17. アホ王子は賢い振りをする
転生三日目――ええ、はい、夢だと思うことを諦めました――である翌日。全身軽い筋肉痛に襲われた俺は、普段のエドワードはもっと手抜きをしていたのだな、お坊ちゃんめ。などと考えながら朝食をとっていた。
給仕――どうやら普段のエドワードは皿を持った従僕を従えて「あれとそれとこれを取れ」みたいな指示を出していたらしい。昨日はその通りやってもらったけれど、時間もかかるしバカらしい。今日は「自分でやるからいい」と断ったら昨日に引き続き(昨日は俺が起きてきたことにだった)驚かれた――が所在なさげに壁際に立っている。
突っ立って俺が飯を食っているところなんぞ見ていたって楽しくもなんともないだろうに、それが彼の仕事らしい。
今日も忙しいのだ。ちゃんと努力している振りをしながら脱走の計画を練らないと。そのためには朝食は重要。
せっかくプリシラに教えてもらったのだから、マナーも守りつつモリモリ食べる。
『早寝早起き朝ごはん』
小学生みたいだけど、大学で一人暮らしを経験した身としては自分で準備しなくても出て来る朝ごはんがあるのはありがたい。感謝していただくのが当然である。
午前の勉強に備え、頭をきちんと働かせるために口の中のものをしっかり咀嚼していると、国王の声がした。
「昨日に引き続き、早い起床だな、エドワード。ノーウォク語の教師からお前に教えることはもうないと報告を受けたぞ――ろくに使いもしない言語など覚えてどうするのだと言われなかったのは二年半ぶりだと笑っておった。宮廷魔導士からも、ようやく風魔法のコツをつかんだようだと報告があった。騎士団長からは次の建国祭の剣舞は騎士の中から選ばずに済みそうだと――良く励んでいるようだな」
すこぶる機嫌のいい国王がテーブルの反対側に座った。
このアホ王子、それなりにがんばってるのかと思ってたのに……ホントダメなやつだったのか。
ああ、そういえば――プリシラにも起きる時間がどうのって嫌味を言われた……いやいや待て待て、『二年半』ぶり、ってことはミチカに出会って堕落した? 褒められまくりで? うん、それはありそう。
もっと不出来な子の振りをした方がよかったか?
いろいろ思うところはあるけれど、表面には何も出さずに頷いておく。
「おはようございます、父上。プリシラとミチカが側で励んでくれていますから――無様なところは見せられませんので」
「ほう。それはそれは――あの二人のことはどうなった? ミチカには正妃でなくとも構わない、と言わせられそうか」
「いえ、それは――あくまでも穏やかに諭すつもりでおりますので、もうしばらくかかるかと思われます。ミチカには少し子どもっぽいところがあるようですから。プリシラはそれでよいと言ってくれています。実に得難い人です。美人だし」
何食わぬ顔でコーヒーを飲みながら答える。
今日は昨日に引き続き、三人での勉強ついでに作戦会議予定だ。
ミチカもプリシラも昨日から城の客室に滞在中。プリシラに至っては城に来ることになった時点でそのつもりで用意をさせてあったというのだから……策士だ。
ミチカを反省室から出したのはいいものの、刑は確定していないが彼女は一応咎人。学院の寮に戻すわけにもいかず、春休みだからと男爵領預かりにするわけにもいかない。ちょっともめて、結局客人扱いで城に残すこととなったのだが――その経緯もプリシラがらみだ。
彼女は本当に賢い。
ミチカを客室に置くことが決まったところでプリシラが「だったら婚約者である自分も」と――まあ、俺としてはどうでもいいし、その方が楽なのは確かだし。
朝食の場所は彼女たちとは別だ。俺は父親も利用する王族用の食卓で食べる――これも警護上の理由で基本的にメニューは別で、国王は俺とは違うテーブルから食物を取り分けさせていた。それに二人以上が同時刻にこの場に揃うことはない。
