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第1話 カノジョ襲来


「──なんで⁉ (トモ)くん、この本を持って死んでたんだよ⁉」


 その言葉を聞いた瞬間、ああ面倒なことになった、と途方に暮れた。うそでしょ、と脳裏が言葉に浮かび、それが素直に口に出る。

 目の前の女の子の涙目がギッと鋭くなって、私は思わず天を仰ぐと、心のなかで呟いた。


 ──ああ、元彼に貸した本が、最悪の形で返ってきた、と。




■■ 夜空の下に ■■




 中学生のときに付き合って、自然消滅した元彼((トモ)くんというらしい、今となってはフルネームも思い出せない)がいた。


 内向的な中学生同士、ぎこちない、ままごとのような付き合いをしていたものの、お互い恋や青春に不慣れすぎて疎遠に。それきり彼とは一切関わりを持たず、私も大人になって久しい。甘酸っぱい思い出ですらない、ああそんな人いたっけね、レベルの人物。


 そんな彼の『カノジョ』を名乗る女の子が、ある日突然尋ねてきたのだ。


 ネオンピンクのインナーカラーが入った黒髪を、わざとらしいハーフツインに結って、安っぽいリボンとレースがふんだんに使われた地雷系ファッション。パステルピンクのブランドリュックを背負い、肩からは大きなショッパーを下げている。絵に描いたようなメンヘラ女子だ。


 カノジョ──めるこ、と名乗った19歳の少女は、止める私を振り切って、ずかずかとうちに上がり込んできた。生活感あふれる1Kをぐるりと見回して、ふん、と鼻で笑う。


「せっまい部屋。こんなベッドじゃ智くんが可哀想」

「べ、ベッド……?」


 はっ、と侮蔑するように笑った彼女が次に放った言葉は、信じられないものだった。


「アンタ、浮気してんでしょ? 智くんと」

「──は⁉ なんで⁉」


 愕然とする私に、めるこはギッと鋭い視線を向ける。


「うっわ、しらばっくれるんだ。最ッ低。智くんのお葬式も来なかったし、どういう神経してんの? 信じらんない」

「いや、だから知らないって──」

「嘘つき。証拠ならあるんだから」


 充血みたいな囲みアイシャドウが、ぎろりと私を睨みつける。そして彼女は、ひとつ大きな舌打ちをすると、『智くんの死』について一気にまくしたて始めた。





 数分の問答の末、めるこが語ったことをまとめると、こうなる。


 先日の夜、『智くん』は交通事故で亡くなった。

 それも、中学時代に私がプレゼントした絵本を所持した状態で。


 その絵本は、主人公の女の子が流れ星と一緒に夜空を降りていく様子を描いた、子供向けのお話だった。彼が事故死したのは、絵本に描かれたペルセウス流星群の極大日。


 亡くなったとき、彼の鞄にはその本と財布しか入っていなかったらしい。本には私の名前と実家の住所がシールで貼ってあった。


 それを見ためるこは、即座に私の実家に訪問した。そして絵本が私からのプレゼントだったと知るや否や、母から私の住所を聞き出し、その足で飛行機に飛び乗り、たった今ここに来た──ということらしい。アグレッシブすぎる。




 一通り話を聞き終えると、私はため息もあらわに吐き捨てた。


「彼が絵本を持って死んでたからって、浮気だとか言われても知らないよ。たまたまその日、なにか絵本が必要だったんじゃないの?」

「だったらなんでめるこの絵本じゃなかったの⁉」

「あなたの絵本……?」

「そうだよ!」とめるこが噛みつく。


 なんでも、めるこもつい先日、彼に絵本をプレゼントしたばかりだったのだという。大人でも楽しめるとSNSで評判の絵本で、彼も喜んでくれたのに、と。


「あんなガキ向けの本より、めるこの本のほうが、ずっといいのに! なんで⁉ あんた智くんになに吹き込んだの⁉」

「だからほんとに知らないってば……!」


 勘弁してほしい。いきなり大昔の知り合い(正直、たった今まで元彼の人数にすらカウントしていなかった)が亡くなったと聞かされて、気持ちの整理すらできていないのだ。それなのに浮気がどうとか、困る以外に表現のしようがない。


