第21話 平穏な時
しばらくして一人の男がナースステーションの受付に来た。看護師が応対し
「鈴木先生、田中さんのご主人さんが先生に会いに来てます。」
と鈴木に報告した。鈴木はすぐに田中の夫の元に向かい
「どうも田中さんの担当医の鈴木です」
と田中の夫に自己紹介した。
「先生、治療とは家内が助かるということですか?」
田中の夫はそう真剣に鈴木に聞いた。
「ここでは何なんでカンファレンス室でお話しましょう」
と鈴木は田中の夫をカンファレンス室に案内した。カンファレンス室とは医師や看護師が
患者さんと対で話す部屋で、普段は看護師達がそこで食事を取ったり、休憩したりしてい
る。鈴木は田中の夫と席を向かい合って座る、そして深刻に
「奥さんは助かるか助からないかは今は何とも言えません。ただ本人の御希望で治療を始
めましたが、私としても全力を尽くして全快を目指していきたいと思ってます」
と丁寧に答えた。鈴木も必ず治ると思ってますと強く言いたいが、前に神田副師長に釘を
刺されたことを思い出し、田中の夫に希望を持たせないように曖昧に答えるしかなかった。
「そうですか、そうですよね。家内のがんが簡単に無くなるわけ無いですよね」
そう田中の夫はしみじみ答えた。それを聞いて思わず、鈴木は必ず完治させますと強く言
おうとしたが、それを遮るように田中の夫が
「わかってます、敏江がこのまま治らなくても少しでも長く生きてくれれば、それで十分
です。長く生きられるだけでも、先生に感謝してます」
と目尻に涙を溜めて訴えた。鈴木は田中の夫にどう言葉を掛けていいかわからず、ただ黙
ったままだった。
「先生、神様は私達夫婦を何故苦しめるのでしょうか?私達はただ幸せに暮らしてきただ
けなのに、何故敏江の命を奪おうとするのですか?」
この田中の夫の質問に鈴木は答えようが無かった。鈴木が神様に聞きたいくらいである。
鈴木はこんな理不尽なことをする紙に憎悪と言うか反骨心をこの時から芽生えさせていた。
「それでは先生ありがとうございました」
田中の夫はそう挨拶して、田中の見舞いをする為に、田中の病室に向かった。鈴木もこれ
以上話せることも無いので、そのままナースステーションに戻った。ナースステーション
は準夜勤の看護師二人が退屈そうに椅子に座っていた。業務的なことを終えて、ナースコ
ールが来るのを待つだけの状態である。しかも今夜は鈴木がまだ居るから看護師的には
安心出来ていた。鈴木も暇な看護師達を見て、何事も病棟に起きて無いと感じほっとした。
しかし、病的にもう長くない患者達の居る病棟である、鈴木はさすがにいつまでも落ち着
いていようとは思えなかった。
消灯時間になった。心配していた田中の状態に何も問題なく、田中の夫はナースステー
ションに挨拶して帰って行った。看護師達は各病室の消灯を見て回る、鈴木も何事も無い
ならと帰り支度を始めた。そして看護師達が戻ってきたのを確認して、看護師達に帰りの
挨拶をして帰ることにした。
帰りながら鈴木は、神を敬う病院に勤めながら、神の意志に逆らう行為をしようとしている
自分は果してどんな天罰が下されるのか?そんなことを考えている自分自身に苦笑しなが
ら、長い帰途に付いた。