つまり、俺の分は俺が食べないともったいないことになるんだし、やっぱりちゃんと食べないとな~。
そんなふうにのんびりと考えている俺だけど、昨日までと違うのは、こいつのことを全く信用していないってことだ。
昨夜、寝る前に大量に溜まっていたログを読み返していて気がついた。
山のようにあるラーニングメッセージの中に埋もれそうな、
「スキル『秘匿』をラーニングしました。アクティベートしますか? Yes / No」
「スキル『隠ぺい』をラーニングしました。アクティベートしますか? Yes / No」
「スキル『誘導』を再ラーニングしました。アクティベートしますか? Yes / No」
この三つのログは、あきらかに国王との会話中のラーニングだった。
そう気づいたところで「スキル『推考』をラーニングしました。アクティベートしますか? Yes / No」というログが増えた。
『推考』ってことは、導き出される答えは確実な情報ではないのだろうからアクティベートはしなかったけれど、この三つは王様が俺に何かを隠していて(たぶん俺を簡単に国外に出すつもりはないってこととか)、俺を思い通りに動かそうとしている、ってことだろう。プリシラの言った通りだ。
まったく、タヌキ親父め。
こうして会話している間も、ステータス・ウィンドウを呼び出せば、
「スキル『秘匿』を再ラーニングしました。アクティベートしますか? Yes / No」
の文字が増えている。
このステータス・ウィンドウってやつは、どうやら転生者のものは特別製らしく、通常状態では枠ですらこっちの人間の目には映らない。
かといってこっちの人間にステータスがないのかというとそういうわけではなく、こちらの人間は必要な時にだけ、ステータスを表示させることができる特別な魔術具を使っているのだ。
イヴィンスと呼ばれているその魔術具は国境や役所、商店などに据え付けてあって、対象者が触れると個人の情報が読み取れるようになる。通行証を提示する代わりになったり、特別な品物(薬物とか)を購入する際の身分証明書の提示がわりになる。
「この状態のステータス・ウィンドウが呼び出せるならその人は転生者ってことです。ミチカも言っていましたけど、エドワード様って本当に何にも説明されていないんですね」
剣術の練習の後(結局昨日は夕食まで一緒にいた)プリシラが不思議そうに言った。
「城に入る時も通常ならチェックされますよ。当然ですがエドワード様は顔パスで、今日は一緒に来たし、まだ婚約者設定が生きているのでわたしもチェックされませんでしたけど、キャリーは門のところで一度馬車を下ろされたでしょう?」
言われてみれば確かにそうで、あの侍女はごく短時間馬車を降りていた。その後はプリシラの与えられた(本当に周到)居室で主が滞在しやすいように部屋を整えながら待機していたそうだ。
「ちなみにわたしが触ると『プリシラ・ヴィオレッタ・ウィッティントン』って名前と年齢、肩書きに『ウィッティントン公爵家長女』『エドワード王太子の婚約者』と出るんですよ。父も同じで、名前と年齢と役職。それはわたしの身分が保証されているからで、身分が低い人だともっと細かく出るんです。魔法属性とか職業経歴まで――犯罪歴がある人だと色が変わるし、罪の詳細だけでなく家族構成も出ますよ」
プリシラがにっこり笑ってミチカを見ると、ミチカがちょっとひるんだ。
確かにミチカが俺や友人たちにチャームポーションを使ったことは罪だ。けれど、今のところミチカに犯罪歴はついていない。
それは全部プリシラのおかげ――プリシラが『ミチカが側妃でもいい』と発言したからだ。ミチカが城に滞在できたのもそのおかげ。
通常、王族には五名ほどの妻がいるらしい(だけどゲームでは『ヒロイン以外に妻はいらない』とかいうエドワードの甘い台詞で詳細もろとも一蹴されていた。まあそういうゲームだしね)。
というわけで、っていうわけではないんだけど、現在エドワードに側妃の候補はいない。
