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第四話 浮浪者になった

――――――――――


 大竹は途方に暮れていた。

路地に座して壁に寄りかかりながら、異世界に降り立って以来二度目の朝焼けを眺める。

初日の活気はどこへやら、空腹で座っているのがやっとの状態だ。


「腹、減ったな……」


 初日の情報収集でそれなりの成果はあった。

散策しているうちに路地の構造について少しは把握できたし、店を遠目に眺めながら物価の相場もなんとなく理解した。

使われている文字もカタカナに近く、読み取るのにさほど苦労は要さなかった。


 だが、それまでである。新たな人生を始めようとするにも、最低限度の基準を満たさねばならない。

寝床や食事を確保するにはまずいくらかの金銭が必要だが、大竹は現在それを工面できていない。

多少の努力はしてみたものの、異世界はそう甘いものでもなかったようだ。


 初日の夕方ごろ、資金調達のために就業を試みた。

調べるうち、仕事の依頼を受けられる冒険者ギルドがあることを知った。現代で言うと人材派遣会社のようなものだろうか。

唯一異なるのは、ギルドに入会するためには登録手数料が掛かるという点だ。


彼はこの世界において一文無しであった。


 行きずりの者から一時的に借金することも考えた。

しかし、日本で生活していた時も人との会話が苦手だった男だ。

見知らぬ人物にそんな交渉を持ち掛ける度胸もない。


 持ち物を売ることも考えたが、道具屋らしき店舗に入った瞬間、追い出された。

店員の男性が「いらっしゃいませ」と店の奥から出てきて、大竹を見た瞬間、にこやかな顔が豹変したのだ。


「帰ってくれ」


問答無用である。確かにクタクタの服を着てはいるが、大竹は元の世界でもこれで外出していた。

もしや日本でも浮浪者のように見られていたのだろうか。

彼はそんなことを懸念して、少し肩を落とした。


この街では人種差別が少ないようだが、それでも浮浪者や奴隷の扱いはそう良いものではない。


 大竹のやることなすことは、悉く失敗した。

それでも足掻こうとして、誰かの落とした小銭を拝借できないかと地面を見回る。

万策尽き、形振りを構う余裕がなかったのだ。

石畳の一つ一つに気を配っていると、いつの間にか、高そうな服を着た中年の女が目の前に立っていた。

女は憐れむような表情をして、大竹に向かって銅貨を一枚投げる。

そして、


「これやるから、さっさと貧民街に戻りな」


そう言い放った。


――お恵みを頂戴してしまった。


この時、大竹は正真正銘の浮浪者と化した。


「あ、ありがとうございます」


大竹が礼をすると、女は何も口に出さずに背を向け、人混みへ消えていった。


「情けないことだが、正直助かる」


銅貨を手に取ってまじまじと見つめた後、溜息をつきながらそれをポケットにしまい込んだ。


やがて、一日目の夜が訪れた。


 食事も取れないまま各所で店じまいが始まり、結局何も口にすることが出来なかった。

せめて水でも、と考えて運河の辺へ移動し、水を手で救って啜る。


「辛っ……」


味覚を塩分で強烈に刺激され、それが塩水であることを悟った。

喉を潤すことすら叶わない己の惨めさに、堪え切れず涙を数滴流す。


最早場所を移す体力もなく、大竹は肌寒い川の辺で、そのまま眠りについた。


 二日目の朝、大竹が目を覚まして最初に見たのは子供達だった。

水切りをして遊んでいる。懐かしいな、と幼少期を思い出しながら、なんとなく自分も小石を投げてみる。

水面を跳ねることはなく、そのままポチャリと沈んでいった。

既に太陽は高い位置にある。疲労からか、深い眠りに落ちていたようだ。

彼は起き上がると、また大通りの方角に歩き出した。


 ポケットの中の銅貨で、パンの切れ端を購入した。

銅貨一枚で買えて、かつ腹に貯まりそうなものがこれだけだった。

相変わらず店員に嫌な顔はされるが、低所得層向けのパン屋では流石に追い返されずに済んだ。

一日ぶりの食事を口に入れ、ゆっくりと噛みしめる。

硬くて味気のないパンだったが、精一杯味わった。


 一度ギルドの傍によって案内板を詳しく見てみると、登録するためには銀貨一枚が必要だと判明した。

物価から考えると、およそ銅貨の相場は五十円程度。銀貨はおよそ一万円だ。

他にも純銅貨など、貨幣にも色々種類があるらしい。

とにかく、銅貨一枚入手するにも大いに苦労した大竹にとっては、途方もない金額だった。

彼は諦めて、体力の温存に努めた。


 人通りの少ない路地裏の地べたに、廃棄された木の板を敷く。

その上に座ってぼーっと佇んでいたら、いつの間にか日が暮れていた。

不動を決した大竹には皮肉だが、何もせずともまた空腹は訪れる。

焦燥感が込み上げてきた。


 銅貨は使ってしまった。ゴミを漁るにも、このあたりでゴミ箱のような物は見ていない。

見つけても食中毒で倒れるかもしれない。パンを半分残しておけばよかった。

銅貨を使うのを我慢して貧民街にでも赴いていたら、質が悪くとも量が手に入ったかもしれない。

そもそも昨日あれだけ歩き回り、体力を使いすぎたのがまずかったか。

いや、転移する前にもっとリュックにあれこれ詰め込んでおけばよかった。

身なりも綺麗にしていないのが悪かった。そもそも、俺なんかが異世界でもやっていけるなんて考え自体が――。


 後悔と反省はどんどんと遡り、いつの間にか瞼の裏で記憶を眺め続けていた。


「なんで、こんなことになったんだろう」


 その答えを出そうとするたび、虚しくなってくる。

どうしようもないことだ。日本に戻る方法も知り得ない。

考えても無駄だと分かっていて、無力感と喪失感に支配される。

しかし、思考することを止めてしまうと胃袋が唸る。

気を紛らわせるためにはこうするしかなかった。


 肉体的苦痛と精神的苦痛の板挟みと戦っていたら、裏路地に光が差し込んできた。

また、朝が訪れた。一睡も出来なかった。


 冒頭、前述の状態に戻る。項垂れたままで、彼は座している。


「俺、死ぬのかな」


自分で口にして、このまま死にゆく可能性に気付いた。


「嫌だ……、死に、たくない。死にたくないよ……」


顔を歪ませながら、掠れた声で泣いた。

昨日流したものよりも、ねっとりとした涙が出てきた。

いい大人が、泣くことしか出来ない赤ん坊のように蹲る。


 数分程そうしていると、大竹の嗚咽に混じって足音が聞こえてきた。

だんだん音は大きくなって、この狭い路地に響く。

ここは一本道だ。こちらに向かって来ているのだろう。


 助けを求めても、どうせ恵んでは貰えないだろう。

いや、追剥の可能性もある。尤も、盗られるようなものなど持ち合わせていない。

通り魔だったら最悪だ。成す術なく殺されるだろう。


鈍った脳で被害妄想を膨らませて、しかし相変わらず身動きは取らない。

 

足音はゆったりと迫ってきて、最後にタタッとテンポを上げて、大竹の目の前で鳴りやんだ。


「あの、道に迷ってしまって。よければ案内してほしいんだけど……」


 ――音の主は、心地よいほどに透明感のある声で、大竹にそう言った。

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