第二話 歩幅
「オイ、アンタ」
大竹の目の前で、大男がそう口に出した。
「この辺じゃ見ない顔立ちだな。それに変わった服装だ」
話しかけられているのが自分だと気付くまでに、数拍の時間を要した。
「客かと思ったが……、そのナリじゃ金も大して持ってないんだろう。買うものがないんだったら退いてくれねぇか?商売の邪魔だ」
やはり目の前の彼は商人だった。
不快さを顔に出しながら、シッシッと追い払うように手を振った。
確かに大竹の仕事着は色褪せていて、靴も穴が開いている。外見からして貧困層、おおかた浮浪者か何かだろう、と判断したのだ。
こんな厳つい男に邪険にされたのだ。いつもの大竹であれば「すみません」と平謝りするに違いない。しかし彼の心中は、もっと別のことで埋め尽くされていた。
「あの……俺の言葉、わかりますか?」
大竹は彼の言葉を聞き取り、理解出来ていた。そのことが不思議でどうしようもなかった。
何せこの世界では見渡す限り、日本と比較して住まう人種も文化も違う。
そこから察するに言語も異なるだろうに、大竹は彼の一言一句を正確に把握していた。
思ってもみなかった返答をされた男はきょとんとした顔をしている。
「言葉は分かるが……言ってる意味は分からねぇな。何でそんなこと聞くんだ?」
「あ、いえ……。通じるならいいんです。商売の邪魔をしてすみませんでした」
頭を下げて、その場を後にする。せっかくなのでこの世界の情報を聞き出したいところではあったが、あそこに留まって嫌な顔をされたくなかった。
背後から視線を感じたので恐る恐る振り返ってみると、男が訝しげな面持ちでこちらを凝視していた。
ここの住人の性質は分かりかねるが、もし彼を怒らせて暴力沙汰にでもなれば、大竹はすぐさま満身創痍と化すだろう。それが怖くてしょうがない。
歩き出したはいいものの、行く宛てもないので、取り敢えず街を散策することにした。
たどたどしく右往左往しながら歩を進める。
行き過ぎる人々は奇怪そうに大竹の身なりを見ているが、それは彼にとっても同じ事だ。
未だ実感が湧かないものの、皆ここが異世界だと判断せざるを得ない容姿をしている。
馴染みのない風景を見澄ましながら大通りを歩く。中途、異世界に引き込まれた成因を思案してみた。
時空の切れ目と自宅の入り口が繋がったとか、勇者として召喚されたとか、思いつくような設定はいくらでもあった。
そういった妄想に花を咲かせていた時期もある。シミュレートはしっかりと行っていたつもりだったが、しかしいざ放り出されると何を成すべきか不明だ。
誰かと間違えて召喚されたのかもしれない、とも考えた。
大竹は自らの能力に自負がない。勇者たる器ではないことをよく知っている。
そんな風に己を卑下しながら、それでも不思議と、彼はこのシチュエーションを受け入れつつあった。
大竹は日本に名残り惜しむべく物を所有していない。地位もなく、財産もない。情を分かつ知己や恋人もなかった。
両親とも長らく顔を合わせていない。時たま生活に困窮した際はいくらかの仕送りを受けていて、それが後ろめたかったのだ。
それを考慮すると、現状が人生の転機にも思えてきた。また一から始められるのだ。
思考回路が組み直されてポジティブになるのを感じ、大竹の歩幅が少し大きくなった。
「まずは街の雰囲気を確かめて、それからこの世界のルールなんかを学んで、生活の工面を考えよう。幸い言葉は通じるみたいだ。何をするにも金を稼がないと始まらないからな」
一先ずの目的は持つことが出来た。
前向きになった彼は、今後の計画を立てながら、勇み足で散策を続けた。