13. 譲れない所
「そのことなんだけど――」
喜んでいるところ申し訳ないけど。握られた手を離してもらう。
「――婚約は解消させて欲しい。それを頼みに来たんだ」
「………………え?」
かなり長い沈黙の後でプリシラがこっちを見た。
「だから、婚約は解消――」
「ええええええ! 嘘嘘嘘嘘嘘っ!! 絶対聞き間違いの空耳っ!! ありえないもの!」
いや、言葉の途中でそんなすごい勢いで否定されても。しかも両手で耳を塞いで俯いての「拒否」だ。外見とまったく合っていない。本来の中身ともたぶん合ってない。
俺はとりあえず黙った。
相手が自分の考えにしがみついている時は、聞いてもらえそうなところまでとりあえず待て――でもうやむやにはするな。っていうのが、妹から学んだ対処法だ。
そのまま両手で耳を塞いでいたプリシラはやがて少しだけ顔を上げて、ちら、と下からの目線を寄越した。
聞き間違いじゃないし、話を聞いてもらえるまで待ちますよ? っていうすまし顔でお茶を一口飲む。ついでに茶菓子ももらう。
なにしろ今日の第一目的がこれだ。どんなに時間がかかろうとも絶対に婚約は破棄させてもらわなければならない。
どんなに妻が美人でスタイル抜群で賢くても、乙女ゲーの王国を治めるなんて面白くなさそうで面倒なことはやりたくない。
そのまましばらく沈黙を共有しつつ待っていたら、ついにプリシラが口を開いた。
「……なんで?」
聞く気になってくれたらしい。よかった。この人は妹よりも立ち直りが早いようだ。
「俺がここに来た理由なんだけどね? 俺はユウナさんやミチカみたいに選んでここに来たんじゃないんだよ」
「選んでない――なんで?」
「ゲームクリエイター志望の妹のせいであのゲームを最後までまともにプレイしたせい。そーいう男が他に見つからなかったからって押し付けられた感じ? だから俺自身は乙女ゲーにも、今後のハッピーエンドにも、誰かに攻略されることにも全く興味はないんだよ。それに国政なんて面倒なことは全力で回避させてもらいたい――」
情けない理由だけど、精一杯真剣な顔で言った。実際事故みたいなもんだし。
「……でも来ちゃったんだし、あとはここで生きるしかないでしょう? わたし、最低でも二十年はいて欲しいって言われたわよ?」
「ああ、俺も言われた――だけど、乙女ゲーを続けろとは言われてない。ゲームのエンドを迎えたら残りの時間は好きにしていいって言われたんだ」
「ゲームのエンド……って? ヒロインのハッピーエンドってこと――つまり、わたしは断罪されないとダメだってそういう話ですか!?」
プリシラがサーッと青ざめた。
「そうじゃない――違うよ!」
断罪とか、そういうのは考えていない。両手を振って急いで言葉を続ける。
「断罪イベントは中止しただろう? だけど俺はこの国を出るつもりでいるんだ。昨日話した通り、王位はクリスに譲る。俺の王位継承権は返上。国王に勘当してもらって旅に出るつもりで――ごく普通のRPGみたいなのを期待してるんだ。だからユウナさん――あ、プリシラって呼んだ方がいいのかな? どっちが――」
ふと思いあたって聞いてみたら、ほっとした様子で言われた。
「断罪されない――もう慣れたので『プリシラ』でいいですよ。『ユウナ』だと前の自分を思い出しちゃうし」
「じゃあ、プリシラ――君はさっき『デスルートだけ回避して、憎まれっ子世に憚るって感じで自分の道を生きようって考えた』って言っただろ? デスルートは回避したんだし、後は自分の好きなように――王妃になりたいならクリスの妃になればいいし、俺の側近のイケメンたちの中から誰か選んでもいいし、この世界を楽しんでくれればいい。このゲームについてはここでエンドってことで、お互い新しいスタートを切るのはどうだろう」
お勧め情報って感じで言ってみた。
プリシラは少しだけ俯き加減のまましばらく考える。ほらほら、いい話だろ――?
