大事なこと
「命。」
胸に手を当てる。セイリアはこの辺りが、じわりと温かくなった感覚があった。手には鼓動が伝い、自分は命ある生き物であると改めて感じた。目の前のイアンにも、キッテにも、あの胸の中で絶えることなく鼓動をうつ心臓がある。
セイリアの手は震えていた。疲労だ。魔力は脈となって体の隅々まで巡る。その時、体のそのままの形を維持するために筋力を使うのだ。手首や指の関節を曲げようとすると、小さく痛む。
(そうなんだ。魔法は、命そのもの。)
冷たく、それでいて優しいものが辺りに広がっていく。セイリアを中心に、静かで澄みきった泉ができた。イアンもキッテも、まぶたを押し上げてセイリアを見るが、口は開かない。
泉は少しの波も立てない。全ての陰を通して歪めることはない。これがセイリアの魔力だった。セイリアは顔の前で手を組んだ。指と指を絡め、ギュッと結ぶ。息を飲んで見守るイアンと、愉快なものを見物しているように笑うキッテの頬を、ぬくもりが撫でていく。
(私の命は何を繋ごう。イアンくん、キッテさん、そしてティルさん、キースさん。あなたたちの命を守りたい。)
目を開けていられないほどの光が発される。瞼をきつく閉ざしても、真っ白の世界が広がるだけだった。試しにイアンが目を開けると、目の前には爽やかな風の吹く、森の景色が広がっていた。立派な角のある鹿がこちらを見て止まっている。鳥のさえずり、木々の木漏れ日。一つ一つを耳や目で確認していると、パッと明かりが落ちたかのように、また赤い大地の景色に戻った。
向かいにキッテが呆けてどこかを見つめていた。が、すぐセイリアに向き合い、その手をとったので、慌てて引き離そうと近づく。だがイアンが思っているような心配はなかった。
「できたじゃない!」
「え、わ、私!」
「できた、できたよ!」
「ほんとに?」
「ああ!あれは魔法だった。闇魔術の類い……なのかな?」
イアンは自分の体を確認する。手足がとてつもなく軽い。そして何より、心が穏やかだ。どんなに疑ったとしても、セイリアの魔法が発動して、そのような作用があったと思わざるを得ない。成功したのだ。
だが当の本人は複雑な表情をしていた。キッテも、それについては心外そうだ。もちろん、イアンにはセイリアの心が伝わってきている。セイリアが目指していたのは、闇魔術ではなく光魔術なのだから。
「あの、闇魔術でしたか?」
「断定はできない。でも、幻覚を見たから闇魔術の類いだと思う。どちらにせよ、心に作用する魔法だよ。」
「そうですか。」
「魔力は直接使われなかった。セイがもっと目的を絞れば、光魔術もできるかもしれませんよ?」
「うん!やってみる!」
様々な可能性に希望を感じ、勢いよく立ち上がろうと意気込んだが、セイリアの足は疲弊していた。倒れそうになるのをキッテが腰を支えて阻止する。イアンはそんなキッテを尻で押しのけるようにして支えになるのを代わり、キッテの住処の入り口へ向かった。
二人には結構な身長差がある。セイリアは歩き辛そうであった。震えておぼつかないのに加え、支えが低くて歩幅がバラバラだ。そんな後ろ姿が滑稽で、キッテは口を大きく開けて笑った。
出入り口となる穴は小さく、そして長い。屈んで行かなくてはならず、セイリアは不随意に震える体をなんとか働かせてようやく部屋にたどり着いた。それにも大笑いするキッテが後から付いてきており、自嘲して自分も笑うしかなかった。
部屋の中では、ティルが立ち竦んでいた。先にそれを見て驚いたイアンも動かない。セイリアは真っ先に、ティルの調子が心配になって歩み寄った。膝が震えるので時間がかかったが。
「ティルさん、もう起きていても大丈夫ですか?」
「……うん。なあ、さっき魔法使ったの、お前?」
「あ、はい。成功しましたよ!」
「オメデト。」
「ありがとうございます。」
「……もしかして、ティルさんにも魔法が?」
「うん。きた。何したの?」
そう言われてみれば、目的は特になかった。どういう魔法が使いたくて、どんな魔法が発動したのかわからない。セイリアがしどろもどろしているので、ティルは少し機嫌を損ねた。しかし、その後ろにいるイアンもキッテも、誰も答えようとしないことに気づく。
「お前らもわからないのか?」
「はい。」
「うん。」
「何を教えてたの?」
「魂について話していただけです。そうしたらセイが……」
「突然始めたんだよ。それで、そのまま発動したんだ。」
「お前、どうやったの?」
またセイリアへ質問がくる。質問の形は少し変わっているが、やはり具体的にどうしたのか覚えていない。質問の意図もわからない。もしかしたら、ティルは不快だったのかもしれない。自分は魔法だったのかさえわからないのだ、気分を害すような魔法が発動した可能性もある。
「ティルさん、もしかしてご気分が優れないとか?私の魔法のせいで……。」
