甘ったれと甘ちゃん
キッテは昔、と言ってもたかが十数年前だが、人間の冒険者と旅をしていた。キッテたち魔人から言わせてみればこの世の魔物・魔人への偏見は凄まじく、それらを討伐するための冒険者はごまんといる。そんな中、白い毛の生えた三角の耳の冒険者は、否応無しにとても目立っていた。だが、それ以上に、キッテの仲間は目立つのだ。
彼らは肩から顔の半分と、首から上半身にかけて、赤いアザを持っていた。その鎖のようなアザは「咎の証」と言われて忌み嫌われている。その“証”を彼らは隠すことはせず、堂々と闊歩する。また、彼らは自分たちの咎を恥じなかった。息を潜めて暮らしてきたキッテにとってその二人は、目から鱗ではあったが、自分の心を救ってくれた唯一無二の存在だった。
だが、二人は決してやさしい者たちではなかった。崖から突き落とされ、傷口に塩を塗られ、それでも必死ですがって追い続けると、最後には一緒に寝てくれる。それに、ボロボロのキッテを慰め、励まし、あれが“教育”だと気づかせてくれる、キースがそばにいた。
そうしているうちいつの間にか鍛えられ、認められるようになるのだが、キッテはその日のことを忘れない。
咎のことは、“精霊殺し”と言う者もいた。そう叫ばれては石を投げられることも少なくないし、何をするにも門前払いが基本。それでも彼らや自分の本質を見抜く存在もあった。そういうものと関わることで、キッテの審美眼は養われていったのだった。
彼らのさすらいの日々は長くは続かない。咎の証は外見の問題だけでないからだ。咎を負う者は、魂を縛られる。全身にアザが及んだ時、命が尽きるようになっていた。真っ赤になった二人はある日、あっさり消えてしまった。彼らを敬愛してやまないキッテと、冷静沈着なキースを残して。
これ以上旅を続ける理由がなくなったキッテもまたあっさり、今までの生活を捨てて安住の地を求めた。そうしてこのアスワド島に辿り着き、キースに別れを告げ、同じ種族ばかりで生活する“安泰”な日々を送っている。
「君たちに、僕の教えは必要ないのかもしれない。」
目の前にいる青年と少女、横たわる少年。三人は甘ったれだった自分とよく似ていると思っていた。しかし、目の前の彼らは、彼女らは、確かに旅をするには甘ちゃんだが、“彼ら”しか見えていなかった自分とは違うとキッテは思った。すがりつくものが、根本が。自分のように、あっさりと旅を捨てられない彼女らだからこそ、どんな困難にあっても自分たちで乗り越えていくだろう、そう感じる。
キッテは立ち上がった。衣服の上を小石や砂が転がって落ちていく。強打した背中が痛い。首をバキバキと鳴らしながら曲げてほぐすと少しは良くなった。
「僕もまだまだ甘ったれだ。」
鏡にうつった自分の情けない姿を思い出して、キッテは苦笑いするしかない。あれほど鍛えられたはずなのに、未だに脆い。忘れたはずなのに、彼らにすがって依存していると痛感した。
自嘲するキッテの話を聞いているのは、セイリアだけだ。一定の緊張感をもって、顎を引いて見据え、キッテの出方を伺う。彼の本心は垣間見たが、まだまだ信用はできない。
そのちょうど真ん中にいるティルは座り込んで動かない。だが彼の髪だけを揺らす風が優しく吹いている。いつでも態勢は整えてくるだろうとセイリアは期待していた。
「正直、キッテさんが言っている意味はわかりませんし、わかろうとも思いません。」
「うん、それでいいよ。」
「では、これで本当にお別れです。」
「それはちょっとまって。」
「……近づかないでください。」
セイリアが冷たく視線をよこして言う。上出来だとキッテは思った。彼女は、無防備すぎた。疑いも汚れた世界も知らない。冒険者であるならば、警戒し過ぎなくらいがちょうど良いのだ。二人はしばらく黙ってお互いを見ていた。
「二つだけ、話したいことがある。」
「わかりました。ききます。」
キッテから茶化した様子が消えた。白いふわふわの髪の毛が少し不釣り合いに揺れている。だが安心はしない。セイリアは、自分の魔法と魔力の使い方を理解し始めて、自信も芽生えてきていた。しかし力では到底敵わない。ある程度の距離は保ちたい。
「まず一つ目。ここ数日、君を見ていて思うことがある。」
「……。」
「左の目、見えてないんじゃない?」
「……。」
沈黙を貫き続けるセイリアの頭には、二択の返事があった。黙秘するか、肯定するかだ。つまり、セイリアは左目がほとんど見えていなかった。
急激に視力が衰えたのは、先ほどの魔法の発動後だ。ほとんどの光を感じなくなった。と言ってもそれ以前から左目から得られる景色は霞んでいた。痛みもないし、見えないと言うこともない。悟られないようにしていたつもりだったが。
このことを知っているのはイアンだけだ。イアンには全て伝わってしまう。だがキッテと違い、イアンは自分にとってかけがえのない理解者である。悟られたからと言って、このことをキッテに伝える必要はない。
(でも、知ってどうなるの。そんなことキッテさんもわかっているはず。それでも質問してきたとうことは、何かあるのかもしれない。)
「あのね、」
「……。」
「言いたくないなら言わなくてもいい。もし、隠したいことがあるなら、上手く隠した方がいいよ、旅をするなら。それが言いたいこと一つ目だ。」
「わかりました。二つ目は?」
「通行承認証のことは知ってる?」
「……。」