「それは承諾しかねますわ」
って、なんだよそれ。
話し方もさっきまでのごく普通のやつじゃなくてプリシラモードだし。
自分がかなりの不満顔になったのがわかる。
そんな俺にプリシラは言い聞かせるように話した。
「まず、わたしは王妃になりたいわけではありません。そこはむしろアヤトさんと同じで回避したいくらいです。理由としては、わたしはあの子と違ってここに来てから半年しか経っていないので勉強が――主にここでの一般常識や王族としてのマナー、諸外国とのやり取りについてなどがまだまだ覚束ないんです。プリシラとしての記憶もありますからカバーはできますし、もちろんユウナの社会人としての人生経験は大いに役立てられるとは思います。交渉とか――ですが、大変なことに変わりはないと思うんです」
そう言われればそうだろうな、って思った。思ったけど……なんかその先は聞きたくないような気がした。
「そもそも既に詰んでる感じのゲーム世界でわたしがここまでがんばった理由は――」
「ちょっと待て」
失礼だとは思ったけど、遮らせてもらう。
「悪いけど、エドワードの顔目的だとか言うんなら中身が俺になった時点で諦めて――」
「無理ですよ!!」
遮り返された。しかもずっぱり言い切られた。
「なんでだよ! あんたエドワードのことは見限って断罪されて幽閉ってルートを選ぶことにしたんだろ! 断罪されなかっただけでもはるかにマシじゃないか――」
ついつい言葉が荒くなった俺に、プリシラも負けずに言い返した。
「幽閉ルートは釈放されれば後は自由だもの――死ぬよりマシ! それしか選べなかったのよ! それに、わたし自身はあの子をいじめてなんかいないんだし、そう考えれば完璧に冤罪――断罪イベントが流れたとわかった今、何でエドワード様のことを諦めなくちゃいけないんですか!! 転生先をここにしたのだってエドワード様に会えると思ったからだし――しかも婚約者ポジですよ? 転生してみたら悪役令嬢側だったのは不覚でしたけど! エドワード様はわたしの社畜時代の唯一の癒しだったんです!! いったいいくら課金したと――あ」
そこでピタリと口を閉じたけど……なんか、ミチカの冷徹眼鏡『いや~ん』発言同様こっちもかなり萎える発言。しかも実際のお金が絡んでいた分だけ闇が深そうな……。
「……それ、俺にはかんけーないよね?」
こっちもかなりやべーやつっぽいな、って思いながら淡々と言ったら、さすがにそこはわかるらしく、それでも言いつのる。
「ううう……そうですけど、でも、だって、ようやくこっちを向いてもらえそうなシチュが来たのに……せっかく転生したのにエドワード様ったらずっとヒロインのことばっかりで、プリシラのことは悪者だって頭から決めてかかって――わたしじゃないのに。ちっともお話もできないし、睨まれてばっかり……こうやってお話しできること自体が激レア――しかもお茶まで入れてくれて……この幸せを手放せだなんて酷すぎる。……かわいそうだと思わないんですか!?」
最後の言葉と一緒にソファの上で打ちひしがれるポーズなんかしなくていい。
「気の毒だとは思うが、意に染まない乙女ゲーの世界に転生させられて、七五三の写真撮影かよって衣装を着せられて顔だけで中身のないアホ王子の役をやらされる俺の方がかわいそうだと思う」
こんな悲惨な転生先はないと思う。
「アヤトさん! エドワード様はアホなんかじゃありません! 転生先が希望と違うからってそんな言い方ってないと思います! 確かにほだされやすいし騙されやすいけど、それはエドワード様が思いやり深くてすごく優しい人だからなんです! それに服はちゃんと似合ってます――今日はちょっといつもよりシンプルだけど」
力説されてもねえ。そういうやつをアホっていうんだと思うよ。それに『外見に極振りしたアホ王子』ってステータスにおもいっきり書いてあったし。服は――もういいや。
「とにかく、これはチャンスです! 今こそちゃんとわたしのことを知ってもらって、仲良くなりたい――わたしは簡単に諦めたりしません! そこは絶っっっ対に譲れない――婚約の解消なんて嫌です!! それに一緒に頑張れば国のことだって絶対乗り切れます! がんばりますから!!」
