ」
気遣わしげな視線に笑顔で応じるが長年一緒にいた妹の目には明確な憔悴が見て取れる。
手には魔槍。
彼は静かに最後の舞台へと歩いていく。
全ての茶番に幕を下ろす道化として。
二度目の『鉄槌』が天へと伸びる。
完全に不意を突かれる形になった者達は呆然と白の柱を見上げる。
そこに『腕』が伸びた。
いつの間にか空を覆った暗雲を突き崩し、掌だけで数十メートルはあろうかという手が雷の速度で白の柱を押し潰し、翼の女を掴む。
「二つ目の腕は天より伸びて、その命を奪うだろう」
この事態を予見していたかのように、彼は槍を携えそこに居た。
冒険者達の圧倒的な勝利に安堵する事なく、天からの告発者は天へと還った。
圧倒的な力による、技術と魔術による暴力の前に屈して。
神秘を通り越した光景に我を失っていた傍観者たちはやがて冬の空気に覚醒を強制させられる。
気付けば。
周囲は戦争でもこうはならないとばかりの惨状。
とてもではないが家屋に居た住人が無事とは思えない。
「……助けないと」
それでも、一人、また一人と赤の面々は己のすべき事を思い出して瓦礫に挑もうと近付いていく。
にゃぁ
声が響いた。
ある崩れた家屋の上で子猫が一匹。
何を思ってか必死に鳴き声を上げる。
野良猫は人に近付かない。
もう一年近くにもなろう。
バールの大規模侵攻の際、その腹に魔術を仕込まれ殺戮兵器としてアイリンにばら撒かれた彼らは、小動物の特性を最大限に生かして、怯え篭る市民を死へ誘ったのである。
それからというもの動物への嫌悪感、虐待は陰惨を極め、逃れるように彼らも人間に近付く事はなくなっていた。
そんな彼らがまるで呼ぶように鳴いている。
一匹ではない。
点在するように瓦礫の上に立ち声を挙げている。
不審。あまりにも奇妙な光景に誰もが立ちすくむ中、誰かが言った。
「この下に人が居るぞ!」
逡巡は数秒。
即座に人が集まり瓦礫を慎重にどかしていく。
「居た!」
そこには運良くできた空間で蹲る家族の姿があった。
埃には塗れているが大した外傷は見当たらない。
すぐさま皆の心に『もしや』という思いが走る。
先ほどの猫に近付いてみれば、子猫は鳴き止み、素直に場所を譲った。
そして一度だけ小さく鳴く。
普段なら一目散に逃げるだろう子猫は今から彼がやろうとしていることを知っているかのように見詰める。
『………け……て』
声が聞こえた。
「ここもだ!」
他から声があがった。それは最早確信。
「こいつらの居るところの下に人が居る!」
そうなれば赤の行動は早かった。
小隊単位で集まりまず一軒を集中して掘削する。
被害者を救出し次へと向かう。
指揮を採るのはこの地区を担当する小隊。
彼らはこの地域のどの家にどんな人間が暮らしているか知っている。
子供が居る家、老人が居る家。数ヶ月前までは知りもしなかった情報を今の彼らは持っていた。
理由は簡単だ。
新しい隊長であるジュダークのほぼ唯一の命令が『担当地域の住民を憶える事』であるから。
「神殿へ援護要請を、怪我人に手当てをするんだ」
すぐさま神殿のある区域の担当小隊、並びに伝達分隊が行動に移る。
緊急時に限り市内でも馬を駆けさせる伝達分隊はかつて青との模擬戦の時には目立った活躍が出来なかったものの、その悔しさからか今では青の兵に負けず劣らずの馬術を身につけていた。
赤とは本来王都防衛。
外敵から王都を守るための軍である。
しかしジュダークの指揮する大隊に限り、その意味を大きく変貌させている事を誰もが悟る。
彼の指揮する赤は内外の問題から市民を守るための軍である。
民があり、その上で指揮者としての貴族がある。
その教えを忠実に心に刻み生きてきた彼がその志のままに少しずつ赤を変化させてきた結果だった。
無論、それは赤の本分に外れる事と批難されるかもしれない。
ただ、今この場に居る者だけはそれを批難することはないだろう。
彼らは自分達が後悔する事なく助けるべき命を助けている、そんな決意と喜びがあるのだから。
だからこそ、彼らは気付いていない。
余りにも必至だから。
この余りにも出来すぎた幸運に。
救出作業が進む中、彼は少し離れた場所で瓦礫に隠れるように座り込んでいた。
天より超常の腕を招いた槍は少し離れた場所で鈍い輝きを放っている。
「にふ」
すっと目の前に赤い猫が踊り出て妙な声で鳴いた。
誰かと問う必要もない。
ついでにその背中には彼女を模した人形がしっかりと掴まっている。
「お疲れ様~」
2頭身にデフォルメされた人形が簡略化されたフェルト製の手をふりふりそんな事を言う。
「ちなみにあちしは猫な時は喋れないのです」
にゃぁと赤猫こと本物のアルルムが鳴く。
とりあえずどう答えてよいものかとジュダークは呆れ、とりあえず無言。
「いや、ほら。
一応風の精霊で合成音声とかもできるけど、今日は猫乗りアルルムちゃんってところでよろしくにゃ~」
「ええと、何の御用ですか?」
そろそろ止めないと延々漫才をしそうな気がしたので問う。
「うん。
ま、お疲れ様~ってとこで。
あら?
