アスワド島の友
呼吸も忘れてしまいそうな眩さは、セイリアのもつ魔力に光魔術の適性があるということを示していた。それが伝えられると本人はほっと胸を撫で下ろし、ただ嬉しそうに微笑んでいた。それからは自信を少し取り戻して光魔術の本に読み耽る。
ティルが作った岩穴の中で、四人がそれぞれ思い思いに活動していると、突如滝のように地面を打ち付ける雨がやってきた。出入り口に近いティルは仮眠を取っていたが、その音と激しい水しぶきに驚いて飛び起きていた。もう片方の出入り口側にいたキースは、着ていたコートの襟を立てて首から口元を静かに覆う。
「あんなにいい天気だったのに!キースすごい!」
「止んだら行く。」
「はい。」
「はーい。」
顔色も目線も何一つ変えず、キースはそう言った。手入れの終わったレタリオを鞘に収めながら、セイリアとティルの返事を聞く。イアンは随分深く眠っているようで、セイリアが慌てて肩を揺らした。どのくらい続く雨なのかは見当もつかないものの、また容赦なく置いていかれると困る。体を休めてほしいのは山々であったが、イアン自身もそれを望むはずだ。
イアンが目覚めてから、そわそわと出発の準備を始める。ティルは麻袋一つと荷物が軽く、またこの岩穴ではほとんど寝て過ごした為にすぐ支度ができた。しかしセイリアとイアンはどうももたつく。水の入っていた空の小瓶をしまい、中からケープを出して羽織った。そして四つある全ての袋をあけて中身を確認し、それぞれ振り分けて二つずつもつ。その一部始終を見たティルは、キースを一瞥した後にゆっくり口を開けた。
「それ、何が入ってるの?」
「え?はい。これはお水と手袋、薬草、布です。こっちにもお水と、それから塩や保存の効く食べ物、ナイフ……えっと、それから、」
「いいよ、わかった。あのね、それ全部いらないものだよ。」
「えっ!」
「随分買ったみたいだね、もったいない。」
「……。」
「まぁ、いるかなーって思うか、最初はさ。買い物ついていってあげたら良かった。今回は何日も砂漠みたいな所を歩くわけじゃないから水も食べ物もいらないし、薬草も俺がいれば全くいらない。」
「あがったぞ。」
「じゃ、行こうか。」
この島へは、メシェネトネフェル王国からの船で渡ってきた。メシェネトネフェル王国は、大小様々な島々で成るスライプにおいて最大の大陸全土を指す。スライプの地図は、メシェネトネフェル王国の周りに、エムハブカーサァセケムィブブ王国の島々が散りばめられているような格好だ。島の数さえも把握しきれていないエムハブカーサァセケムィブブ王国よりも、メシェネトネフェル王国は大きくわかりやすい。その為、他の大陸へ行き来する手段があるのは、ほぼメシェネトネフェル王国だけである。エムハブカーサァセケムィブブ王国に来る冒険者は必ず、メシェネトネフェル王国を通ってやってくるという。
メシェネトネフェル王国には、冒険者向けの市場や町が多数あった。しかしそういった類を、キースは避ける傾向にある。物資や宿代が割高であることは言わずもがな、他の冒険者との接触は不要な争いに遭う機会となるからだ。しかし、旅をする為に何の準備もないセイリアとイアンを連れ回す利点など全くない。かと言って世話を焼くつもりもなく、二人を市場に放り投げて、自分は遺跡を巡っていた。
「遺跡っていってもさー、穴がボコボコにあいた岩しかなかったんだ。」
「見たかったです。」
「俺は興味ないよ。あーあ、なんでキースの方に行ったんだろ。いつもの感じでついて行っちゃったんだよなぁ。」
「でも、教訓になりました!これからはしっかり勉強して、考えてお買い物をします。ね!イアン君!」
「そうですね。いつまでも、誰かを頼ってはいられませんし。」
