35. 友人 その二
「……なんにせよ親の手伝い以外の仕事を持った方がいいわ。見習いからでも――だとすればもういい歳なんだから、できるだけ早く弟子入り先を決めるべきだと思う」
前世を思い出して落ち込んだ俺を見てメアリがあきれ顔をしつつ心配そうに言った。
ありがと。でも違う。そうじゃないんだ。
「いや、見習いとかそういうんじゃなくて――今だって職業はもうあるし」
後悔の表情をどういう意味に取られたのかな、と思いながら言葉を続ける。
「だけど、今の職業は使い勝手が悪すぎるから転職予定なんだ。自分の将来についてはちゃんとまじめに考えてるし、使える技能だってあるから暮らしには困らない。大丈夫」
なくてもラーニングすればいいんだし。
ここだけは自信をもって言える。今の自分は就職市場においてはかなりの優良物件だ。
へへ~ん。俺が採用担当者ならその場で採用するぜ。
さっき凹んだ心がむくりと膨らんだ。
「じゃあどうして今現在その仕事をやってないの?」
う。
胸を張れたのは一瞬だったようだ。
……それは、国境が越えられないから。
ラブラブのハッピーエンドが足かせだから。……なのに彼女ができないから。
言い淀んだ俺を見てメアリの目つきがさらに冷たくなった。
「ねえ、あなたの職業って、やっぱり胸を張って口にできないようなやつじゃ……」
「違う! 違います!! ちゃんとした(いや、アホがつく以上ちゃんとはしていないのか?)仕事だし、(胸を張って言いたくはないけど)人として恥ずかしいやつとかじゃない――(いや、恥ずかしいっちゃ恥ずかしいな)だからそういう目で見ないで!」
蓋を開けてみたらメアリはずいぶん心配性らしく、ホントにいい子だし親身になってくれるのはいいんだけど、どうも思考が脱線しがちだ。
いろいろ正直に明かせない俺の背景のせいも多々あると思うけど、これ以上怪しい方に想像力を働かせないでほしい。一応でも元でも『王子』だよ? え? 元じゃダメ? それともやっぱりアホだからダメ?
「……じゃあ、今はどういう収入を得ているわけ?」
不審そうな顔。
「今は……ええっと、行商……的な……それでこれまでに得た収入を切り崩しながら当面の滞在先を探してる感じ?」
一応減らすばっかりじゃなくて、移動のついでに山で動物を狩って売ったりして少しずつ稼いでもいる。行きずりでだけど、治癒行為をすることでもらえるお金もある。だから基本的には減ってない。本気でやれば余裕で増やせると思う。
だからたとえ今後希望する国に行けないなんてことがあったとしても生きていけないことはない。家族をもって落ち着いてほのぼのと幸せに暮らすのが目的ならもう十分――俺が追加のオプションを決めていないのは、これ以上の技能が必要ないからって理由が一番大きい。
「『当面の』? それってどういう――この国に落ち着くつもりはないってこと?」
「うん。まあ、ええっと――この国だと俺の希望する職業に就くのは難しいんだ。だからいずれは出て行く予定」
メアリが怒った顔になった。
「じゃあ、とっととそれが可能な国に行ったら? 定住する気がないのに女の子あさりだなんて迷惑なだけよ? わたしならそんな人はごめんだわ」
まあ、うん。それはわかる――だって、ここに来るまでにいくつかの国を回っていて気づいた。ここでは基本的に一つの国に一つのストーリー(乙女ゲー)が当て嵌められているらしい。鳩ポッポもこの辺はみんな似たような恋愛系の国だって言ってたし。
で、中には『隣国から留学中の王子』とかが出てくる場合もあるから国同士の交流がないわけじゃないんだけど、それは貴族社会の話なんだよね――一般庶民が国境を越えて嫁ぐとか他の国の人間と結婚するとかってない。恋愛も基本は街や村の中で完結。領地内ってのはたまにある。隣村とか。領地を超えるのはかなりレア。庶民だし。それこそ罪を犯して追放されたとか――それでも、国を超えることはない。
まったく……そんな中でジャンルの違うストーリーに連れ出してもいい彼女をつくれとかって……難しすぎだと思う。
