光の原色
「ねぇキース!」
怒気の含む声をキースの背中に叩きつけるようにして言ったのはティルだった。困惑の表情の後ろに、青白い顔をしたイアンと、その小さな肩に手を置いて気遣う様子のセイリアが見える。キースは静かに足を止め、ゆっくりと振り返り、全く感情の感じられない紫の目をティルに向けた。ティルの金の目の中で、現然たるキースが揺れる。キースの言葉をティルは待った。心に刺さるようにして芽生えた、不実の疑惑をむしり取ってくれることを祈りながら。
「なんだ。」
「あのさ、イアンが、」
「それで?」
目の前が真っ暗になった。冷たく閉ざされたその先の言葉を、奥歯で噛み締めて唾と飲み込む。そもそもキースは冷徹で厳しい男だ。しかし、ティルにとっては誰よりも聡明で、不動の信頼がそこにあった。今回だって、イアンに対して厳しく接しながらも、最終的にはやれやれと世話をしてやるものだと思っていた。チクリと胸が痛む。バクバクとうるさい心臓が、耳元までこみ上げてきているようだ。
「ちょっと休憩しない?」
「こんなところで雨に降られたくない。村まで歩く。」
「雨?全っ然降りそうにないし、もうずっとずっと歩いてるよ。」
「……村までもう少しだ。」
「待って!」
背を向けてしまおうとする肩を掴み、それを制止する。線が細く見えて、触れてみると逞しいその肩に、ギュッと力を込める。見上げてくる無表情に、必死で訴えた。
「村までどのくらいなの?」
「夜までには着く。」
「夜まで何時間あると思ってるんだ!降りそうにない雨のことを気にするなら、少しはイアンのことも考えてやれよ!」
「雨は降る。」
「あーそうかよ!じゃあこうしよう!」
ティルは心を鎮めようと敢えて一歩一歩踏みしめて歩き、少し先にあった切り立ったような大岩の前で止まった。そして胸元にそっと手を持ってくると、大岩に向かって勢いをつけてその腕を振り払う。すると、破裂音がするのと同時に爆風が吹き付け、一瞬で大岩に穴が空いた。
水と火、風、雷の四つを操る大四魔法というものだ。魔術のように魔力を利用したり、ティルのように手や腕の形と動きを利用したりして各々の方法で操る。これができて初めて魔法使い、魔術士と呼べるようになるという、基礎の魔法だ。
ティルの背丈程の高さと、二人並んで腰掛けられる幅、四人縦に並んでいられる奥域のある穴だった。破片は風で向こう側に押し出され、石ころになって山を作っている。まったく鎮まっていない、憂いと戸惑いの混じった魔力が、ティルの背中で揺らめいていた。その姿を穴が囲んでいる。
「……ここで休もう。降った雨が止むまで。」
「……。」
返事はなかったが、横を通り過ぎて穴の中に腰掛けるキースを見て安堵した。振り返って、セイリアとイアンを手招きする。二人は酷く驚いて口を開けたまま固まってしまっていた。
「雨が降るんだって。」
「あ、雨?」
「そ。ここで雨宿りしてから、出発しよう。」
「わかりました。」
「雨なんて……」
「キースが降るって言ったら降るよ。」
「僕に、気を遣ってくださっているのなら、結構です。」
「もうすぐ村なんだって。ただ雨宿りするだけだよ。」
イアンにはティルの心が届いている。自分を気にかけ労わる気持ち、それに理解を示さないキースに対する不信感とそれを抱く戸惑い、憂い。ぐちゃぐちゃになって絡まるこの感情たちは、不器用なティルに持て余されて怒りとして表れている。慰め方も知らず、慰める余裕も自分にないことが悔しかった。イアンはティルの気遣いを尊重するために、好意として受け取って大いに甘えることにした。岩穴に入って腰掛ける。体から根が生えたように、肌が地面に吸い込まれていく。疲れが溢れて、身体中が熱い。寄り添ってくれるセイリアの体温がひんやりと感じる。
ティルは最後に岩穴に入り、セイリアの桃色の頭越しにキースを見た。反対側の穴から外を見ているようだ。強い日差し、まとわりつく湿度。岩と石ばかりの荒野。それ以外の景色を、ここではまだ見ていない。異様に静かな島だった。魔物もいなければ人もおらず、まず安全であると言える。だが、こんなにも落ち着かない。
