第五話 スタンドアップ
「は……?」
大竹は下を向いたまま、彼女の言葉を耳にした。
「んと、だから、道に迷ったんだってば!」
聞き間違いでないことを確認し、重い頭を上げて彼女に視線を向ける。
「何言って……」
何言ってるんだ、と言いかけて沈黙してしまった。
目を疑った。見惚れてしまった。天使があの世へ迎えに来たのかと錯覚した。
金色で、肩まで伸ばされた艶のある細い直毛。
日差しを浴びることが少ないのか、シミなど一切ない、抜けるように白い肌。
大きな深緑の瞳に長い睫毛。すっきりとした鼻立ち。
雰囲気は凛々しくも、あどけなさが残っている。
背丈は大竹よりも少し低い。しかし足がすらりと長く、腰の位置は彼のものよりも上にあるだろう。
――まさに、天使と見紛うに不足のない少女が、大竹の眼前にいた。
よくよく見ると右手に焼き鳥と、左手にトウモロコシを持ってはいるが。
「わ、ひどい顔……。あー、違う、そういう意味じゃなくて……あの、元気?」
「……見た目通り、元気ではないですよ」
「やっぱり。どこか悪いの?」
「お腹が空いているので」
彼女の持つ焼き鳥をじとりと見ながら答える。
「そうなの? これ食べる?」
期待とは違って、反対の手に持っているトウモロコシを差し出してきた。
「……ありがとうございます。頂きます。」
若干の不服は残るものの、大竹はそれをありがたく受け取る。
二日ぶりに、味の付いているまともな食物を口にする。
がつがつと頬張って、直ぐに完食してしまった。
「すごーい、トウモロコシってそんな風に食べるのね」
「へ?」
「あ、ごめんなさい。私、いつも軸の部分から取り分けられたやつしか食べたことなくて」
どうやらトウモロコシに噛りついたことが無いらしい。そういえば、と彼女の服装をチェックする。
成程見るからに値の張りそうな、クリーム色のワンピースを纏っている。
身分が高いのだろう。
「その、助かりました。ごちそうさまです」
「いえ、いいの。それじゃあ早速中央広場まで案内して。今日は有名な大道芸人が来るって聞いたの!」
催促して、通路の出口に向かおうと半身になる。
完全に振り向くまでに、大竹は引き止めるように、彼女に言った。
「……どうして?」
その問いかけには、様々な「どうして」が内包されている。
どうして両家のお嬢様っぽいのに、ひとりでこんなところにいるのか。
どうしてこんなみすぼらしいホームレスに声をかけたのか。
どうして自分が広場への道を知っていると思ったのだろうか。
どうして食べ物を恵んでくれたのか。
どうして、このまま餓死してしまうだろう未来に絶望の色しかなかった目を、こんなにも虜にしたのか。
もう少し生きて、彼女を眺めていたい。そう感じさせてくれたのか。
「だって暇そうにしてたから」
答えは、清々しいほどにあっさりとしていた。
何故自分に声をかけたのか、その理由を聞いていると受け取ったのだろう。
「いや、確かにやることもないですけど。こんなナリしてるんですよ?風呂にも二日くらい入っていないし」
「うーん、そうね」
彼女は大竹に向き直って、距離を詰めた。
くんくんと鼻を鳴らしてから、「確かにちょっと臭うかも」と正直な感想を述べる。
「来る途中に水浴び場を見たの。先に体を流してから行く?ちょっとくらい時間使っても間に合うと思うわ。いい場所は取れないかもだけど」
顎に指を当て、通って来た方角を見つめながら提案する。
「ええ、俺も一昨日通りがかったんですけどね。何せ文無しなもんですから入場も出来なくて」
体を洗うにも金が必要だ。海の近くで水の資源は豊富そうだが、真水はそれなりに貴重なのかもしれない。
「そっか。お金ないんだ……」
納得したような表情を浮かべてから、彼女は大竹に向かって掌を差し伸べる。
「とりあえずこんな所にいてもしょうがないし、細かいことは移動しながら考えよう?」
首を傾け、にこりと微笑む。その顔を見た瞬間、彼は無意識に、伸ばされた手を掴んでいた。
溜め込んできた鬱憤が一気に洗い落とされるような、無垢で美しい笑顔だった。
掴んだ手を引っ張られ、重い腰を上げてようやく立ち上がる。
「じゃあ行こっか。……そういえばあなた、名前は?」
「……大竹、です」
「オオタケね、覚えた。私のことは……そうね、アニーって呼んで」
そう言いながら、一本道の出口へとつま先の向きを変える。
「短い間になると思うけど、よろしくね。オオタケ」
異世界で初めて、その名前が呼ばれる。
些細なことなのに、どうしようもなく新鮮に感じられた。
「よーし、出発進行!」
待ちわびたと言わんばかりに、アニーが勢いよく足を踏み出そうとして。
「あ、待って!」
慌ててそれを制止した。ぴたりと彼女の歩が止まる。顔だけでこちらを振り返った。
「……まだ何かあるの?」
「水浴び場も広場も、あっちです」
「あー……」
真逆の方向を指差しながら、大竹は「こりゃ迷うわ」と納得したのだった。