第三話 水の都のお嬢様
地の分ばかりで申し訳ないです。もう少しでストーリーも進展しますので、よろしくお願いします。
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水の都「パッド」は、ビスカ大陸の最南端に位置する。
潟湖の上に築かれたこの街は四方を海水で囲まれており、元世でいえばベネチアに近い成り立ちをしていた。
各所に運河が走り、物資を輸送するための流通路として重宝されている。
小さな貨物船が馬車代わりに荷を運ぶのだ。
そのため大通りでも歩道と馬車道の分別がされず、両者は入り乱れながら通行していた。
外来の旅人や商人は馬車でこの街に来ると徐行運転をしなければならない。
故に、御者がもどかしそうに手綱を引く姿がよく見られる。
街の景観は中世西洋のイメージと似つかわしく、レンガで作られた建物が並んでいる。
その屋根には彩色が施され、赤いものや緑のものなど、カラフルに軒並みを彩っていた。
ここの住民は屋根の色でそれがどういう店なのかを判断するのだ。
赤なら武器屋。黄色なら宿屋。民家は大抵茶色になる。
大方の商人は一軒の店を構えるのだが、中には屋台を用いて商売をする者もいる。
資金不足といった理由もあるが、この町は日によって人が密集する場所が変わるのだ。
この街に四季はなく、年中通して23℃くらいの穏やかな気候だ。
しかし日によってまちまちで、大方±5℃のほどの気温差が生じる。
暑い日には清涼な水辺が、寒い日には風通しの悪い、建物の密集した中心部が好まれる。
そういった趣向を基にして売り場を変える。この地ならではの商売法だ。
石畳の敷かれた広い大通りには多様な人種が溢れていた。
人間が一番多くみられるが、獣人、エルフ等もちらほら見られる。
国全体で見れば異種族は疎まれるのが常だが、パッドへ出入りする際の検問で、人種による制限がされることはない。
人種差別が少なく、運河が観光地としても機能するこの街は、面積に対して大勢の民がいる。
各地で商業が賑わい、水に囲まれ魔物が入って来にくいという利点も相まって、パッドは順調に都市としての発展を続けていた。
これを統治しているのが領主「サムマリト・パネキ」である。
情に厚く懐の広い男で、パッドにおける異種族差別を撤廃した張本人だ。
爵位は伯爵に位置し、この地における管理のほぼ全権を信任されている。
パネキ家は代々これを世襲しており、街との長い付き合いから市民にも親しまれていた。
だが、パネキ家には一つの問題があった。
子宝に恵まれず、サムマリトの妻が長女を出産してからというもの、第二子が誕生していない。
本来では長男が跡取りとなるのだが、産まれない以上は他家から婿を貰い受けることになる。
それまでの間、一人娘は大切に、傷つかぬよう育てられることとなった。
パネキ邸の敷地からはなるたけ外出させないように、外出の際は従者を最低二人は連れ歩くように、また、本人と分からぬよう深く帽子を被り、顔を表に出さぬように。
徹底された護身体制によって、長女「アニーチャ・パネキ」は、今日まで健やかに成長を重ねてきた。
尤も、当人にとってはうざったい過保護でしかなかった。
昼間は座学、夜間には魔術の鍛錬。毎日はこの繰り返しだ。
たまに街へと繰り出す際も、何の自由も与えられない。
アニーチャは先日17歳の誕生日を迎えた。精神が大人へと移りゆく齢である。
一人で何かを成したい。もう一人前だということを、家族にも理解して欲しい。
そういった感情が芽生え始めた。両親を見返して、これからは自由にさせて貰う。
彼女にも、他人より大分遅れての反抗期が訪れた。
そうしてある日、彼女は家を飛び出したのだっだ。
長女が家内から失踪したという報せを受けて、サムマリトはひどく動揺した。従者を叱責し、直ちに追跡するよう命じた。
「流石に一人で街を離れることはないだろう、領地を少し外れれば魔獣のテリトリーに入ってしまう。アニーチャもそこまで愚かではない」
そう判断して、サムマリトはパッドの街に総員を派遣する。
総員といっても、外敵から侵害される危険性が低いパネキ邸では、5人しか従者を雇用していない。
結果、ごく少数の人員による捜索が決行されたのだった。
手配書を貼りだそうかも迷ったところだが、市民には彼女の容姿は知られていない。
むしろそれがならず者の目に止まり、誘拐されるような事態を警戒した。
見当もつかないアニーチャの行方を、ましてや街中をたった5人で隅々まで捜し歩くのは、相当に厳しかった。
彼女が家出したのは早朝4時の頃。
しかし、昼時を知らせる時計台のチャイムが鳴り響いても、果たして発見するには至らなかった。
彼女は今もこの街のどこかで、一人彷徨い歩いている。
それを思うだけで、屋敷で従者の報せを待つサムマリトの胃に、穴が開きそうなほどの激痛が走るのだった。
しかし一方で、、親の心子知らずといったところだろうか。
アニーチャは初めて手に入れた自由に心躍らせ、普段通らない脇道に目を輝かせながら、弾んだ足取りで探検を楽しんでいた。
この出来事は、大竹が水の都「パッド」へと転移してから二日後に起きたものである。