「いいや、それはない。だから、どうやったのってきいてるんだけど。」
「あの、魂と魂、命と命を繋ごうと思って……それで。」
「それで?」
「そ、それだけです。」
「ティルさん、セイは必死だったんです。僕とキッテは幻覚を見ました。それで体が軽くなって。闇魔術の類いだとキッテは言いましたが、セイの魔力が直接使われたようには見えませんでしたよ。」
「……。」
「ティルは、セイリアちゃんの魔法の何がそんなに気になった?」
おずおずとティルの表情を伺う。はっきりと答えられない自分を恥じたが、何よりティルが落胆して見えたので心苦しい。何か気に障ったのであれば知りたかった。
ティルは自分も幻覚を見た。その内容を思い返しているようだ。イアンはそれを心で聞いている。炎が燃え盛っていて、それが懐かしくて、自分の心を鼓舞するように感じた。
そして、ティルにはそういう魔法に心当たりがある。イアンの脳裏にくっきりと、見知らぬ男性の姿が浮かんだ。長い三つ編みの金髪、青い目。ティルが心で想うこの男性が使う魔法だとすぐ理解した。
「ティルさん。」
「別に。何の魔法なのかと思って。」
(嘘だ。ティルさんは、セイの魔法を知っている。)
「へー。勉強熱心なんだねティルは。」
「馬鹿にしてんの?」
「してないよ。僕もセイリアちゃんの魔法が何なのか気になってるし。一緒だね!」
「くっつくな!」
仲良くじゃれだす二人をよそに、セイリアは静かに考えていた。イアンはそれを一人共有する。セイリアも、自分の使った魔法が何なのか、心の中でわかりつつあった。セイリアは、自分の魔法は、未完成だと結論づける。イアンも確信した。“そう”であれば、全て腑に落ちるからだ。
セイリアがイアンの方を向くと、イアンとすぐ目が合う。自分の心は当然、彼に伝わっているだろう。腕が肩から震えて仕方ない。魔力を使うことは、ここまで体に負担がかかることだと思わなかった。自分の知る魔術士は皆、もっと自由に魔力を扱っていたのに。
「セイ。」
「……うん。」
そっと、セイリアの手をとった。小刻みに震えている。二人のしっとりとした雰囲気とは裏腹に、ティルとキッテは酒盛りを始めていた。こちらのことを気にしている様子はない。イアンは優しく微笑して、身を乗り出す。セイリアとは目と鼻の先の距離まで近づいた。
「大丈夫。コツは掴んだのですから、今は休んで、また明日やってみましょう。今度はもっと目的を絞って。」
「うん。」
「できるようになりますよ。途中まで、うまくいっていましたから。」
「……。」
「“あの”魔法も、魔力を使ったら随分精密で強くなっていたような気がしませんか。」
「する。……うん。私、頑張るね。」
「うん。一緒に頑張りましょう。」
二人は耳打ちし合った。セイリアの表情から緊張が抜け、イアンも心から喜んでいる。キッテはティルの相手をしながら、二人の様子をしっかり観察していた。人間より優れた聴力には、囁き声を拾うことなど容易だ。つくづく、この“三人”は甘い。
「これは育て甲斐がある。」
「は?何?」
「ティルは酒が弱いなぁと思って。」
「お前に言われたくないんだけど。」
「はは!それもそうだ!」
顔を真っ赤にして首をグラグラさせているキッテが、ティルにもたれかかった。露骨に嫌がったティルは、キッテの首を掴んで引き剥がした。その後は雑に放り、その辺に転がしておく。キッテのことは気に入らないが、酒は美味い。変に絡んでくることがあっても、こうしてあしらえばしつこくはしてこない。ティルにとってキッテは、そこまで都合の悪くない相手ではあった。酒の場では。
「あ!」
「今度は何。」
「そういえばみんな聞いて〜。これからのことだけど。セイリアちゃんも〜イアンもね〜。大事なことを言うよー!」
「はい。」
寝転がった状態から音を立てずに立ち上がった。先程までグデグデになっていたとは思えないキッテの身のこなしに、ティルは少し違和感を覚えたが、酔っ払いは意味不明だという感想で片付けた。
手を叩いたりその場でクルクルの回ったり、意味不明な動きを見せるキッテを、すっかり前向きに心を立て直したセイリアはおかしく思った。イアンはキッテの心の声が聞こえているが、どうやらかなり酔っているという印象しかもたなかった。とりあえず、セイリアに言い寄ってこないように身構えて黙る。
「なんだよ、さっさと言えば。」
「なんですか?」
「はぁーい、言いますよー。ちゃんと聞いてくださいね!」
「だからなんだよ!」
「明日、みんな、ここから出て行ってね。」
不愉快の表情を見せるティル、戸惑いを隠せないセイリア、驚愕のイアン。様々だが、三人の顔色は一気に青ざめた。キッテはそれを心の底から楽しんでいた。イアンはそれに気づかない。心の声を聞いている余裕がなかったからだ。
20190807