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IDLY HERO〜スライプ編〜  作者: 松野 実
第二話
17/19

歌法

 セイリアは転がったままのイアンの両脇に腕を入れ、抱き上げた。こういう時のイアンはまるで抜け殻だ。こうして密着していると、衣服と衣服を通してようやく呼吸していることが伝わってくる。弱々しくイアンの胸が膨らみ萎む、その繰り返しを何度か確認してから、セイリアはティルを見上げた。

「いきましょう!」

 しかしティルはビクともしない。瞳孔が開ききった目で、膝をついてうつむいているキッテを睨みつけていた。瞼が落ちていて眠たそうな目をしたいつものティルではない。セイリアは肩が震える。

 その間、ティルは無音の中にいた。風の音もセイリアの声も聞こえない。自分の心の中から聞こえる声だけが耳に届いている。

「うるさい!黙れ!消えろ、みんな消えろ!」

 悲鳴にも似た叫びがひしめく中、静かに漂う声にティルは気づかない。声は、根気よく囁き続ける。そのうち、ティルの耳にその声のかけらが届いた。それをきっかけに、あくまで静かに、悲鳴に声が重なっていく。包み込むように。

「あいつをどうしたい。」

「消してやる!」

「どうやって。」

「消す!」

「消したらどうなる?」

「せいせいする!」

「そうか。お前の気がすむなら、手伝おう。」

「全てが嫌だ!」

「それなら全て、消せばいい。」

 風が渦を巻いて周り始める。その中心にティルがいて、セイリアは近づけなくなってしまった。この攻撃的な風は、動かなくなっているキッテに向けられていくのだろう。セイリアは最善の道を探る。ティルは止められない。ならば、傍観していなければならないのだろうか。そう考えている間、巻き上がった小石が肌をかすめて、擦り傷ができた。

 キッテは動かない。こちらの意図も気になった。とにかくまずは二人から離れるのが懸命だ。両腕でやっと持ち上げたイアンを抱えていては、あの二人の衝突に巻き込まれるだけだ。配慮されるとも思えない。

「こういう時、何もできない。私……どうしたらいい。」

「……考えなくちゃ。何ができるかを。」

 独り言を呟いてみる。誰の返事もないが、自分の声を聞いて気持ちが少し落ち着いた。セイリアは自然と両手を合わせ、瞼を伏せて気持ちを鎮めた。

 そこへ新たに風が吹く。息吹のような優しさで渦を巻きながら、セイリアの全身を足元から包んでいく。

 セイリアの心の中では大きな円が一つ浮かんでいる。鏡とも見えるそれは水だった。水面はあまりに静かで透き通り、セイリアの心を表していた。

 ふんわりと辺りを覆うのは、セイリアの魔力か“魔法”か、本人もわからなかった。だが、ティルとキッテ、二人に届いたことはわかった。二人の目を見なくても、驚いた瞳が頭に浮かぶからだ。

 キッテは、鏡に映った何かに向かって切望していた。愛しくてたまらない、何かに。それの正体まではセイリアにはわからなかった。会いたくてたまらないと叫びたいのだと、そればかりが強く伝わる。

 ティルは、鏡に映った何かの陰を受けとめて、自問自答しているように感じた。本当に、この怒りを向けたい相手は誰なのか。キッテは手近にあるだけの存在ではないのかということが聞こえる。

 そして、意識を失っているイアンの心も伝わってきた。彼の心の中は、静寂の森。ひだまりと生命の息遣いが優しく揺れているだけだ。イアンの心だけは、彼の思念ではなくそんな景色だけが、ただ見えてくるだけである。気を失っているからだろうか。

 セイリアが用意した鏡、そこへは、鏡を向けられた本人の心が映し出された。心に住まう誰もかも、何もかもが。セイリアはようやく理解した。そして、これは光魔術ではない。自分の魔法、「歌法」だ。

 それは、心と心を通わせることで、解き、疲れを癒すことができる魔法だ。鏡は魔術で作り出していた。だが本来、歌法は魔力を必要としない魔法である。歌法へセイリアの魔力の鏡が合わさると、また違った効果をもたらすらしい。心を解く時、本人が自分の心を目の当たりにする。それを見た時の反応は、それぞれのようだ。

 セイリアはティルが意外に冷静だと思ったが、それは実際ティルに問いかけている存在があることまでわからないからだ。ティルにささやくその声が、ティルの心に届いている証拠でもあった。

「怒りの矛先を間違えるな。」

「ほこさき……」

「そうだ。向ける相手を間違えればそれは、自分に返ってくる。」

「……。」

「お前が一番、爪を立てて噛みつきたい相手は?お前の気持ちをわかってほしいのは、キッテなのか?」

「ああ……。」

 肯定の返事ではなく、ティルの感歎の声だ。それを最後に、ティルは膝を折って地面についた。風が小さくなる。それまでを見届けて、セイリアが手を解いた。歌法も鏡も、小さくなって消える。

「ティルさん、立てますか。」

「……。」

「……それでは、休んでからにしましょう。」

 返事はない。非力なセイリアの腕は、これ以上イアンを抱えていられなかった。そっと下ろして寝かせる。

 静かであるほどキッテは恐ろしかったが、彼の心を覗いた今、何かしてこないという自信もあった。キッテは一度、大切な人を亡くしている。もう会えないその人に、いつまでもすがっているのだ。未練の穴を、誰かや何かでは埋められないことをキッテ自身は理解していた。セイリアは、それを知ってキッテの立ち振る舞いを少しわかった気がしたのだ。

 二人は動かない。イアンも目を開かない。三人へ同時に歌法を向けたから、癒しの能力としては不十分なのかもしれないとセイリアは思った。だが、あの二人を止められて良かったと、安堵の気持ちでいっぱいだった。

20191106

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