「君たちは持っていないはずだ。キースにくっついて国を渡ってきたのだから。」
「……。」
黙っているのも辛くなってきた。これについては全く意味がわからない。動揺が隠しきれていないとわかる。元々こういう状況には慣れていない。会話の相手を睨みつけて相槌もうたないなんて、経験がないのだ。
「キースがいなくなった。例え君たちに進むべき道があったとしても、その途中にある壁の乗り越え方を知らなければ、先には進めない。」
「そうですね。」
「知ってるのってきいてるんだよ、通行承認証。キースが持っていたのは、冒険通行承認証。」
まるで呪文のようなそれを、セイリアが知るはずがない。セイリアは心の中で、ティルとイアンの名を叫んだ。だが二人とも全く動かない。
通行承認証はいくつか種類がある。そのどれもに共通しているのは、ルマティーグ、スライプ、ナロアラ、ライアの同盟四大陸及びその国を行き来することを許可された時にもらえる紙ということ。その内、武器を一つ申請して、それを持って移動することができるものを、冒険通行承認証と言った。そしてそれを持つものを、冒険者と呼ぶ。冒険者は三人までパーティを組むことができた。そして禁止されていることもあり、同盟を組んで複数のパーティで行動することはできない。
「申請にはだいぶ時間がかかるよ。なんせここはアスワドだ。最低でも一ヶ月みておいたほうがいい。」
「一ヶ月?」
「そう。アスワドの民はのんびり屋だからさ。当然その間は国を渡れないから、アスワド島から出られない。」
「困ります。」
「そうは言ってもねぇ。」
明らかに顔色の悪いセイリアを見て、キッテは大袈裟に哀れむ表情をした。とってつけた感情だということは、さすがのセイリアも見抜くことはできたが、反論することはできずにいた。
一刻も早く見つけなければならないものもあるし、出会わなければならない人もいる。この小さなアスワドという島国に一ヶ月もいられない。
セイリアはキッテの顔をじっと見た。ふさふさの白いの睫毛をぱちくりさせて、あざとく首を傾げているキッテをだ。この表情の裏にある心を読みたい。自分たちを欺こうとしているのか、それとも助けてくれようとしているのかを。
(どちらにしても、キッテさんを頼るかどうかは私たちで決めないと。ここで本当のことを言うか言わないか、そのどちらの選択が私たちにとって有益なのか…。)
「キッテさんは、この二つのことを聞いて、どうするのですか?」
「う〜ん、そうだなぁ。君たちのことはね、キースから任されたし、単純に心配なんだよ。だから助けてあげなくもない。ただ、それをするかどうかは、その時決めるかな。」
「その時?」
「セイリアちゃんの、返事次第ってこと!」
「……。」
「で、どうするの?答える?」
「わかりました。この目のことはお察しの通りです。通行……承認証のことは、わかりません。初耳です。」
「あは、君たちねぇ……すごく甘ちゃんだよ。」
「甘ちゃん……?」
「でも仕方ないね、最初っていうのは誰にでも何にでもある。」
その通りだとセイリアは思った。最初から全部わかっていて要領よくこなすことは難しい。ただ、自分たちは一つ一つ丁寧に学んでこなかった。それはキースやキッテの教えが乱暴だからではない。与えられるのを待つしかしなかったせいだと気づく。
「僕も、最初はそうだったよ。」
ぼそっと呟いたキッテのその言葉は、セイリアの耳を掠めて消えた。そしてその声を自らかき消すようにキッテは大きく手を叩き、八重歯を見せてにっこり微笑んだ。
「いーいことを教えてあげる。」
「いーいこと?」
キッテが懐から一枚の紙を取り出した。乱雑に折り畳まれたそれを広げていく。破れもあれば皺だらけではあったが、案外綺麗だった。記入された手書きの文字もはっきり読める。突き出されるそれを、セイリアは口に出して読んだ。読めと言われている気がしたからだ。
「冒険、通行、承認証。」
「僕のをあげる。」
「え?」
「これさえあれば島から出られる。そうしたら新しい物を作るといい。急いでいるならメシェネトネフェル王国の方でね。エムハブカーサァセケムィブブ王国は時間が狂ってるから。」
「名前が書いてありますよ、ほら。「右の者、マーリー・トト」。私たちは使えません。」
キッテの笑顔が一瞬引きつる。その一瞬をセイリアが見逃したので、燻りを見せたまま明るい声で続けた。
「僕の名前は?」
「キッテさん。……あれ。」
「あはっ!これは僕のじゃないけど、僕の物なんだよ。わかる?」
「……偽造?」
「いや、本物。」
「え?盗品!?」
口端をつり上げた笑みを貼り付けて黙るキッテを見て、セイリアは目眩がした。キッテの言おうとしていることが、わかったからだ。つまり、他人の通行承認証を使えと言っているということを。
「大丈夫なんでしょうか?!」
「だーいじょうぶだよぉ、スライプはゆるゆるだから、名前さえ間違えなきゃ渡されるって!」
「えええ……。」
「それとも密入国する?知り合いの船渡しを紹介するよ。たくさんお金を渡せば……」
「それはいいです。」
抵抗はあるが、この方法しかとりあえずはなさそうであった。今まで誰かにぶら下がっていた自分を律し、これからは地に足をつけてやっていこうと誓う。大陸の方、メシェネトネフェル王国へ行って、自分の通行承認証を作るところからだ。それまでは、ぶら下がらせてもらおうと思った。
20191227