「あの、ティルさん。」
「なに。」
「あの魔法は、私にもできますか?」
「あのって、なに?どれ?」
「この岩に、穴を開けた……」
「ああ、大四魔法。できると思うよ。」
「教えてください!」
「えっと、俺の場合、バッてやってサッてやってシュッ!ドーンって感じ。」
「……。」
「説明難しいから、真似してやってみて。」
「はい!」
「おい、この中でやるなよ。外でやれ。」
「うん。あーっ!そうだ!思い出した!」
滑らかにくり抜かれた岩肌だが、加減の知らないティルが中で魔法を使えば大惨事である。キースが眉間に皺を寄せて、顎で外をさした。思った以上に呆れた声が出て、手入れをしようと持ち上げた剣にため息がかかる。それを見て苦笑しながら立ち上がろうとしたセイリアが、ティルの迫力ある声に驚いて尻餅をついた。その声は岩に響き、全員の耳が震えた。伏せていたイアンも驚いて顔を上げる。
「なんだよ。」
「驚きました!」
「キース!レタリオ貸して!」
「……。」
「こいつの適性をさ!知りたいから!」
レタリオとは、キースのもつ大剣の名前である。指を目一杯広げた手のひら程の広さを持つ白く薄い刃は、剣先に近いところでくびれてまた広がり、ひし形に収まっている。柄の元部分に赤い大きな石がはめ込まれている以外は飾り気のない大剣だ。半ば奪ってレタリオを握るティルを、キースが厳しく細めた目で見ていた。また険悪な空気になるのではと、セイリアは全身を慌ただしく動かしながら二人を交互に何度も見る。
「それでも外に行けよ。」
「わかってる!じゃあ行くよ。」
「えっ!あ、はい!」
中腰で出て行くティルに手を引かれながら、セイリアはキースに頭を下げた。セイリアがよくやる仕草だ。ほとんどの状況を振り返ると、それは謝罪の意であろうと察する。当の本人は意思表示が上手く伝わっていないことを知らず、レタリオを握るティルと向き合っていた。セイリアは魔法も無知で拙いが、剣はもっと無知である。不安で緊張しながら、ティルが地面と平行に刃を構えるのを見ていた。ティルは目を瞑って握る柄に魔力を集中させていく。
レタリオは精霊石でできた魔法剣だ。持つ者が注ぐ魔力に応じて様々な変化をする。ティルの魔力を吸い込んで、はめ込まれた赤い石が光ると、すぐに刃から炎が上がった。
「!」
「すごいでしょ、これ。こういう剣なの。」
「すごいです……!」
「はい。」
「?!」
ピタリと炎が止んだ剣を、ティルは差し出してくる。すぐに受け取ろうという気にはならない。もし落としてしまったら、もしまた炎が上がったら。腕力にも魔法の扱いにも自信がない、そんな自分が不甲斐なくてまた落ち込む。その一瞬で不機嫌そうに顔を歪めたティルは、無理矢理セイリアの両手に柄を握らせて押し付けた。そして、慌ててギュッと握るセイリアの手を指差す。
「あ……思ったよりも軽い。」
「ここに、魔力を集中させてみて。」
「あの、どう、したら?」
「足とか頭とかみたいな、端っこから手に、すーっと気の流れが集まってくるように想像するんだよ。」
「あわわ……!」
岩穴の中からキースとイアンが見ていた。セイリアは皆の視線を感じて身体を強張らせる。それでも精一杯、刃が目線より上にくるようにして、胸元で手を組む形で柄を握り、目を閉じた。足の爪先や頭頂部、隅々から身体の中央に向かって何かが流れる。これが魔力であることを、セイリアは温かく不思議な感覚と共に感じた。そこからは自然とレタリオに向かって流れていく。とめどなく注がれるセイリアの魔力に応えるように、キィンと赤い石が震えて鳴り、辺りが真っ白になった。
「!」
「うわっ!」
「な!なんですか!?」
セイリアの魔力によってレタリオから放たれたもの、それは光だった。音さえもかき消す程の濃い光の原色が、辺りの色を全て飲み込んだ。目が眩みながらも至近距離にいたティルが手探りで探し当てた剣を奪うまで、セイリアが戸惑って注ぎっぱなしだった魔力にレタリオは応え続けた。
20160225