荒野の冒険者たち
熱帯の大陸スライプ。スライプ大陸と言うと、それは百以上の島嶼全てを指す。人一人がやっと立てるような岩礁から、ルマティーグ大陸のおよそ二倍の面積となる東西にのびた楕円形の大陸まで、大小様々だ。数え切れないほどの島は、海という広く深い線で囲われ閉ざされた土地となり、そこではそれぞれ独特な文化が引き継がれている。
スライプに王国は二つ。その内、島の王国であるエムハブカーサァセケムィブブ王国に四人の冒険者たちがいた。
「あつ……キースたち、よくやるよね。」
「そう、ですね。」
そこは大陸に程近いところにあるアスワド島。エムハブカーサァセケムィブブ王国は島の数が国の数だ。アスワド島は全域がアスワドという国である。国というには小さな島で、特に目立った観光地もなく、観光客はおろか、冒険者も滅多に訪れることはない。そしてその島で生きる者にも厳しい、枯れた大地の島だった。そんなだだっ広い荒野で、茶髪の青年と緑の髪の少年が左右上下に飛び回っている。時折激しくぶつかり合い、跳ね返った少年が体勢を大きく崩す。二人は手合い中であった。
「本気で来い。ふざけてんのか。」
「本気ですよ!」
「ルマティーグの時の半分もねぇぞ。」
汗と湿度でしっとりとした腕で、擦り傷の多い頬を拭いながら、イアンが唇を噛んだ。癖が多く、切り揃えてもまとまらなかった短い緑色の髪と、少年らしくあどけない大きい青い瞳が特徴のイアン。とある目的で旅を始めてまだ一週間も経っていない。足首に留まる裾の膨らんだパンツ、伸縮性に優れ密着するシャツは、スライプでは一般的な衣服で、最初に訪れた町の朝市で購入したものだ。
青年はキース・ティサイアといった。イアンに協力する冒険者だ。若いが冒険の熟手で、イアンの頼みで行動を共にしている。赤いシャツ、茶色の薄いコート、白いパンツ、冷たい紫の瞳。イアンが出会った時と同じ、どこへ行っても変わらない格好だ。そして相変わらず汗ひとつかいていない涼しげな顔で、キースはひし形をした剣先をもつ大剣を握っていた。
イアンは武器を持たない。得意の精霊魔術は、今自分に協力してくれるような精霊がおらず、全く発揮できそうにない。かといって他の魔法の知識もない。運動神経を研ぎ澄ませ、集中力と精神力だけが頼りである。しかし、その集中もこの暑さで途切れかけ、顔色一つ変えない相手に精神も折れかけていた。
一方、その手合いを虚ろな目で見ている金髪の青年は、胸元までシャツのボタンを外し、腰から足首にかけて巻いていた布を取っ払い、かなり着崩した格好をしていた。肩にかかるほどの長さの髪が、汗に濡れる首にまとわりつくので、それを鬱陶しそうに時折払っている。キースと旅をしている魔術士、ティル=ワードだ。
その隣で本を読む少女はセイリア。不揃いの桃色の髪で左目を隠しながら、必死の表情で文字を追っている。セイリアはイアンとほとんど同じ格好をしていた。
「あつ、あつ……。この国暑すぎ。」
「そう、ですね。」
「それからあの二人熱すぎ。」
「そう、ですね。」
「キース、イアンに厳しくしすぎ。」
「そう、ですかね。」
「かわいそうだ。それに、イアンの回復するの俺だよ。あーあ、また蹴飛ばされた。足じゃなくて剣だったらパカンとイッてたね。」
「ティルさん、ここはどういう意味ですか?読み解けません……。」
「……あつ。」
ティルは回復魔法の光魔術を得意としている。そんなティルから光魔術の本を借りて、セイリアは今、回復魔法を学んでいた。セイリアもイアンと同じく、旅を始めて間もない。イアンは精霊魔術と桁外れの運動神経が武器となるが、セイリアにはこれといって何もなかった。むしろ、足を引っ張ることの方が多いのだ。だが、この旅を終わらせることはできない。旅人として相応しい能力だと思い、回復魔法を選んだ。
