ぐずりし着火
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
いや〜、みんな昨日の火事は大変だったね。
近場の人は実際に火が見えたんじゃないかな? 遠くにいる人も消防車のサイレンをいくらか耳にしたはずだ。
幸い、規模が大きくなる前に消し止められたみたいだけど、これらがいつあるか分からず、訓練しながらそなえている、消防士の皆さんは本当にお疲れさまだね。
火は命以外に財産も簡単に奪いかねない。ゆえに、放火は殺人より重い罪に問われるんだ。
故意でなかったとしても、ひとつの火種から思わぬ悲劇を生んでしまうかもしれない。くれぐれも火の用心だよ。
そして用心するためには、火の性質もおさえておかねばならない。
復習しようか。どうして火は上に向かって燃えていくのか。分かる人からがんがん言ってくれ!
――ふむふむ、火のまわりで上昇気流が発生しているから。
おお、ポイントをついたね。
火によって暖められた空気は膨張し、軽くなって上昇気流を発生させる。それに引っ張られて、火もまた上へ向かうというわけだ。
気流の発生は風も呼ぶ。よく火の上のほうが風にあおられるのもそのためで、延焼の危険も増してしまうんだね。
たとえ科学的な仕組みは分からずとも、人々は経験から避けるべきケースと対策を考えて、実践してきた。
もしどこかで掛け違っていたら、先生もみんなも生まれていなかったかもしれない。この点だけで、もはやご先祖様に感謝だね。
そしてご先祖さまが出くわしたという、奇妙奇天烈な話を語り継ぐのもまた、私たちの役目。
たとえ自分たちの代では、わけがわからずとも、かかわりを持たずとも、先の世代が出くわし、困ることもあるかもしれない。そのときへの贈り物というわけだ。
先生もまた「火」にかかわる、奇妙な話をひとつ紹介しようか。
これはまだ、火をつけることが難儀だった時代の話。
人々は一度つけた火を完全に消さず、火のついた赤い炭を自宅の囲炉裏周り、灰のなかにしまっておき、すぐ掘り出せるようにしていたという。
そのとある家においてだ。
いまだ冬の気配が色濃く残る寒い日に、いろりで鍋を焚こうと火の準備を始めたらしい。
ところが、吊るした鍋の下に敷いた薪は、赤みを帯びることさえするが、勢いそのものはずっととろ火のまま。
手をそっとそばへ寄せてみても、暖かみを感じない。なお炭火を近寄せて、かろうじて煙は出てくるものの、それさえもか細さ目立つ弱弱しいもの。
薪はしっかり乾いているものを選んだ。こうも燃えるのに手こずるものだろうか……。
いったん、火の世話をしていた家の男性は外へ出て、他の家々をめぐってみる。
遠目に、高い窓から煮炊きの湯気を吐いているところがいくつか。他に火をおこしている家も、鍋底に当たって横広がりするほどの火を囲炉裏にたずさえていた。
それが、なぜ我が家だけはこうなのか?
