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IDLY HERO〜スライプ編〜  作者: 松野 実
第二話
12/19

覚醒

 自分の呼吸がやたらと大きく聞こえる。そのことをイアンは疑問に思わなかった。疑問どころか、自分が何を考えて何をしているかについて、全く考えていない。頭は止まっているのに、体は勝手にゆっくり動く。右の拳がオーガの顔の中央、鼻の部分にめり込んでいく、その感覚を静かに受け止めていた。

「キキョ!」

 奇妙なオーガの鳴き声を聞いているのは、谷の上にいるキースとキッテだけだ。目にも留まらぬ速さで二体のオーガに拳を打ち込んでいくイアンを、風に吹かれながら静かに見下ろしていた。オーガの大きな顔は凹んだり割れたりしているが、それは致命傷にはならず、相変わらず忙しなく動き回っている。オーガが止まるのは、死ぬときだけ。スライプではそう言われている。餌を見つけて狩りの体勢になれば、死ぬか殺すか。それまで決して止まらない。どちらが止まる時、それはどちらかの絶命の時と言える。キースとキッテは、ただそれを待っていた。

 極わずかな空間でオーガとイアンは揉み合っていた。オーガは柄を地面に突き刺して両腕を振るい始める。接近戦では槍は不利だと判断したのだろう。イアンもそれをわかっていて、敢えて間合いを詰めていたようだった。オーガもイアンも、本能で戦っている。

 力の差は歴然だ。勢い余ってあちらこちらに大穴をあけるオーガ、決定的な打撃を与えることができないイアン。イアンの華奢な脚は攻撃の反動さえ堪えることができない。これが、弱点の一つだった。足が踏ん張ることができれば、今より深く拳が入るはずである。だが、イアンはその身軽さをもって、オーガからの攻撃は一度も受けていない。速さに至ってはイアンの方が抜きん出ている。オーガはそんなイアンを追いきれない。それ故に、攻撃は谷の壁や底ばかりに向かっていた。

 イアンは気づくと、谷底で大きく移動していた。気を失っているセイリアとティルから離れた所でオーガと揉み合う。キースはニヤリと口角を上げた。あれをイアン本人は無意識でやっているのだからおもしろい。攻防は平行線だが、紫の瞳には既に終わりが映っている。

「キーッ」

「あっ。」

 キッテが思わず声を上げた。オーガの奇声ばかりで聞き飽きた耳に、風と暴力以外の音が届いたその時、イアンが立ち止まって両手を上げた。小さな渦がそれぞれ手のひらに発生し、それがお互いを吸い上げるようにしてつながり、膨らんでいく。瞬いている間に、大きな竜巻が発生した。

 オーガは攻撃の体勢を崩したが、間に合わなかった。竜巻に降りかかった腕を巻き取られ、そのまま風の中に引きずり込まれる。二体のオーガは身動きが取れず、仁王立ちの格好のまま上下左右に激しく揺すぶられていた。キッテの逆立っていた毛が落ち着いてまとまり、牙をむき出しにして強張っていた口から笑いが溢れる。優しさが戻った瞳の中でノミが跳ねているようにオーガの陰が映っていた。

「あはは!最高!」

「……。」

「いいよいいよ、このままやっちゃえ!」

 両腕を交互に振り上げて無邪気に観戦する。このアスワド島で生命のほとんどを食い荒らしているオーガは、話が全く通じず、領域さえ無視して進行してくる。キッテたちネコ族にとって厄介な天敵であった。この状況が腹の底から面白いキッテは、その様子を隠さない。楽しくはしゃいでいるうちに、二つのことに気づいた。口を閉じて横目でキースを見ると、キースも一方については気づいているようだ。その証拠に、視線の先にティルがいる。

 ティルは目を覚ましていた。弱々しく上体を起こし、こちらを見上げて睨んでくる。あの鋭い目はどんな感情をもって見開かれているのか、付き合いの短いキッテにすら容易に想像がつく。キースはその目線を冷たく見下した。そして、はっきり目線が交わされたことが伝わってから、逸らした。応えようという意思がない態度は、ティルを簡単に煽ることができるだろう。

 こちらではもう既に勝負はついていた。轟音を立てる竜巻の中でオーガが呼吸をできるはずもなく、ギョロギョロしていた目から生気が抜けた。それでも風の中で踊らされ、ますます滑稽なその姿を見せられたキッテは笑いを堪えることなどできるはずがない。そもそも、そういうことをしない性格だ。腹を抱えて思い切り笑った。この姿も、恐らく谷底でティルは見ているだろう。そして、煽られているだろう。それさえも面白かった。

 竜巻が細くなり、縮むと、オーガはヒラヒラと落ちていった。まるで花弁だ。オーガが谷底で倒れると、イアンの瞳から橙色が抜け、開いていた瞳孔が霞み、膝をついてからこちらも倒れる、

「あれ何?」

「……。」

「あ、黙ってないでよ。あの子の目の色が変わった。青からオレンジ。」

「わからねぇ。」

「あっ、あっ!それズルい!エラムみたいだ。」

「本人にきけ。俺は興味がない。」

「きけるわけないだろ。ほうら、きた。」

「……。」

「僕の役目は終わっただろ?あとは厄介ごとだ。僕にとっては。じゃあまた後でね。それか、さようならかな?」

「ああ。」

 キースがどちらともとれる返事をした。キッテはそれにクスっと笑うと、ひらりと体を回転させてふわふわと去っていった。上手に入れ替わるようにして姿を見せたのは、這いつくばったティルだった。

 魔法由来の独特な空気の動きから察するに、風の力を使ってなんとか体を操り、この谷をようやく登ってきたのだろう。張った肩、赤い大地に突き立てる爪、めいっぱい開かれた目、逆立つ髪。全てが凶悪な怒りに震えていた。ティルの第一声が今から聞こえてきそうだ。ゼーゼーと苦しそうな呼吸を堪え、ティルはゆっくり口を開けた。

20190402.

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