魔人の村
キッテと名乗るのは、人の姿をした猫の魔物だ。手足や頭身は隣を歩くキースと変わらない。だが、白い毛のびっしり生えた三角に尖った耳、しなやかに揺れる尻尾はまさに猫であった。
人型でいて人間でない生き物は、皆亜人と呼ばれる。そして中でもキッテのように魔力をもたない魔物の人型は、魔人と呼ばれて区別される。
疑うこともなくキッテに並ぶキースを、強く警戒しているティルと酷く不安そうなセイリア、疲労困憊といった様子のイアンが追っていた。
そこは暗く長い洞窟。もうやっと半分来たと言う。今まで歩いてきた分、まだ残っていると思うと、ティルの中のキッテへの不信感がさらに募った。ティルの持つキースのレタリオは、洞窟を吹く風を押しのけるようにして炎をあげている。これが唯一の光だった。皆の足元を照らす。
「この洞窟を抜けた先には僕の住んでいる村があるよ。さっきも言ったけど、そこは魔人の村。猫の魔人と、ほんの少しの人間しか住んでいない。」
「だからなに?」
「魔人は魔力をもたない。だから、君たちが上手く馴染むために、魔力を使わないほうがいいんだよ。」
「は?みんなどうやって生活してるの?」
「ちょうどいい、今からやってみせるね。」
「何を…」
ティルが言いかけた時、キッテは洞窟の中壁に人差し指を向け、尖った爪で線を描き始めた。左右非対称で、なんの形とも言えない模様を一筆で描き続ける。指を離すと、たちまち描いた模様が震えて崩れ、石が手の拳ほどの大きさで剥がれてきた。
それはほんのりと光を帯び、キッテの手の上に乗せられた。セイリアが思わず感嘆の声をあげ、イアンは掠れた目を何度も瞬いて首を傾げる。
心得のあるティルは驚かない。それは魔法であった。キッテの描いた模様は魔法陣で、その形を利用した奇跡の力だ。
魔法の中にはこうして魔力由来でないものと、魔力由来のものがある。魔力由来のものは魔術と呼ばれ、魔法の一種として区別されていた。
魔力を当然のようにもつ人間にとっては魔術の方が扱いやすい。熱心で勤勉な人間によって魔術は研究され、どんどん発展してきた。時代に合った変化とその手軽さで、人間にはとても馴染み深いものになっている。
「私、魔法と魔術は同じだと思っていました。言葉が違うだけで、どちらも魔力を必要とするものだと。」
「僕もです。魔力を使わないで、ここまでできるなんて。」
眩いとまではいかないが、キッテの持つ光は十分に一帯を照らしている。キースが空気に馴染んでいないティルから剣を奪い返し、腰の鞘におさめた。ティルの手から柄が離れた瞬間にレタリオから炎が途絶えて、ほんの少し薄暗くなった。
その薄暗さがティルは不満であったが、大人気ない態度をセイリアやイアンの前で取りたくなかった。冷静を装い、得意そうに口を開く。
「“魔法は魂と魂を繋ぐもの”って言ってさ。自分に合った方法を探らないといけない。さっきキッテが描いていた魔法陣を、俺や君たちが描いても、同じ奇跡は起こせない。」
「そうなんですか……じゃあ、教えてもらうことはできませんね。」
「魔法はひらめきだから。教わってできるものではない。」
「でも、僕でよかったら、コツは教えてあげようか?」
「キッテさん!ぜひ!」
「ちょっと!コツくらい俺でも教えられるよ!」
歩みを進めていくと、自然といつもの追う側と追われる側に分かれて距離が開いていく。セイリアとイアンの前に立ち、キッテに噛み付くティルが、その間にある壁のように立ちはだかっていた。キッテは穏やかに微笑みを絶やさず、後ろの三人を優しい眼差しで見つめている。
何も知らないということは、恐ろしいものであるが、可愛いことだと思った。キースに仕方なくついてきているだけで、あの三人は自分のことをよく知らない。魔物のことも、この国、大陸のことも。それ故の無謀な言動は、自分にとっては懐かしく、嬉しいことであった。
「僕がキースと旅をしていた時のことを思い出すよ。」