実際のところ、その主な理由はエドワードがヒロインに惚れぬいて件の台詞を口にしたからではなく、嫉妬深いプリシラが暗躍して他の令嬢との出会いをことごとく潰していたせいなのだそうだ。
そしてそのプリシラの暗躍については、背後に暗黙の――彼女と父親を怒らせてはならない、という――認識があったようだ。
プリシラが周りから恐れられていたのは、魔術教師の腰が引けていたことからも確かだし、ウィッティントン公爵その人については――「ゲームではプリシラが断罪された後に公爵家は没落したよな?」ってプリシラに聞いたら、「ええ。お父様が『お前が一方的に非難され、責められて婚約を破棄されていたならこの王家のことは見限って家を潰して出て行くつもりだった』って言っていたので――危ないところでした」って言われた。
つまり、五年後に復讐に戻ってくるやつの伏線だったらしい。ウィッティントン公爵家、白っぽい名前だと思っていたけど、実際の職務は真っ黒――真逆のお家みたいです。ドキドキ。
まあそんなわけで、プリシラとエドワードとの間に世継ぎができなかったり、(頭の中身がエドワード似の)愚鈍な息子しかできなかった場合はどうするのか、という懸念は、誰も口にこそ出さなかったけれど、前からあったらしい。
だからエドワードがプリシラと結婚した場合に側妃をおけるのかということも、小さいながらもそれなりの問題であったようだ。
それがミチカの登場でまったく違う問題となり、
・果たしてプリシラがおとなしくエドワードを諦めるのか?
・ミチカに正妃が務まるのか?
・プリシラのいないエドワードに国王としての執務ができるのか?
・ウィッティントン公爵は黙って全てを受け入れるのか?
という難問――(かよ? 特に前の三つ)に代わり、国王以下政治に関わる者たちは最後のやつに戦々恐々としていたらしい。
まあ、なんにせよ、断罪イベントがとん挫したおかげでエドワードとプリシラの婚約は(表面上)続行だし、今回のことで譲歩を学んだ(ことにしてある)プリシラも側妃候補を受け入れた。はい、万々歳。みたいな感じで、側妃となる許可が出たミチカに犯罪歴をつけるわけにはいかなくなった、というわけなのだ。
王太子の俺をすっ飛ばしてプリシラの許可が出たってことが……重要らしい。
ついでに国王としては――アホだアホだと思っていた王太子の中身が俺になってマシになった……っておまけつき。
そこは親としてどうなのよ? って思うけど、国王はこの三年でエスカレートしていったエドワードのアホさ加減にかなり肩身の狭い思いをしていたみたいだ。俺自身も、こいつは想像していた以上に「見た目に極振りしたアホ王子」だな、ってここに来てから何度も思ってるし。
となればやっぱり簡単には逃がしてはくれない、ってことなんだろうなぁ……。
心の中で呟く。
プリシラには「『本物のエドワード様のように情に脆すぎるきらいもなく、暗殺しなければならないほど融通の利かない人間ではないし、駒になるのを心底嫌がっているわけではない』って感じに印象を修正しておいたほうがいいです。それに、国王からすれば、エドワード様がアヤトさんになったことで国の危機は救われたんですから、恩人ですよ」と言われた。
続けて黒い笑みつきで、ミチカに向き合う。
「ミチカはきちんと反省しているように振る舞わなければダメよ? わたくしを立てられないようでは、あなたはただの邪魔者――わたくしはゲームのプリシラよりも狡猾ですから、本来のゲームみたいにハッピーエンドにはしてあげないわ。もちろん早期エンド希望なら大歓迎だけどぉ~?」
令嬢モードでの挑発なのか脅しなのかわからない感じに、俺が諫める。
「やめろよプリシラ――俺たちはそれぞれのスキルがダブってないんだから仲間には最適――食事は旨い方がいいし、暗殺されるのは嫌だから、ミチカもプリシラも重要」
「は~い」