これもう言ったっけ?」
ビーズの目とフェルトの表情は動かないので仕草で疑問を示す人形。
「ま、それはともかく。
これであちしの仕事は終わりにゃね。
異常事件の主犯は見事ジュダークちんが倒しましたとさ」
「……」
槍を見る。
ある意味共演者とも言える少女を屠った魔具を。
「彼女は?」
「消えたにゃよ。
地からの腕『ギンヌンガガプ』に飲まれた者は何処とも知れぬ場所へ飲まれる。
天からの腕『トールハンマー』に掴まれた者は超高圧の紫電……あー、雷に数十万回直撃されたっぽく消滅するにゃ」
「……そうですか」
最後のあの一瞬。
彼女は確かにジュダークを見て、頷いた。
終わらせてくださいと、声なき声で囁いて。
「あの子、結局何も望まなかったにゃね」
「……?」
「こっちの話」
この舞台のために用意された7人目の人形。
その人形は安堵と共に死を望んだ。
「やっぱり納得してたのかな?」
恐らく問うても返事はないと思い、その独り言を聞き流す。
「んで、その槍どうする?」
転がる槍を指して問う。
「使う機会はこれから一杯ありそうだけど」
使えば次はジュダークの命を共に奪う。
三度しか使えぬ禁断の魔道具。
そしてその絶大なる威力の代償。
「もし……」
「にゃ?」
「次に使えば、ボクはどちらの手に掴まれるのですか?」
「んと、トールハンマーのほうだと思うけど?」
訝しげに返る答えに「そうですか」と呟き手を伸ばす。
「もう少しお預かりしてて宜しいですか?」
「んにゃ。いいけどさ~」
ふらふらと体を揺らし
「もしかして、思いっきり後ろめたい気味?」
友達との雑談程度の重みしかない声音に彼は苦笑のみを零す。
「ま、それ自体も結構な武器だしね。
木蘭ちゃんの七宝星剣でも折れない自信あるにゃよ」
オリハルコン製だし、とあっさりと言い、にふと鳴く。
「ま、好きにすればいいにゃよ。
その指輪はお手伝いの報酬ってことで。
彼らもジュダークちんは気にいってるらしいからいろいろ教えてくれるんじゃないかな?」
「あなたの情報規制がない限り、ですか?」
「にゃふ。
まーね」
『よくよく考えると今のあちしの言葉もわかるんにゃよね』
にゃーと気だるそうに鳴く声が脳裏で意味のある物に変換される。
「さ、あちしはそろそろ帰るにゃよ。
今日はみんな忙しいしね」
すくりと赤猫は立ち上がり人形は落ちまいと首輪に縋りつく。
「じゃーまったね~」
たっと軽快に走り出す猫からころりと人形が落ち、人形はむくり立ち上がるなりとてとてと必死に猫を追いかけていった。
無駄に芸が細かい。
見ていると一度ぺちょりと転んだ。
「……さて」
改めて槍を握り締め立ち上がると大きく深呼吸をした。
まだ、やるべき事は残っている。
ゆっくり、彼は歩き出す。
裁きの夜を正しく終わらせるために。




