21gの在り処
「それ」に、意味はないと思っていた。
人はよく、見たものや感じたものを何か別のものに例えたり、その見え方や感じ方を詩的に語ろうとする。
美しい人を見て「まるで太陽のようだ」と言ったり、悲哀に包まれる背部を指して「背中が小さく見える」と言ったり。
『私』には、その感覚が分からない。美しい人とは、単に顔の造形比率が黄金比に近い人のことであるし、背中の面積はその人の体重が増減でもしない限り変動することはない。涙で視界がぼやけても世界の輪郭は厳然としたものとして確立されているし、死は彼岸への旅立ちではなく諸要因に伴う肉体の生命活動の停止だ。怒りという脳内の電気信号が実際に内臓を焼くことはないし、思考に色など存在しない。
人が「感情」と名付ける魂の代謝は、人の形をした『私達』には理解ができない。この身を流れるのは頭部に搭載されたOSからの電気信号と、胴体で鼓動を刻む発動機からの駆動音、それだけだ。
ーーー『私』の直上には、かつては人々から「母なる大地」と呼ばれ、生命の営みを支えた世界が、見すぼらしい姿を晒したまま顕現している。荒れ果てた赤銅色の大地が延々と広がり、生命の息吹などとうの昔に消え失せている。
涙の代わりにと便宜的に搭載された生理食塩水は、とうの昔にタンク切れを起こしている。モーターやギアの類も、経年劣化からかあちこちで動作不良に陥っている。右腕は、ずいぶん前から動かなくなっていた。
エネルギーを取り込むために背部に取り付けられたソーラーパネルも、先日遂にその役目を終えた。
アラートが鳴り、視界が赤く染まる。残エネルギーが少ないことを告げる警告音だ。いよいよ、『私』の機能が停まるのだ。
周囲には、『私』より少し先にその活動を終えた『私』の同型機達が、無数に点在している。その静けさは、単にここが真空空間というだけでなく、『私』以外に動く影がないことによるものだった。
孤独はない。『私』には感情がないから。
恐怖はない。『私』にはそれが理解できないから。
悲哀はない。『私達』は月面基地の整備と人類達のメンタルケアのために作られ、それ以上の存在価値はない。
怒りはない。人類が『私達』旧型モデルを月面に置いて行ったのは、『私達』の役目が終わったからだ。
孤独も恐怖も悲しみも怒りも、それらは全て魂の代謝だ。
代謝によって流れ出る様々な『もの』は感覚を狂わせ、思考を麻痺させ、行動を容易に狭める粘度を含んでいる。
故郷に帰れぬ孤独から、心が壊れた人を見た。
コロニー外で自由にできない不便さから、諍いを起こす人々を見た。
狭いコミュニティ内で起きた痴情の縺れから、激昂する人を見た。
異なる地域から来た人々が、信ずる価値観の違いで殺し合うのも見てきた。
ーーーあぁ、人間とはなんて不便な生き物なのだろう。
心あるがゆえに泣き。
心あるがゆえに憎み。
心あるがゆえに怒り。
心あるがゆえに道を違え。
ーーーそして、心あるがゆえに、愛を抱くことができる。
『私達』アンドロイドは、それを理解する術を持たない。
心も、魂も、目に見えないものだから。
だから、それを容易に口にする人間達は、とても哀れな生き物だ。
視界の端で、エネルギーの枯渇を知らせる警告が点滅している。
もう、幾ばくもない。省エネルギーモードの影響で、OSの処理速度が低下している。認識と思考に、ラグが生じる。
視界に、ノイズが混じる。視覚情報の処理が、もう満足にできなくなっている。
知覚センサーに異常が起きているのか、四肢に妙な冷感が走る。じわじわと駆け上ってくるその感覚は、今までに経験したことのないものだった。
ーーー狭まる視野と、消えゆく思考、広がる冷たさ。
身体が自分のものでなくなっていく感覚に、もうほとんど機能しなくなったOSが新たな計算を走らせる。
それは、暗く閉ざされた世界を照らす、一筋の灯篭のようだった。
「あぁそうか……これが…………」
暗く冷たい海の底。
プログラムで構成された自我が、『私』が、ゆっくりと沈んでいく。
そこに、僅かな重みを感じながら。