そろそろ白い部分が広くなり、ボロボロと崩れ落ちそうになる炭火。その残った赤みをどうにか移さんと、男性は粘っていたらしいのだけど。
ふいに、大きな地揺れが起こった。
「ん?」と周囲を見やった時には、もうおさまっているような短いものではあったが、鍋の中身はいまだぐらぐらと残った振動に揺れている。
確かに、揺れはあった。しかし、あらためて他の家を回っても、揺れに気づいたような素振りはなかったらしい。
ごく局所的なものだろうか。だとしても、火を扱い続けるのは危うい。
炭火を灰の中へそっと埋め直し、様子をうかがう。
地震は一度きりとは限らない。さほどの間をおかず、連続することもままあった。そいつを見極めようと思ったんだ。
にらんだ通り、揺れはそれからも断続的に起こった。
火を止めた直後の二回は、最初のそれと同じような、短いもの。しかし、三回目になると揺れの強さそのものは弱まり、代わりに長く地面を震わせるようになっていく。
男性は試しに、家じゅうを歩き回っては床に耳を当て、揺れの出どころを探ろうとしたらしい。
もし発せられるものの真上であるなら、土の内からの揺れの響きが大きくなるのではないかと、踏んでね。
結果的に、揺れはいずれでも同じような振動でもって、彼の耳を迎えた。
家の外にも出てみて、同じように耳をあてていったところ、まわりの数軒を巻き込むほどの範囲で、地面から揺れを感じたそうな。
意識している男だから気づける弱さ。皆へ注意をするのもはばかられるものだ。
飯どきではあるし、先ほど確かめたように火を使っている家も多い。大事に至らなければいいが……と願いつつ、男は自宅へ足を向ける。
そうして、自分の家のあがりかまちをのぼりかけたところで。
ふと、目の前の囲炉裏に吊るした鍋が、がたりと揺れたかと思うと、下から突き上げられたんだ。
ちょうど薪を敷いていたところの浮上は、山か波のごとき格好で、まるごと鍋を乗せつつひっくり返した。
その山肌か波肌かを中身の野菜たちが転がっていく間に、盛り上がりはどんどんと家じゅうへ広がっていく。
床の板はたわみにたわんで、この急なでっぱりに耐えるものの、ほどなく限界。そこかしこで悲鳴をあげながら裂け切れて、自分を攻めた輩の姿をさらしていく。
それは、大きな根のように、男には見えた。
自らの胴体ほどもある太さの根たちは、家のそこかしこで床を破って姿を現す。
家を建てるとき、いったんは遠ざけたであろう自然の力に、いままた蹂躙されていく家屋であったが、男は見る。
その根のことごとくは、他の大樹で見るような土に似た色をしていない。
いずれも炭を思わせるような、真っ黒い色。そのうえ、ところどころから正反対の色をした真っ白い湯気をあふれさせ、たちまち男の家じゅうを煙らせ、湿らせる。
なおおさまりきらない量が外へにわかに飛び出していって、敏い者に男の家で起きた異状を報せていった。
被害は、男の家のみにとどまらず。
男が振動を感じていた家たちのまわりも、同じような根の隆起に出くわしていた。
あちこちで土を割り、のぞかせる姿はいずれも黒色。湯気を吐き出すものがほとんどだったが、中には小さな火をまとう箇所も見受けられたとか。
これらの根らしきものは、まるまるこんがり焼かれたシロモノだと察せられた。
クワなどでつついてみたところ、これらの根はポロポロと芯まで崩れてしまい、内側に明るい緑色をたたえた筋を、かすかにたたえるばかりだったとか。
おそらく床や地面を割ったのが、こいつらにとって最後の力だったのだろう。それまでのこいつらは、どういうわけか土の下で焼かれ続けていたのだ。
男は、なかなかつかなかった囲炉裏の火を思い返す。
あの火は本当についていなかったのか。
むしろ下の方、地下へと向かっていたのではないか。
そもそも、潜るような動きをするものを火と呼べるのか。
疑問はあるが、真っ先に隆起の被害を受けたのが自分の家の囲炉裏であることを考えると、無関係とは思い難かった。
男の家を含む数軒は穴だらけになる惨状で、根たちは見える範囲で可能な限り砕いて除去。深くにあるものに関しては、そのまま埋め立てられる運びとなったそうだ。
あの根らしきものが、もしあのまま地面の中へ居座り、育って広がるようなことがあれば、何が起こっていたか。
男のおこそうとした火は、その危うさを察知して、本来つくべき薪より下へ行き、根を燃やし尽くしにかかっていたのか。
意味も原因もいまだ分からない不思議な言い伝えだけど、もし、本来はたやすく火が起きそうな場面で、着火がぐずることがあれば、気をつけてみるべし、とのことなんだよ。