取捨選択
次の日は快晴。と言っても、スライプに来て青空を見ない日はなかった。時々スコールが降る時があっても、その前後は必ず快晴で、正直ティルは飽きていた。暑さと湿度の高さは不快でしかない。うんざりだった。
文字通りキッテに尻を叩かれて穴ぐらをくぐった三人は、穴の前で座り込んでいた。これからどうするか話し合うためだ。しかし、セイリアの疲労は抜けていないし、ティルの元気もない。イアンはどうにかまとめようと思ったが、この炎天下の中、野晒しの場所にいては何一つ解決できない。かと言って当てもない。路頭に迷っていた。
ちょうど背後の穴からは、キッテのいびきが聞こえてきている。自分たちを蹴り起こして穴の外へ向かわせた後、すぐ寝たようだった。イアンの聞き取れる心の声は、声の届く範囲のものだ。心の声が強ければ遠くからでも聞こえるし、小さければ近くからしか聞こえない。穴は横に長いと言っても声が聞こえない距離ではないので、心の声が聞こえないということは寝ていると考える。
「このままでは時間と体力の無駄です。話し合うためにどこかないでしょうか?」
「この穴以外にもたくさん穴はあるよ。借りられないかな?」
「そもそもこの穴は、誰かのものなのでしょうか?ここはキッテの住処だとしても、その他はわかりませんよ。」
「……やめたほうがいいと思う。」
キッテのいる穴ぐら以外の穴を指差し、まず近くの穴へ入ってみようと考えていたイアンに、ティルの声が届いた。咄嗟のことだったので心からなのか喉からなのかはわからなかった。落ち込んだような怒りを腹にためているような、複雑な表情をしたティルを見る。心の中はひっくり返ってぐちゃぐちゃだった。
キースとティルの二人の姿が見える。二人の背景には、ここの景色と変わらない赤い谷とそこにある穴。ティルが穴を指差して悪趣味だと言うと、キースがあれは遺跡だと言った。そして、今は魔物の巣だと言う。この場面が繰り返しイアンの頭に流れ込む。ティルの心の中ではその“思い出”と、それに対する言葉にならない“声”が叫ばれていた。その二つが混ざり合って届くので、イアンの心の中も引っ掻き回されてしまいそうだった。
「どうしてですか?」
セイリアがうつむいたままのティルに投げかけたことで、あれが生声だったとイアンはようやく理解した。ティルの感情だけが渦巻いている心が、イアンを冷静にさせてくれない。記憶の断片と一緒に、叫び声も届く。映像となるほど強い感情は、ティルの心もそれに支配されてしまっているという事実を露呈させていた。
「別に。」
ティルの声が、心の中の叫び声にかき消される。イアンはめまいがした。思わず耳を塞ぐが、心の声は閉ざせない。そのままクルクルと世界が回って歪み、目の前が暗くなっていく。
それを一番最初に気づいたのはキッテだった。穴から出てきて、倒れこむ寸前のイアンの腕を引き上げた。ぐったりする体を乱雑にぶら下げて立っている。セイリアもティルも、その一瞬に驚いて飛び上がった。
「あーあ。」
「キッテさん!」
「はぁい、セイリアちゃん。どうしたの大きな声出して。」
「イアンくん!どうして?!」
「ちょっと限界きちゃったみたいだねぇ。」
「……。」
あからさまにうろたえ続けたのはセイリアだけで、ティルは据わった目をキッテに向けて立ち上がり、ぶら下げられているイアンを掬うように抱き上げて奪った。そのまま睨みつける。キッテは筋肉質な割に小柄で、ティルより背が低い。見下す形になった。
張り詰めた空気を読んだセイリアは、それ以上にキッテを避けたいという思いもあって、後ずさってティルの後ろに隠れた。キッテは微笑みすら浮かべているのに、ティルは背中だけ見てもわかるほど怒っていた。
「世話になったね。」
「あ?うん。気にすることないさ、キースの頼みだもの。」
「……じゃあ俺たちは行くから。」
「あはは、さっきまでここから動けなくなってたくせに!おっかしい!どこ行くっていうのさ?」
「お前、ホント嫌い。」
ギリギリとティルの歯ぎしりが聞こえた。捨て台詞の後立ち去るのを、キッテが引き止めてきた。しかし掴んだのはセイリアの腕だった。間にいたティルが抜けてしまったその空間に滑り込み、キッテが距離を詰めてくる。困惑と恐怖でセイリアは血相を変えて、ティルを追うしかなかった。
「待って待って!」
「待たない。」
「好きだなぁ、ティルの絶対無視できない性格。バカみたいで可愛いよ!」
「うるさい!!」
怒鳴って振り返ったティルは、ようやくセイリアがキッテに捕まっていることを知った。そして、更に怒りがこみ上げてきた。どんな怒りなのか、矛先はキッテ、セイリアなのか、はたまた自分なのか、それすらもわからない。とにかく無性に腹が立ち、思いきり腕を振った。
抱えられていたイアンが落ちるのと、セイリアが足元を狂わせるのはほとんど同時だった。振り払われたティルの腕から烈風が放たれ、キッテを吹き飛ばして赤い崖に叩きつけたのだった。
風は止まない。大の字で崖に張り付いたままのキッテに、怒りに燃えるティルの目が向けられている。キッテの顔が少しずつ歪み、苦痛の色が浮かぶのを見ると、セイリアが咄嗟にティルの脚に飛びついて声をあげた。
「やめてください!」
すると風は緩み、キッテが崖から滑り落ちて膝をつく。ティルの表情は全く変わらなかったが、その瞳に写るキッテが呼吸を荒げて咳き込んでいるうちに、肩の力が抜けていった。セイリアは体を引きずって倒れているイアンの顔を覗き込んだ。
「イアンくん……キッテさん、大丈夫ですか。」
「こんな奴の心配しなくていい。」
「でもティルさん!」
「うるさいぞ。」
地面の小石が震えている。ティルの足元から巻き起こっている風に揺らされているからだ。セイリアの背筋が凍った。あの風を自分に向けられたら、果たして咳き込むだけで済むのだろうか。
このまま煽られ続けるよりは、潔くキッテから離れた方が良いと考えた。明らかに、キッテと自分たちは相性が良くない。セイリアの頭にあった、ほんの少し残っていたキッテを頼りたい気持ちが失せた。恩義がなくなったわけではないが、思うように受け取ってもらえない上、言い換えれば、たったそれだけの思いのためにこれ以上仲間を散失していては、元も子もないということに気づく。
全てを持ちきれないのであれば、旅の目的のために取捨選択をしていくべきだ。そして、何を優先させるか、自分で考えていかなければならない。もう、キースという道標はないのだから。セイリアの左の瞳が、凛と輝きだした。
20191014