ティル、セイリア、イアンの三人は、三歩先へ行くキースの背中を追いかける。少しでも険悪な雰囲気になった様子など全くない。セイリアは穏やかな気持ちだった。多少の暑さやじめじめした空気はあっても、ここは平和で静かだ。雨上がりの風は湿度を上げて一層べたついたが、バタバタとはためくケープが空気を含んで少し心地良かった。裾の膨らんだパンツも、肌にまとわりつかない構造で、程よく湿気を逃す素材であることが着ていてわかる。その土地の物を身に纏うことが、そこで活動する上で利点になることを知った。
少し先のキースを見てみる。彼は旅に慣れていることが度々伺えた。しかし、気候の違うルマティーグにいた時とほとんど格好が変わらない。きっとあれが万能な装いなのであろうと考える。慌てて現地で見繕った自分たちと違い、脱衣したものが荷物になっていない。ふと、隣を歩くティルがかなり着崩していることに気づいた。窮屈そうな上汗だくで、とても機能性が高いとは思えない。それに、膨らんだ麻袋の中身は、丸めたジャケットがほとんどを占めていることを知っている。
「ティルさんの服装は、何か特別なものなのですか?」
「は?いきなりなに。」
「すみません!暑そうだなー……って思って。」
「ふーん。これは、光魔術士の制服。」
「え!制服があるのですか!」
「俺の育った国のね。」
「なるほど。」
「着ろってウルサイ人がいてさ。今は着替えてもいいんだけど、選ぶのめんどくさいしお金ないし、それに、見られてる気がして。」
「……その人に?」
「そう。ほんとヤッカイな人だよ。」
憎々しそうに顔を皺だらけにしたティルの一言を最後に、今までになかった突風が吹きつけてきた。返事をしようと口を開いたものの、その内容を忘れてしまったセイリアがティルを見つめたまま固まる。ティルも、呆れたような苛立っているような表情ながら、その顔色は青く暗い。それ以上何か言おうとしなかった。
「もうすぐ村に着く。」
そこへ冷静な声が聞こえてきて、前を見るとキースが足を止めてこちらを見ていた。三人は自然と足を止めてキースの前に並んだ。村と聞いたイアンは緊張した。どんな人間がどのように、どのくらい生活しているのか。そこでキースは何をするつもりなのか、自分はどうすべきなのか。これからのために情報を集めたいところだ。だが、自分が思っている以上に、身も心も疲弊してしまっている。穏やかに、静かに、休める場所であるだろうか。不安が募った。
「そこでは、魔術は使うな。」
「なんで?」
「面倒なことになる。」
「は?だから、なんで?」
「それはね、魔人の村だからだよ。」
「!?誰!」
突然死角から声がして、ティルは咄嗟に身構えてその方を向く。セイリアも身体を強張らせ、イアンも腰を低く落としてセイリアをかばうように立った。声は右側前方の遠くから聞こえてきた。三人とも同じ方向を見て探ったが、気づくとキースの背後から顔を出し、肩口に頬を寄せる白髪の人がいた。その人はキースに腕組みをしており、それを見た瞬間ティルが眉間に皺を寄せる。キースは顔色一つ変えず、ピクリとも動かず、まるで予知していたように黙っていた。
「久しぶりだね、キース。すぐわかったよ。」
「キース!そいつ誰!」
ふんわりとした癖のある白髪、大きな青い瞳と柔らかそうな唇。すぐに目に付いたのは、顔の横にある三角の耳。髪と同じ色の毛が生えており、血管が透ける薄さからほんのり赤く色づいて見える。白い毛の生えた、尻尾もあった。
「知り合いだ。」
「僕はキッテ。君がティルだね、初めまして。こちらの方々は?」
「イアンです。」
「セ、セイリアです。」
「キース、ティルくん、イアンくん、セイリアさん。ようこそ、僕たちの村へ。何もないけど、ゆっくり休んでいって。」
20160301