プリシラが肩をすくめて余裕の笑みを見せ、ミチカが顔をしかめる。今のところミチカが押され気味……だけど俺が言ったのはあくまでもサイズの話で、申し訳ないけど正直に言えば、性格的にはどっちも……俺の相手じゃないって気がするんだよ、ね。
どういうことだろう。
あの広間で最初に見た時は、どっちもかわいいなって思ったし、自分の相手役なんだって気づいた時はラッキー、ってちょっと思ったりもしたはずなんだけど。
顔はかわいいし美人だし同郷者だしスキル持ちだし、どっちもエドワードのことが好きで……文句の言いようのない……だけど……っていうか、本来の俺だったら絶対見向きもされないような子たちで、こんな感想を抱くこと自体申しわけないんだけど。
たぶんそこ、だよな。
言い合いを続ける二人を眺めながら思った。
俺の中では、この『エドワードの外見』それだけで自分を好ましいと考えてしまうこの二人は、『俺じゃなくていい』ってそういう二人なんだと思う。
贅沢を言うな? はいはい。自分でもそう思います。本来の俺ならありえないよなって。
……それになんていうかミチカは妹みたいだし、プリシラは姉みたい――姉はいたことがないけど、いろいろ教えてもらって呆れられているうちに、二人ともあっという間に友人枠に収まってしまった感じだ。同郷者だからだろうか。それとも外見はともかく、俺の内面はこんなゲーム世界に転生してまで恋愛向きじゃないってそういうことだろうか……確かに、前世でも彼女がいたことはなかったけど……orz。
もったいないとは思うけれど、早い段階で新たなる出会いが起こり、二人が俺じゃない他の誰かと恋に落ちますように。って、楽しそうな様子を見ながら思った。
「さすが、プリシラ嬢だな……まことに王妃の座にふさわしい娘だ」
昨日のやり取りを微笑ましく、そしてちょっと落ち込んだ感じで思い返しながらステータス・ウィンドウを閉じた俺にうんうんとにこやかに頷く国王は、どうやら本気で俺がプリシラに説得されたと思っているらしい。
まあ、確かにプリシラは俺よりずっと頭の回転が速いと思う。暗殺者ってつまりそういう、一を行うために百の側手を考える、みたいな性質があるのだろう。
「今から既に賢妃と言われるのもわかります。あの執念は少々怖いくらいですが」
前世ではよっぽど課金したんだろうな……そう思うとついつい遠い目になってしまう。
そんな俺を見て、国王はますます満足そうに頷いた。
「そこにも気づいたか。確かに、アレには少々困っておったのだ」
『少々』か? ま、いいけど。
頷き返す俺に言葉を続ける。
「エドワードも前よりずっと落ち着いたようだし……勉学の成果も上々――執務の進み具合にもよるが、次の国内査察はお前も行くといい。国の南北では国民の生活が異なる。実際にこの国に暮らす人々と触れ合うことでわかることは多いぞ」
『王位継承権は返上する。旅に出たいから勘当して欲しい』って言ったのは昨日のことなんだけどね? この王様もアホなのかな? 親子だけに。
ご機嫌だけど、今日の俺たちはここからとんずらする方法を考える予定だよ? 言わないけど。
「それは――まだ(・・)私には荷が重いかと思われます」
将来的にはあるかもね、と言外に示せば、タヌキ親父はまたうんうんと頷いて「謙虚さも学んだか……いい教訓になったようだな」なんて言いやがる。中身が違うせいだってわかってるだろうに。でも計画通りだ。
国王はそのあとでボソッと「暗部には仕事依頼をせずに済みそうだな」と呟いた。
その声が拾えたのはプリシラからラーニングしたスキル『警戒』をアクティベートしてあるからなんだけど、『暗部』ってのはつまり、こっそり人を亡き者にする人たち――『暗殺』の可能性があったってことだ。
ターゲットが俺だったのか、ミチカだったのか――とにかく、そこは聞かなかったことにして「私には学ぶことだらけのようです」と言っておいた。