「そこなんだよ―――こっちにも事情があって、今のところ移動できないんだ。だから待機中っていうか……」
「……行先の国のガイド待ちとか? 言葉の通じない国に行きたいの?」
近い、かな。この国限定ではないけれど、将来の彼女待ち。
曖昧にうなずいた。
「だとしたって、滞在が長引いたらそれだけお金もかかるでしょ。常識を知る云々を別としても、働かなくてもいいだけの貯えがあるとかじゃないならやっぱり仕事は必要なんじゃない?」
「仲良くなると出て行けなくなりそうで――俺は本当にこの国に定着する気はないんだ。それにそういうところも含めて金銭的には準備済みっていうか……」
最初の国を出る前にプリシラとクリスが持たせてくれたアレコレの中の一つ、餞別の宝箱のことを考える。アイテムボックスに入れっぱなしで開けてない。アレはいざいうときのための虎の子――緊急用だと思っている。
そんなわけで自分一人なら年単位で滞在しても金額的にはまったく困らない。とは思うけど、アレは換金場所がなぁ……王家で扱うクラスの貴金属を換金しようだなんて人間は怪しすぎだろう。ま、いざとなったら考えよう。
「……ねえ、どうしてもこの国に落ち着く選択肢はないの?」
なんとなく沈んだ様子で聞かれた。
確かに、相思相愛の彼女とか、常識を教えてもらえるような友人とか、そういったつながり――人間関係を作り上げるためには定住して働くのはいいやり方だと思う。
だけど自分にはこのちゃらちゃらしているうえにややこしい恋愛事情がまかり通る国で結婚して一か所に落ち着くっていう未来が見えない。――フラレまくった悲しみと逆恨みもあるかもだけど、やっぱり相性が悪いんだと思う。そこはホント、亜季のやつめ、だ。
ベースが『恋愛』だけあって妙にパヤパヤと浮ついているのに、ドロドロした愛憎劇のようなものも可っていうところには怖いものを感じるし、必要のない恋愛には巻き込まれたくない。
「まだ結婚を考える歳じゃない――ってのは、無理があると思う?」
「あなたが二十歳前だとしてもそこまで若くないでしょ。この国でなら子どもがいたっておかしくない――今が楽しければいいって考えなの?」
「そういうわけじゃないけど……なんて言ったらいいかな……この国は本来の自分と『合わない』んだよ」
俺はあの鳩ポッポとの会話以降ずっと考えている。
乙女ゲーの世界を出て行くための条件――相思相愛の彼女とのラブラブのハッピーエンド。
この国でそれを迎えることができたら、その時の自分が、物理的にはこの国から出ていけても、精神的に出ていけなくなっている可能性。
実際これまで女性たちが俺に背を向けるたびに俺が感じたのはショックだけじゃなかった。ため息とともに感じていたのは――安堵。
自分は捕まらなかった、っていう安心感だ。
四桁に上る不成功をまあいいかって考えられるのはそのせいだと思う。
相思相愛の彼女ができる。それは確かに幸せなエンディングの一つではあるだろうしそれを望むやつだっているはずだ。
だけど俺にとってのそれは俺が――この世界にはものすごく場違いな鬼瓦=本当の俺が――この顔に敗北したってことで、しかも乙女ゲーのシステムに飼いならされて飼殺しになったってことなんじゃないかって――そんな気がして納得がいかない。
それに腹立たしくもある。せっかくの転生なんだから、俺だってお気に入りのゲーム世界に行きたい。あの二人は幸せになったんだし、そこには間違いなく貢献したんだから俺だって好きな世界で生きたっていいじゃないか。
そして、そう考えたら相思相愛の彼女の存在は間違いなく足枷だ。
苛立ち交じりのため息とともにそんなことを延々と考えてしまう自分は、あの鳩ポッポの言った通りでやっぱり現在進行形の「アホ」なんだろうな――。
気を取り直して、頑張るしかない。
納得がいかなくとも、いかに合わなかろうとも、とにかく今俺が目指すは『ラブラブのハッピーエンド』しかないのだから。