「どこ?」
「ここです。“傷の治癒、細胞の……活性化を促す”。」
「うーん……なんていうか、傷の治癒はさ、バッてやってパーってしてピタッとなる感じ。難しいこと考えなくてもできる。」
「バッパーピタッ?」
「傷が深かったら、シューってやってチリチリってなったらグーッてやる。」
人差し指を立て、傷口があると仮定した自分の左腕に突き刺すように向ける。仕草を交えて教えるティルの得意げな明るい顔色とは逆に、セイリアは暗い顔をして落ち込んでいた。そして随分と年季の入った本に再び目を落とす。使われている字体がとても古い。紙も古い埃のような匂いがして、端の方は茶色く変色している。時々書き込みを見かけるのだが、そのインクも褪せかけていた。この本の持ち主であるティルは、内容こそ理解しているようではあるが、あまり万人向けでない捉え方をしていた。残念ながらセイリアはそれを受け入れることができなかった。
「教えてほしいって言ったけど、光魔術は向き不向きがあるよ。」
浮かない顔のセイリアを見て、気遣いなのかティルがそう言うと、セイリアはもっと暗い影を顔に落として肩をすくめた。足手まといから脱却する術はないのかと落ち込む。ティルにセイリアの繊細さはない。それを見たティルはムッと唇をへの字に曲げて、憤慨したように立ち上がってセイリアに背を向けてしまった。
「あっ、」
「キース!キース!!」
大声で自分の仲間を呼び始めたティルを引き止めることができず、セイリアはその場にまた崩れ落ちた。しかしまだ本は半分も読んでいない。きっとある希望に賭けて、背筋を伸ばし、また本を読み始める。しばらくすると、そこへ三人の影がまとまってやってくる。イアンとティル、そしてキースだ。セイリアは足音で気づき、本を閉じた。汗だくで泥だらけのイアンを見て、何か拭うものを探しだす。
「イアン君お疲れさま。はい、布とお水。」
「セイ……ありがとう。」
「水、いいな。」
「……。」
「キース、俺たちのは?」
「そんなもん、買ってたらキリがない。」
「えっ!」
「!」
「すぐ動くぞ。ここで無駄に過ごして雨に降られたくない。」
「ちょ、えっ!」
「……キースと旅をするってこういう感じだよ、二人とも覚えておいて。」
つい数十秒前まで激しい運動をしていたはずのキースは、同じことをしていたイアンと違って呼吸も穏やかだ。静かにセイリアの荷物を一瞥した後、足早に行ってしまった。息も絶え絶えのイアンと、慌てて荷物をまとめるセイリア。そして麻袋一つ肩にかけてそんな二人を見守るティルは、どこか楽しそうな微笑を浮かべている。後輩ができた気分だった。キースの厳しさを誰よりも知っている分、自分は後輩に親切にしようと考える。
「イアン、いける?」
「大丈夫です。」
「じゃ、走ろう。俺たちのためにキースは絶対立ち止まってくれないから。」
アスワド島という小さなこの島へはキースの足取りを頼りに来た。何艘、何艇もの船を乗り換え、いくつもの町を通りすぎ、何度か星空の下で眠った。自分がこれからどこに向かうのか、どこにいるのかも知ることがないまま。エムハブカーサァセケムィブブ王国民は滅多に他国へ移動しない上に、他国に干渉し合うことがほとんどない。その中でもアスワド島は特に知られていない島である。エムハブカーサァセケムィブブの全てを治めるはずの王でさえ、アスワド島の位置すら把握していないという。
その内心は様々であった。気が大きくなっているティル、この先不甲斐ない自分への不安を募らせるセイリア、疲弊一色のイアン。三人はキースを見失えばこの荒野で途方に暮れるしかない。ティルに背中を見守られながら、セイリアもイアンも走るしかなかった。もう随分小さくなってしまったキースの影を目指して。
20160128