「え……。」
「魔物はね、魔力をもつ人間を、心の奥底で羨ましいと思ってるんだ。」
「……。」
「でも僕はね、ちょっともそんな風に感じたことがないんだ。キース“たち”のお陰で。」
歩幅が狭くなった。目を閉じ、記憶を愛しむキッテが自然とそうなると、ティルもそれに合わせる。そうすることでお互いの顔がはっきりと見えない距離感が保たれている。
セイリアは突然静かになったティルの様子が気になり、腰をかがめて顔を覗き込んだ。金色の瞳に光が揺れている。その切なそうな表情に、言葉が出なかった。
「君たちは僕のことを一人の存在として認めてくれてる。人間が人間とただ言葉を交わすように、接してくれることが嬉しい。」
そうキッテが言ったのを最後に、しばらくは五人の誰も口を開かなかった。だが、それぞれの胸中は様々である。イアンが、その全てを受けとめていた。複雑な感情は時に絡み合い連動するが、今回はそうではなかった。思わぬ動きを見せる気持ちたちの理解や処理が追いつかず、呼吸が上がっていく。
「大丈夫?」
「大丈夫ですよ。」
セイリアの心はいつだって、不安と心配で溢れていた。それは自分の心と同じで、イアンは安堵する。邪推する必要もないし、人の感情に流されてしまって自分を見失うことがないからだ。
イアンはティルとキッテの気持ちを受けて、この先のことを案じた。今はまだ平行する二つの感情が、いつか交わることを考える。その影響力は計り知れない。
「がんばったね、もうすぐ僕の家だよ。」
洞窟の外が見えてくる。湿気を含む生暖かい空気、そしてすっかり日が落ちた空に、夜を彩るささやかな光たち。
行き交う人たちには皆、キッテと同じように毛の生えた耳と尻尾があった。全身が毛に覆われていたり、顔だけ全く猫であったりと、様々な個性をもつ魔人たちは、夜とは思えない賑わいの中にいる。
「あまり目立たないで、静かに。馴染むように努力して。村には人間もいる。でも旅人はいない。」
キッテが囁き、人混みの方へ向かって行った。キースもすぐ続き、慌てて三人も追う。その面持ちは緊張一色だ。
魔物たちの中には武装している者もいた。睨み合い、怒鳴り、叫ぶ者もいた。獣等しく、そこは本能のまま生きる者たちで溢れている。異様な空気が、ひしひしと伝わってきていた。
「あ。キース、ちょっと先に行っててくれる?」
三角の耳を後に向け、キッテは立ち止まってしまった。すると人混みから女の身体つきをした魔人が現れ、キッテの腕に絡みつく。
それを見てティルがギョッと目を見開き、口を開閉させた。更に、知らない土地で道を託そうとするキッテに、また何でもないことのように頷くキースに、言葉を失った。
この先の道をキースに委ねて、雑踏へと消えていってしまうキッテを黙って見送り、早速キースにすがる。
「なんなの!あれ!どうすんだよ!」
「声が大きい。大丈夫だ。」
「大丈夫って何がだよ!あいつの家知ってんの?」
「知らねぇ。」
「あああ……!」
「だがわかる。」
「そういうことは早く言えよ!そんで早く!ここには長居したくない!」
迷わずに歩を進め始めたのを見て、盛大なため息を吐く。これは安堵のため息だ。だがそれも束の間、今度はキースに魔人たちが群がりだした。
好意とそうでないもの、ただの興味。関心のきっかけは様々であったが、関心が関心を呼んでいる。それを全く無視していくキースであったが、ティルは穏やかでない。
「イアン君!」
「えっ!何!」
全神経をキースに向けてしまっていたことにハッとし、その声に慌てて振り返ると、血の気のない顔でぐったりとセイリアにもたれかかるイアンがいた。セイリアは目に涙を浮かべ、イアンを支えている。
ティルは目眩がした。どこを見渡しても聞こえてくる、魔人の喧騒の渦に身体が飲まれていく感覚に陥る。
「なんなの、ここ……!」
セイリアからイアンの身体を受け取るキースの横で、ティルは掠れた声で言った。
20160322