うむむむ。
なんか俺の希望とは逆方向にやる気満々って感じだ。
これは違う方向から攻めた方がいいかもしれない。
俺はしばし考え――ちょっと低い声で聞いた。
「そうか……すごく残念だよ。つまり、君はミチカとは逆で――俺の夢を潰す存在になる、ということだな」
「え?」
きょとんとした顔。
「ミチカは協力してくれるそうだ。だが君は嫌だと――とても仲良くなどなれそうにない」
「え?」
「嫌われる要素は完璧だがな――」
「え? それってどういう――」
「今の俺はエドワードじゃないんだぞ? はっきり言うなら王太子でさえない。王太子の地位は弟に譲るとはっきり書面にして昨日のうちに国王に提出した。サインだけじゃなくて拇印も押した――俺がそれだけこの国に残りたくないからだ。そして、そうなった今、俺は賢い王妃など求めていない」
「え? え? それって――もう確定なんですか――」
実際は確定ではない。そこを確定にするために、円満な婚約解消が必要になるんだ。だがそこは伏せたまま、続ける。
「せめて城を出る前に婚約を解消しておけば、『捨てられた』などという汚名がつかずに済むかと思ったんだが――余計な気遣いだったようだ」
「そんな――でも、だって――」
ちょっと揺らいだ感じになったところで絶対条件。続けて妥協策に入るか。
「俺は旅に出る。そのためには婚約者も王位継承権も邪魔だ。だからどちらも返上する。そこは何があっても譲らない。今日はその報告のためにここに来たんだ」
「ええええ、そんな――お父様はそんなこと――」
「公爵が君にどう言ったのかは知らないが、俺は国王から『旅に出るならきちんと婚約を解消するように』と言われた。俺がエドワードとは別人で、国政など任せられないとわかっているからだ」
「そこはわたしが助けるから――」
「いいや、無理だ。俺にはエドワードとして生きた記憶はほぼない。さらに加えて国政なんてまったくやる気もない。そんな俺に務まるわけがないだろう?」
プリシラが目を丸くする。
「そこでだ。君にできることは――」
いったん言葉を切ってゆっくりと話す。指を一本立てた。
「ここに残ってクリスと結婚して王妃になりこの国を守ること」
「そんな――」
もう一本。
「それがだめなら身分を捨てて出奔する――」
「え――」
「どちらの場合も俺との婚約は解消」
「そんな、あんまりです――」
そこで俺は大きく頷いた。
「だよな。だけど一緒に来るならそれが最低条件だ。俺は婚約者は欲しくない。はっきり言えば攻略されるつもりもないんだ」
「………………つまりそれって――一緒に……行ってもいいの?」
大きな否定の後の小さな譲歩に声が上向いた。うんうん。交渉はこうでないと。
「『絶っっっ対に譲れない』んだろ? 攻略されるのは嫌だし、仲良くなれるとは限らない。だけど、頭から拒絶はしない。条件は全部で二つだ――最初のやつが今も言った、『婚約の円満解消』。それからもう一つは『このゲームは終わったと認めること』。こいつのために身分を捨てて家出できるか、お嬢様? ――ミチカはできるって――旅の仲間として役に立つってさ」
最後はちょっとした後押しのつもりだったんだけど、そう言った途端にはっきりとプリシラの顔つきが変わった。
「あの子――いつもいつもわたしとエドワード様の邪魔を――」
ギリ、と音がしそうな勢いで唇を噛んで拳を作った。
……美人なだけに迫力があって怖い。言わなくてもよかったみたいだ。
プリシラはすっくと立ち上がり、さすが高位の令嬢といった感じの毅然とした表情を作った。昨日、広間で吊し上げられようとしていた時みたいに。
かっこいいな――昨日もそう思ったけど。
「わかりました。婚約の解消を受け入れます――このゲームはエンディングを迎えたことにして新しい始まりを受け入れればいいのね? それでエドワード様と一緒にいられるなら――負けるもんですか」
ちょっとまずった感もあるけど……よし。オッケ。
……って、全然オッケーじゃなかったのはすぐにわかったんだけど。