 私は途方に暮れて、毛を逆立てた黒猫のような女の子をなだめた。


「ほんとに知らないってば。そもそも、なんで私が浮気相手なの? 彼が亡くなったのはS県なんでしょ。ここから飛行機の距離じゃない」

「お姉さんの実家に行くつもりだったんでしょ」

「なんのために……?」

「智くんの二股に焦って、あたしを出し抜きたかったんだよね? 両親に挨拶させて、外堀でも固めようとしたんじゃないの‼」

「親に挨拶? 私抜きで?」


 ありえない、と呟くと、彼女はふてくされたように頬を膨らませた。じっとりした上目遣いが私を睨む。


「……お姉さん、8月13日の夜は何してたの」

「え? 家で海外ドラマ見てたけど……」

「ひとりで?」


 うなずく。めるこは怨めしげな顔をした。


「そんなん、いくらでも嘘つけるし。ないじゃん、アリバイ」

「いや、まあそうだけどさ……」


 こんな少女からアリバイ、という単語が出てきたことに驚く。そこでふと、なぜ彼はこんな子と付き合っていたのだろう、と疑問が湧いた。


 めるこは19歳。私とは7つも年が離れている。彼と私は同い年だった。つまり、彼は7つも年下の女の子と付き合っていたことになるのだ。


「ねえ、めるこ……さん」

「なによ」


 ひどい、裏切られた、許せない、とひとりで憤っていためるこは、私の呼びかけにキッと顔を上げた。


「そもそも、なんであなたが彼と付き合うことになったの?」

「なんでそんなこと知りたがんのよ」

「その、年だってかなり違うし、どこで知り合ったのかなって」

「……言いたくない」

「あ、そう……」


 なら仕方ないか。そう思って黙っていると、めるこが苛立ったようにどん、と床を踏み鳴らした。


「なによ。聞かないの⁉」

「え、聞いてほしかったの?」


 盛大な察してちゃんムーブ。なんて面倒くさい女だ。

 呆れながら「で、どういう馴れ初めなの」と聞くと、めるこは頬をぽっと赤らめて喋り始めた。


「智くんはねえ。クリスマスの夜、めるこを拾ってくれたの」

「は……?」


 拾ったって、犬猫じゃあるまいし。ぽかんとする私をよそに、めるこは話を続ける。


「前カレが最低な男でさ。愛してるって言ったくせに、だからいっぱい尽くしたのに、どんなえぐいプレイも許して、バイト代だってぜんぶ渡したのに、あたしは四番目だったんだって」

「は、はあ……」


 いきなりすごい修羅場が出てきた。めるこがため息をつく。


「いっつもそう。愛してるって言いながら、みんなめるこを裏切る。でも、智くんは違うの」


 ようやく『智くん』が出てきた。めるこは夢見るような目をして、うっとりとつぶやいた。


「前カレに車から放り出されて、寒くてつらくて悲しくて、泣きながら一人で歩いてたときにね。通りかかった智くんが声かけてくれたの。財布も鞄も車の中、靴も取られて足が痛いし、スマホも壊されて帰れないって言ったら、その場でタクシー呼んでお金貸してくれて」

「そ、そうなんだ……」

「なんて優しい人なんだろう、きっとめるこが可愛いから気に入ってくれたんだ、もう絶対運命だって思って。お礼します! って連絡先聞いて、そこからは押して押して押しまくった」

「うわあ……」

「智くんってさあ。ぶっちゃけすごい陰キャだし、彼女なんか人生でひとりしかいたことないって言ってたし、理系丸出しの地味な早口オタクだったけど……」

「やめたげなよ」

「──でも」


 あまりの言いぶりにドン引きした瞬間、めるこがすとん、と眼差しを暗くした。


「でもね。友達もいない、男に依存して搾取されてばっかの、あたしみたいなメンヘラに、はじめてまっとうに向き合ってくれた人なの」

「……」

「ほんとに、ほんとに……信じてたのに……」


 絞り出すようにささやいためるこの目に、じわり、と涙がにじむ。けれど彼女はそれを見せたくないのか、悔しそうにぷいと顔を背けてしまった。


(あー……これは……)


 これは、なんていうか。仕方ない気がする。

 私はため息をつくと、がしがし頭を掻きむしった。


「……ああもう。わかったよ。もうちょっと詳しく教えて。彼の身になにがあったか、一緒に考えてあげるから」

「え?」


 めるこが目をぱちぱちさせる。驚いたような仕草に「いいから、早く」と急かした。


 正直なところ、らしくないのも、義理がないのも、承知の上だ。

 私は面倒くさい女は嫌いだし、修羅場になんか巻き込まれたくない。こんな一方的な言いがかり、知らないの一言で済ませたって十分だ。それでも、つい、協力しようと思ってしまった。


(……仕方ないじゃん。だって、同情しちゃったんだから)


 ため息をつく。めるこは不思議そうに私を見ていたけど、少しふてくされたように「わかった」と言って、床のクッションに座り込んだ。



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